12.1 狭いながらも楽しい我が家、ってやつさ
いともたやすく年の瀬の背中を捕まえられる、そんな冬の日。
イスパニアの王都で何でも屋を営む魔導士、シド・ムナカタに、故郷へ帰る予定はない。彼の飼い猫にして使い魔・クロも同様だ。
これまでと違うのは、住み込みの弟子・ローズマリーが一緒という点。メンツが増えれば南欧らしく、明るく賑やかな年末年始になりそうなものだが、彼女は物静かで情熱を内に秘めるタイプであり、騒がしい年越しとは無縁そうだ。
シドの母国では師走と称され、僧侶が東奔西走するという俗説がまことしやかにささやかれる時期にあっても、万屋ムナカタは至って平穏だ。イスパニアは温暖な気候とおおらかな国民性で知られており、年間を通して忙しさとは一見無縁そうだが、実際に暮らすと案外そうでもない、というのがシドの実感だ。忙しいところとそうでないところの濃淡がはっきりしている、というほうが現実に即している。幸いなことに、今の彼の仕事相手は魔法絡みの面倒事があるたびに頼ってくるので、食う・食わせるには困っていない。現にこの日の午後にも打ち合わせが控えている。お茶会も兼ねているから肩が凝らなそうなのが救いか。
ボタンダウンシャツにチノパン姿のシド、クラシックスタイルのメイド服に身を包んだローズマリー、つややかな宵闇めいた色合いの毛並みをしたクロ。冷え込みを暖房で塗りつぶした客間で、いつもどおりの装いをした二人と一匹が、訪問者を待つ。
「お邪魔します、ムナカタ君、CCさん」
呼び鈴を鳴らしたのは、本日の来客の一人、カレン・ガーファンクル。魔導士管理機構所属の才媛で、シドとは魔導士養成機関の頃からの長い付き合いだ。
日本かぶれで和装を好む彼女は、今日も海老茶の小振袖に濃紺の袴と、本場の祝い事ですらなかなかお目にかかれぬ出で立ちをしている。折り目正しい一礼とともに、肩のあたりで切りそろえられた黒髪が、天の川のようにサラリと流れた。
そんな和装の淑女のそばでは、ローティーンに届くかどうかも怪しい幼女が、細い両足で地を踏みしめて仁王立ちしている。
「ほぉ、ここが坊主の城か」
フリルが盛大にあしらわれたブラウスと、冬の寒さなんて意にも介さない黒のショートパンツ、肩にアイボリーのダッフルコートを引っ掛けた装いは、街に遊びにゆくお嬢さんそのものである。
一方、携えたアタッシュケースは堅牢で、ビスクドールも裸足で逃げ出しそうな顔立ちとまるで釣り合わない。年寄りめいた物言いと合わせれば、彼女――エマをただの小娘でないと断ずるには十分だ。
「そんな大層なもんじゃねーよ。狭いながらも楽しい我が家、ってやつさ」
木製のテーブルやキャビネットは古道具屋で買い求めたものだし、打ち合わせに備えて隅に控えているホワイトボードに至っては、近所で廃業した事務所に押しかけて拝借している。万屋ムナカタの客間を何度見渡そうとも、目に入るのはありふれた調度品ばかりだ。開業当初から新品だった什器といえば、エマが誰はばかることなく陣取ったソファくらいか。どれもこれも実用一辺倒以外に特筆すべき点がない。
「特に変わったところはなさそうじゃが、それがかえってお主らしいとも言えるな」
「なにを期待してたんだか」
良く言えば質実剛健、悪ければ無味乾燥な万屋ムナカタの客間のあちこちに目を向けるエマは、部屋の主よりも偉そうだ。そのくせ見た目は誰よりも若い、というより幼い。誰も彼女を凄腕の医者にして魔導士、おまけにヒトならざる存在とは看破できないだろう。口を閉じていればなおさらだ。
「クロスケさんは……あら、そちらにいらしたのね」
カレンはカレンで、窓辺で日向ぼっこを決め込んでいたクロを目敏く見つけ、そっと歩み寄って毛並みを堪能する。毛玉もそこまでは我慢していたが、抱き上げられそうな気配を察知するやいなや、淑女の手をするりとかわし、棚の上へと緊急避難してしまう。
「つれないんですのね。どこかの誰かさんそっくり」
「あんたもよくやるよな、せっかく綺麗な着物なのに、毛でもついたらどうすんだ?」
「クロスケさんと仲良くできるのなら、それくらい安いものですわ」
そう言ってのけたカレンだが、いつもの三割増しくらいの慎ましさでソファに座ったところからすると、黒猫をなでくり回して愛でる目論見が外れ、残念がっているのは明らかだ。
片やあけすけに、片や遠慮がちに客間のソファを陣取った二人を一瞥したクロは、大義そうにあくびをかますと再び丸くなる。お得意の狸寝入りの始まりだ。三角形の耳はさり気なく音のするほうに向けられているし、しっぽはシドの言葉に応えるように、時折ぬるりと動く。
「メイドの小娘、紅茶はまだか?」
「うちは喫茶店じゃねーぞ」
好き勝手振る舞う客人たちに辟易するシドとは違い、ローズマリーの動きは機敏だ。人数分の紅茶を淹れ、返す刀でせっかちな呼び鈴を片付けるべく玄関へと駆けてゆく。仕事熱心なメイド服の背をひとしきり眺めると、幼女は心から満足そうに頷いた。
「見よ、あの勤勉さ。坊主の弟子におさめとくのはもったいないな」
「一言多いんだよ、ったく」
「あの、先生」
出ていったばかりの弟子が、困惑をありったけ抱えたような顔で戻ってきたから、師匠も腰を下ろしきれずに固まってしまう。
「ホテル・オリエントからケータリング・サービスが来てるんですけど、何か頼まれましたか?」




