11.20 てめぇならどうにかできんのか、魔導士
徐々に小さくなる銃声に比例して、櫛の歯が欠けるように疎らになってゆく火線。向こうの路地で誰かが倒れる音に、恨みと怨嗟の声。
初めから防御一辺倒で高みの見物と決め込んでいた万屋ムナカタと、攻めの姿勢を崩さなかったビアンコたちの明暗が、ここで見事に別れた。ビアンコの率いる戦力が一秒ごとに削られて行くさまを、シドたちはただ見ていることしかできない。いつの間にか、高所で構えていたはずの狙撃手たちも沈黙している。
万屋ムナカタの三人は互いに視線を交わし、小さく首を振る。
対魔導士戦の経験豊富なシドに、動物特有の勘と優れた感覚器を誇るクロ、そして【加速】魔法に長けた上に優れた眼を持つ少女。その三人をもってしても、ビアンコたちの軍勢が加速度的に勢いを失った決定打が何なのか、捉えきれていなかった。
「野郎、ぶっ潰してやらぁ!」
「あの馬鹿……! 止めるぞ、手伝え!」
次々と倒れ伏し、事切れる部下達を目の当たりにして、激昂したビアンコが緊急発進さながらに飛び出してゆく。ここで彼を失ってしまっては、部下の統率が崩れる上に目論見が全て水泡に帰すので、シドたちとしてはなんとしても引き戻さなければいけない。
慌てて彼を追いかけ、力ずくで引き止めにかかるが、恵まれた体躯とそれに裏打ちされた身体能力を持つビアンコを力づくで物陰に引っぱりこむのは、身体【強化】魔法を発現させたシドとローズマリーでやっとの大仕事。クロもそのあたりは察しがよく、あまり得意でない【防壁】の常時展開を駆使してボニーが放つ何かから三人を護る。
「クソガキが! 俺の部下に何しやがった!」
「笑わせてくれんじゃねェか、ビアンコ。そのクソに言いようにやられてるテメェらはなんだよ、蛆虫以下だろうがァ、えェ?」
「ナメんじゃねぇぞこの野郎!」
「待て、ビアンコ、今あいつの視界に入っちゃダメだ!」
重厚な、古い建物の影に転がり込んでからも、暴れるビアンコを説得するのには骨が折れた。十字路の真ん中から響く高笑いに神経を逆撫でされ、額に青筋を浮かべたビアンコは、羽交い締めにするシド、全力で腰にしがみつくローズマリーを引きずりながらボニーを仕留めんと前に出ようとする。
「邪魔すんならてめぇからぶっ殺すぞムナカタ!」
「ここであんたが崩れたら、それこそ取り返しがつかなくなるだろ!」
「部下がやられんのを黙って見てろってのか、え!?」
どこから湧いているのか全く検討もつかない馬鹿力でシドとローズマリーを振りほどいたビアンコは、仲間の血で汚れた白スーツや乱れたシャツも意に介さず、ボニーを亡き者にしようと果敢にも物陰から飛び出す。
だが、足元や顔の近くを掠めた何かが、背後や足元の石材を小さく円形に溶かしてくすぶらせているのを眼にしては、さすがに引っ込まざるをえないらしい。
「ビアンコ、もうわかってんだろ。あいつはもう、あんたの知ってる存在じゃないんだよ」
屈辱に打ち震えるビアンコは、シドも初めて見る。砕けるものなら砕けてしまえとばかりに食いしばられた歯に、拳銃の銃把を握りつぶしそうな勢いで握られた拳。部下を手にかけた裏切り者への怒りはにじみ出るという域を超えて噴出している。
「背中を預けられる仲間たちがことごとくやられたんだ。マフィアの正攻法はもう通じない。少し頭を冷やせ」
「……てめぇならどうにかできんのか、魔導士」
怒りをどうにか飲み下し、かつての同胞を手に掛けた報いをボニーに受けさせるためなら、他者の手だって借りる。その覚悟を決めたのか、ビアンコはようやくシドに歩み寄る姿勢を見せた。
「殺れるのか、あいつを」
「俺たちは殺しの専門家じゃねーから、確約はできねーよ。でも、止めるってならどうにかなる、というかする」
一時攻撃が止んだのを見計らって様子を伺うと、明らかに様子のおかしいボニーがそこにいた。眼はカッと見開かれ、頬も紅潮して呼吸も荒い。よく見ると、つま先から頭のてっぺんまで熱病のように小刻みに震え始めている。そんな人間をみて「まともな状態だ」と判断するものはいないだろう。その一方で感覚器だけは冴え渡っているらしい。何かが動く僅かな物音や気配を察知すると、即座に目線がそちらに向き、その根源にピタリと焦点を合わせてくる。
「まずはあの攻撃をかいくぐらないといけませんけど……」
ローズマリーの言葉も、どこか歯切れが悪い。その理由はなんとなく察しが付く。ボニーの攻撃の正体について、万屋ムナカタの誰一人として何ら確証めいたものを掴めていないのだ。
高熱を帯びていること、見えないくらいに速いということしか、今の所わかったことはない。熱もさることながら、それ以上に面倒なのは速度。一番速さに慣れているローズマリーにすら見えていないのは、とても穏やかとはいえない角度の柳眉を見れば明らかだ。
――もし、俺の考えが正しかったとしたら。
シドの中に浮かんだ仮説。それが外れていてほしいというのは、あくまでも彼の願望に過ぎない。手元にある情報だけで判断した限り、シドの【防壁】は、ボニーの攻撃の前では無力だ。
「先生!」
場に似合わない澄んだ声に弾かれるように、シドは顔を上げる。
爆発現場でクロに注意されたことは一旦棚上げして、ぼーっとしてるヒマなんてないです、と詰め寄ってくるローズマリー、その両肩から立ち昇る決意に、シドの心が揺らぐ。
「私が前に出て、ボニーの攻撃を引き出します」
「……自分が何言ってるかわかってんのか? あいつの攻撃は」
余計な問答は無用です、とばかりに、ローズマリーは手振りで師の言葉を遮る。
「まだぼんやりとしか見えていませんし、完全に見切るとはお約束しません。でも、先生が打開策を練る時間と材料くらいは稼いでみせます」
相手の一撃を見定められなければ、反撃なんて夢のまた夢。この弟子は未知の攻撃の正体を暴くべく、悲壮感一つ表に出さずに未知の攻撃にあえて身を晒すと進言したのだ。その代わり必ず逆転の道筋をつけろと、言外に師匠をけしかける。
シドは両頬を叩いて気合を入れ直す。ここは彼女を信頼すると同時に、弟子が寄せる期待に答える時だ。
「あいつの眼は特別製、仕掛けるとすれば、最初の不意打ち一発だけだ。もし外したら、あとは挑発と回避に全力を傾けろ、ローズマリー」
「はい、先生」
「それとビアンコ、俺たちだけじゃ無理だ。牽制でいいから力を貸してくれないか?」
「つまんねぇこと言ってんじゃねぇよ、殺れると判断したら仕留める。構わねぇだろ」
相手が相手なのでやむを得ない、とシドが頷くのをみて、ビアンコは残った部下に指示を飛ばす。耳馴染みのない言語だから詳細はわからないけれど、残った部下を再編成して反撃する旨の指示を出しているのだろう。
「クロスケ、頼むぜ」
「全力は尽くすけど、この娘が見きれない速さってのはやばいよ。ボクだって全部反応しきれるかわからない。なるべく早く、解決策を見つけておくれよ。
そんじゃいこうか、お嬢さん」
「はい。では先生、行ってまいります!」
なるようにしかならねぇとでも言いたげな顔をしながら物騒な言葉を言い残したクロを肩に乗せたまま、ローズマリーは軽やかに地面を蹴り、駆け出す。
その背を見送りながら、シドは深呼吸をし、脳に酸素を行き渡らせる。思考を明瞭にして策を練りながら、自分の魔法を準備するために。




