11.25 だめじゃないか、センセイ
シドとローズマリーが病院に運び込まれ、熱傷の治療を受けたのは、宵闇が顔を覗かせ始めた頃だった。
治療後、比較的軽傷のローズマリーは即座に事情聴取に応じ、別室へ。一方のシドはあてがわれた病室のベッドに寝転がり、まんじりともせず天井を見つめていた。痛み止めを打ってもらったおかげで、普通に動くならどうにかなる。相棒の黒猫はベッドの上で毛玉と化してまどろみの最中。別に誰かが監視についているわけでもない。
今がチャンスか、と病室を抜け出したシドは電話を探し当て、関係者に根回しを図ることにした。
「ああ、新しいやつを逮捕した。動きだけ見たら違法薬物やってるっぽいけど……無茶言うなよ、素人の俺にそこまでわかるもんか。そっちで検査してもらうことになったら、そのときはよろしく頼む。そうだ、正式な話はカレンから連絡が行くようにするから。……え? そっちは俺の所掌じゃねーよ、魔導士管理機構に請求してくれ」
医療都市ハンディアの姫君・エマに渡りをつけたシドは、次の相手に電話をかけようと手帳のページを繰り、忙しなくダイヤルを回す。
「ああ、いたいた」
しまった、と思った頃にはもう遅い。廊下の角から何者かがひょっこり顔を出し、ニコニコしながらフックレバーを押し下げる。
「だめじゃないか、センセイ。怪我人は安静にしてないと」
犯人はシドの顔馴染みの警部、アンディ・ヴァルタン。コール音の途切れた受話器をゆっくり戻しながら、シドは取り繕うように不自然な笑みを浮かべる。
「CCから聞いたよ? 怪我、結構重いんだって?」
「それはそうだが、やらなきゃならないことは山積みだろ」
そうだねぇ、とうなずきながら、アンディはなんの前触れもなくシドを突き飛ばした。たたらを踏んだシドだったが、熱傷の治療を終えたばかりの足が想像以上に踏ん張りきれず、尻餅をついてしまう。
「何すんだよ、アンディ!」
「僕が突き飛ばす気配すら察知できない、避けるどころか踏ん張りすらきかない、魔法で防ぐことすらしない。そんな体調で何をどうする気だったんだい?」
アンディに反発するように飛び起き、電話に取りすがろうとするシドだが、見事に足を払われ、ふたたび硬い廊下に体を打ちつける。怪我人相手に手心を加える気配は一切感じられなかった。
「僕が知る限り、君はもっと速く、力強く動けてたはずだ。でも今はそうじゃない」
起き上がろうとしたシドの眉間にアンディが突きつけたのは、銃口代わりのボールペンだ。
「考えられる理由は二つ。訓練をサボって腕が落ちたか、あのチンピラを取り押さえるときに相当消耗してるかだ。一緒に仕事をする立場としては後者であることを願ってるんだけど、そこんとこ、どうだい?」
回りくどい言い回しではあるが、要は正直にしゃべれ、足を引っ張るなということだ。穏やかな物言いの裏に隠された脅迫めいた真意に、シドは思わず本音をこぼす。
「……まあ、正直、キツい」
「シュタイン兄妹のところに電話して、すぐにでもアレの運用試験を始めたいとか言おうとしてたんだろ? 見え見えなんだよ」
アンディはシドに手をさしのべ、引き起こしてやる。起こされた方は図星を突かれたものだから、ただただバツの悪そうな顔をするばかり。反論の余地などまるで残っていない。
「工科大へは、もう僕の方から連絡済みだ。別の人を割りあてるってもう伝えてあるよ」
「ずいぶん手回しのいいこって。誰がかわりに行く?」
「ベラーノ女史。カレンお嬢様のご推薦でね。二つ返事で引き受けてくれたって言ってたよ」
カレンが頼みゃそうなるだろう、とシドは納得する。大好きなお嬢様の頼み事だったら忠犬のごとく受け入れてしまう。魔導士管理機構の才媛、ウルスラ・ベラーノとは、よくも悪くもそういう人間だ。
「まずはシュタイン先生の装置を完成に持っていくのが最優先だ。その後は」
シドの手振りをみて、アンディは一旦、口をつぐんで振り返る。
二人の視線の先にいるのは、倒れた仲間の血と土埃で珍しく白スーツを汚し、憔悴しきった様子のビアンコだった。




