11.9 クロちゃん、猫みたい
魔導士の師匠が仕事と訓練に、弟子が研修にそれぞれ明け暮れているうちに、街路樹の葉はすっかり落ちてしまった。夏の暑さも秋の物悲しさも、いつの間にやら遥か彼方へと過ぎ去り、もはやその足音は聞こえない。
ローズマリーが万屋ムナカタで迎える、初めての冬。
今のところ、生活に大きな変化はない。事件よいつでもどんと来い、と構えているローズマリーのやる気をあざ笑うかのように、魔法使いもどきたちは鳴りを潜めている。平和でなによりではあるが、万屋としては商売上がったり。事件の音沙汰がない間の彼らにできることといえば、二人揃ってオンボロ教会に出向いてシスターとその見習い相手に訓練するか、打ち合わせだか御用聞きだか定かでない用事で警察か魔導士管理機構に赴くくらいのものだ。よく言えば余裕がある、悪くいえばいささか暇を持て余し気味の日々が続いている。
そんなある日の昼下がりのこと、シドの用事に便乗したローズマリーは、旧市街に買い物に出ていた。
クロと一緒に下ろされた彼女は、目星をつけていた店を一通り巡って冷やかした後、待ち合わせ場所に指定されたカフェの扉を押し開ける。ちょうどティータイムが一段落し、客足が落ち着いた頃合いだ。
手早く注文を済ませた彼女が陣取ったのは、陽のあたるオープンテラス。ダッフルコートを引っ掛けた今のローズマリーは、もとの年齢も相まって、はたから見ると授業をサボってしけこんでいる学生だ。銀髪と調和したカチューシャを除けば、彼女がメイド服を愛用しているとは一目ではわからない。ましてや、エプロンドレスの裏に素敵な小道具を隠し持ち、常に有事に備えているとは想像もつかないだろう。
懐中時計を覗き込むと、予定の時間までは三〇分以上ある。紅茶とお菓子を堪能するには十分な時間だ。
「せっかく外に出たってのに、ずいぶんシケた顔してるじゃないか、お嬢さん?」
傍らに置かれた少女のバックパックから、お目付け役兼護衛を務めるクロがひょっこり顔を出し、周囲に人がいないのを確かめてから、軽い調子で少女におしゃべりを仕掛ける。
銀髪の少女が年相応に顔をほころばせたのは、注文が出揃い、小さく切ったシフォンケーキ一片と紅茶を一口楽しむ僅かな間だけ。その後は頰杖をつき、ちょっと浮かない顔で手帳を繰っている。
「色々悩みがありまして。魔法使いもどきのこととか、訓練とか含めて、いろいろ」
「気持ちはわからないでもないけど、あんまり考えすぎんのも体に毒だぜ」
いくら大人びているといっても、ローズマリーはティーンエイジャー、まだまだ難しいお年頃である。悩める妹分を元気づけるように、黒猫はいつものようにおどけてみせた。
「日本のサラリーマンじゃあるまいし、二十四時間戦ってる必要なんてないさ」
「ごめん、クロちゃん、ちょっと何言ってるかわかんないかな……」
「休めるときにしっかり休むのも立派な仕事だよ」
「クロちゃん、シド先生みたいなこと言うんだね」
「逆だよ、逆。彼がボクに似たのさ」
そういうことにしておきます、と戯言を受け流したローズマリーは、助言通りまずは紅茶を楽しむことにしたらしい。シフォンケーキを切りわけてクロに勧めるが、やんわりと断られ、ちょっと残念そうな顔をする。
「私一人で食べちゃうよ?」
「別にいいよ。そもそも、お菓子にゃあんまり興味ないしね」
黒猫は空気の冷たさに身を震わせ、なかなかバックパックから表へ出られないでいる。王都は内陸部に位置しており、雪や氷に閉ざされることこそないが、吹く風はからりとしているけれど冷たい。口をついて出る恨み言もいつもより湿りがちだ。
「……CC、何もこんな寒い日に、わざわざ表でティータイムと洒落込むこたぁないじゃないか」
「そう? 冬の風も気持ちいいから、私は好きなんだけど」
「同意しかねるなぁ……。ボクはやっぱり、寒いのは苦手だよ」
「やだ、クロちゃん、猫みたい」
「みたい、じゃなくて、猫なんだけど……」
そうでした、と微笑むローズマリーを見ていると、この娘もずいぶん遠慮がなくなってきたなぁ、とちょっと微笑ましい気がする反面、だんだんシドに似てきているんじゃなかろうか、と余計な勘ぐりをせずにはいられない。
「だいたい、中でおしゃべりするわけにもいかないじゃない?」
「御説ごもっとも、だけどねぇ……」
果敢にもバックパックから外に這い出ようとしたクロだが、どう頑張っても寒さには勝てない。暖かい場所にとどまるという本能に素直に従った彼女は、引き続き顔だけをバックパックから出すという不格好な装いで、少女のお悩みや愚痴を聞くことに決めたのだった。




