12.2 もう少し味わって食えねーのか
「ケータリング? 知らねーぞ?」
「ああ、いい、我輩が出る」
待ってました、とばかりにソファーから飛び降りたエマは、事態を把握しきれていない万屋ムナカタの師弟に代わり、自ら玄関に赴く。
彼女の指示で配達員三名が往復すること数度、客間の一角が、あっというまに箱の巣と化した。暖房の熱に煽られ漂う甘い香りのおかげで、中身を問う必要はない。明らかに強張ったカレンの微笑みと、ソファに腰を下ろしてこめかみを押さえるシドをみて、年若いローズマリーの顔にも翳りがさす。
「あの、エマ様?」
「なんじゃ?」
「お取り寄せを頼まれるのは結構ですけど、この量、一体どなたが召し上がるんです?」
「我輩に決まっとろうが。お主らも欲しいというなら、食うても構わんけど」
たった一人、喜色満面のエマが、少女の不安をいっそう煽る。
打ち合わせが終わるまでお目付け役はここには来ない。鬼のいぬ間に思う存分デザートを堪能できる――。
目論見を隠す真似など無用、と幼女は堂々と構えている。魔導士の師弟のみならず、淑女すら目を反らしたくなる欲求にかられるほどに、エマが醸し出す期待感は狂気じみていた。
「ご冗談でしょう?」
「伊達や酔狂でこんなことするか。ほれ小娘、さっさと追加の茶なりコーヒーなりもってこんか」
エマの決意は揺るがない。そう悟ったローズマリーは、細い肩に諦観をわかりやすく乗せ、キッチンへ足を向ける。
少女一人に任せるのも不憫とばかりに、大人たちも立ち上がった。特に何も示し合わせていないのだが、シドが物置から折りたたみテーブルを引っ張り出して水拭きし、カレンがところ狭しとお菓子を並べてゆく。エマは働く三人を悠然と眺めていた。
「おい、姫様」
「ん、どうした……って痛った!」
汚れた布巾を洗い物カゴに放り込んだシドは、戻ってきて早々、エマに情け容赦なくデコピンをかます。
降って湧いた一撃に、彼女はまったく対応できなかった。飛石がぶつかったような音は、大人の指先サイズの赤い丸をエマの額に残す。
「なぁにしてくれとんじゃあ坊主!」
「アリーさんに代わって教育的指導だ」
「金を出したのは我輩じゃぞ!」
「一番食うのもあんたじゃねーか! ちっとは手伝いやがれ!」
カレンの方をあごでしゃくったシドの言葉は至極真っ当で、反論を許さない。「なんで我輩が」だの「叩くことなかろうが」だのひとしきりぼやいたエマは、渋々ながらも淑女にならい、皿を並べ始めた。
「はい、よくできました、エマ様」
「ええい鬱陶しい、子供扱いするでないぞ!」
悠久の時を生きると豪語するエマだが、日頃の言動に風格はまるで宿っていない。本職である医療に従事し、研究に勤しみ、有り余るカリスマ性で医療都市の民を統べるときはともかく、素の彼女は見かけから趣味嗜好に至るまで子供そのものだ。本人の言葉を信じるなら、ゆうに四〇〇歳を超えているはずだが、いくらなんでも精神が身体に引っ張られすぎてやしないか、とシドは常々疑問を抱いている。
でも、それが言葉として結実することはない。入る必要のない虎穴にわざわざ足を踏み入れるなど愚の骨頂だ。沈黙は金、とはよく言ったものである。
――はやい。
金髪碧眼で、見かけだけは年端も行かない娘が、フォークを縦横無尽に振るい、テーブルを埋め尽くすデザートを片っ端から平らげてゆく。
そのさまを見たローズマリーのつぶやきはシンプルで、ありふれているにもほどがある。でも、彼女はおとなしそうな姿形と裏腹に、【加速】魔法を武器に犯罪者と渡り合う魔導士だ。速さだけなら誰にも負けないゆえに、自然と漏らした一言には、重さと情念がこめられていた。
「見事な食べっぷりなのは結構だが、もう少し味わって食えねーのか、あんたは」
「十分味わっておるではないか」
冗談じゃねーよ、と目を逸らしたシドは、先程からコーヒーしか口にしていない。タルトもケーキもなく、一切れあたり三口から四口程度で胃の腑に落とし込むさまをさんざん見せつけられて、エマの主張を鵜呑みにしろというほうが無理だ。
「まあ、楽しみ方は人それぞれですし、私たちもご相伴に預かっている立場ですし……」
大抵のことには動じないカレンすら、微笑って言葉を濁すばかりだ。眉尻を下げ、出資者の意向に従おうと決めた彼女の眼の前には、バランスを崩す気配のないチョコレート・ケーキがそびえ立つ。彼女も甘いものは好きだが、量より質を重んじる性分だ。それでも怖いもの見たさには勝てないのか、食欲魔神ぶりを大いに発揮して本懐を遂げんとするエマを見ては、頬を引きつらせている。
「小娘、コーヒーのおかわりを持て!」
「は、はい!」
「ちっとは遠慮ってもんを覚えてくれよ、姫様……」
「メイド服を着とるんじゃからしょうがなかろうが。そもそもありゃなんだ? まさか坊主の命令か?」
「あら、ムナカタ君、そういう趣味がおありでしたの?」
「違げぇよ。カレンも混ぜっ返すな」
「それにしてもお主ら、今ひとつ食が進んどらんようじゃが、まさか我輩に遠慮でもしとるのか? 余計な心配せんと食え、早い者勝ちじゃぞ?」
大好きなお菓子に囲まれてニコニコする幼女、それ自体は和やかな光景なのだが、いかんせん量が度を超えてしまっている。見ているだけで胸焼けを起こしたシドは、ローズマリーが新たに淹れてくれたコーヒーに口をつけてどうにかやり過ごそうとするのだが、残念ながら望みは薄そうだ。




