11.15 猫の手も借りたい
旧市街、裏路地の十字路で、ボニーに相対する黒猫と少女。
先程から相手の出方を伺うばかりで、決定打を繰り出せない。間に横たわるたかだか数メートルの距離が、巨大な緩衝帯となって互いを隔てている。
「攻めにくいねぇ」
「ええ、本当に」
「とはいっても、早まっちゃいけないぜ、CC。本格的に動くのはシド君と合流してからだ」
「その前に向こうの魔法を見切りたいところだけど……」
ローズマリーたちとしては、もう一段上の深度の【加速】を隠し玉にしておきつつ、相手の手札を全部吐き出させたいところだ。
一方のボニーは、いかにして目障りな防壁を抜き、小娘共のアタマに風穴を開けるかにご執心の様子。血走った両眼も元気いっぱい、ローズマリーの動きに追従しており、翔ぶが如き疾走と前後左右自在の切り返しを前にしても、照準が少女の眉間から逸れることはない。
二者の間に横たわる均衡。それを破ったのは、ボニーの放つ凶弾ではなく、ローズマリーの踏み込みから繰り出される一撃でもなかった。
別の路地から突如発砲音が響き、それに続き横殴りの雨を彷彿とさせる弾丸の群れが二人を襲う。相手に鉛玉を食らわせようとしていた側と、食らうまいと立ち回っていた側の両方が、慌てて一歩引き下がる。
「な、何?」
「あいつら、どっから湧いて出やがった?」
ちらりと見た限り、闖入者の格好はマフィアそのもの。ただし、ボニーと違い小綺麗で、手にした獲物も拳銃ではなく、自動小銃を始めとするもっと物騒な火器。
だが、彼らを異質たらしめているのは、装備よりもむしろその隠密性だ。自らの聴覚と嗅覚の網をすり抜けて有効射程距離まで近づいてきたその技量に、クロは内心冷や汗をかきながら行動指針を変える。
「ヤバい、退くよ、CC」
「でも!」
「目の前にいるのは、【加速】した君の動きについて来れる魔法使いもどきだ。それってどこぞのシスターとか、その妹分並の技量ってことだろ?」
ローズマリーの基本戦術である速さを生かした翻弄を、今のボニーの眼は遅れることなく追いかけてくる。今の獲物は拳銃だけだが、どんな隠し玉を持っているもわからない。そんな状態で懐に潜り込むのは高リスクである。マフィアが割って入ってきて、妙な不確定要素が増えた今はなおさらだ。
「だったらもっと【加速】して……」
前のめりになったローズマリーの後頭部を一発ひっぱたいたクロは、即座に理由を並べ立てて二の句を継がせない。
「こっちはどんなに頑張ったって二人だ。ボニーだけでも厄介だってのに、クチバシ突っ込んできたお客さんたちの面倒までみてらんないよ」
少女に説明をしながらも、クロは周囲に気を配り、状況の把握に努める。
漏れ聞こえてくる会話を聞く限りでは、先程発砲した以外にもいくつかのグループが潜んでおり、徐々に包囲の輪を狭めているらしい。それ以外に彼らが立てる物音といえば銃声くらいのもの。整然と組織だって獲物を狩るその様にマフィアらしさはない。
いずれにしても、平衡状態を破ってかき乱しているのは、集団戦闘に長けた連中。いくら少女が速度に長け、黒猫が百戦錬磨の【防壁】使いであっても、真っ向から張り合って無事に帰れる保証はない。
「そうは言うけどクロちゃん、こっちだって手ぶらで帰るわけにはいかないでしょ?」
「なら、割って入ってきた無粋な奴らを最大限利用する。両方を相手にできないなら、次善の策をとるだけだ」
ボニーの捕縛という目的を果たすために、正面切って相手の攻撃を受ける必要があるかと問われれば、答えは否だ。クロは猫らしく不敵な笑みを浮かべ、少女をたぶらかす――もとい、説得する。
「まずはあいつらに、ボニーの相手をさせる。潰し合ってくれればそれで結構、最低でも魔法を見切る材料にはなってくれるだろ。いいね?」
少女自身の正義感と相容れないところはあるだろうが、現状を打破するためには綺麗事ばかり言ってもいられない。すう、と息をついて冷静さを取り戻したローズマリーは、クロの言いつけどおり一歩引きさがる。クールな見かけによらず一本気な性根で、一度集中すると周りが見えなくなりがちな彼女だが、頭の回転が鈍いわけではない。ちゃんと理屈を並べれば説得に応じてくれるし、そもそも現場で駄々をこねるような年齢でもない。
「逃げんなやこのガキゃァ!」
退いたローズマリーを追撃しようとしたボニーだったが、二方向から襲う火線の束によって阻まれ、青筋を浮かべながら飛び退る。
「うざってェなァ……雑魚どもがァ……! テメェら皆殺しだ覚悟しとけやコラァ!」
逆上したボニーは、遠間では何もしてこない少女をひとまず放っておき、第三の勢力と対峙する覚悟を決めたらしい。懐からもう一本拳銃を抜き、ここに来てようやく少女以外の者に照準を定めた。
「なんか思ってたのと違う」
回避と反撃を繰り返すボニーの立ち回りを見て、クロはポツリと呟く。いつもの彼女からは想像のつかない、困惑が前面に押し出された声に引きずられるように、ローズマリーの真面目な顔がさらに神妙なものに変わる。
「動きが別に速いわけでもない、というかむしろ遅い。シド君のほうがまだマシだよ」
ローズマリーの速さに対応できる眼を持つボニーにとっては、幾多に重なり交差する射線を一瞬で把握する芸当も朝飯前なのだろう。直線以外の軌道を辿らない攻撃など、今の彼には通らない。弾丸を避け、返す刀で反撃の狼煙を上げてみせるが、【加速】魔法に慣れた二人にしてみれば緩慢もいいところだ。
「君からすれば、ハエが止まるような速度だろ?」
「その表現もどうかと思うけど……」
言葉を濁したローズマリーではあるが、意見自体はクロと概ね同じだ。【加速】魔法を使ってはいるようだが、ボニーの動きは特段速い部類に入るわけではない。だが、先程までローズマリーたちに先回りして行く手を阻み、こうして雨あられと降り注ぐ銃弾を無傷のままかわし続けているのも事実。
「未来でも見えてたりしてね」
「そんな魔法、あるのかしら?」
さあね、と答えるクロは、いつもの軽い調子を取り戻している。深く考えすぎると身動きできなくなることもあるから、そういう相手と割り切って動く以外に選ぶべき道はない。思考の袋小路に陥りがちな人間たちとの付き合いの果てに辿り着いた、黒猫なりの経験則だ。
「あいつは相手の動きを高い精度で予測して、足りない速さを補うって立ち回りができてる。それと一瞬先の未来が見えるのとじゃ、どれくらいの差があるんだ、って話しさ」
相手の動きを解析し、推測し、その上で想定外の事態に都度対応する。未知の相手と渡り合い、制すには、それ以外に方法などないのだ。
「それにしてもシド君、どこほっつき歩いてやがるのかねぇ」
「大丈夫だよ、クロちゃん。きっともうすぐ来るから」
「その信頼はどっから来るのさ……ほんと、猫の手も借りたい」
ボニーだけならまだしも、追加の連中まで相手どる事態だけは避けなければいけない。多方面から仕掛けられた一斉攻撃を捌くには、クロ一人だとさすがに荷が重いのだ。黒猫の口から湿った愚痴がこぼれ、生まれつきのなで肩がさらに落ちる。




