11.2 君にも嫌ってほど活躍してもらうからそのつもりで
再開発が進んでいるとはいえ、古い石畳が多く残った王都の道。表面に浮いた凹凸を少し柔らかめのサスペンションでしなやかにいなしながら、チンクエチェントが行く。キレの良いステアリングを操るように、相棒の黒猫も言葉巧みに……とはいかないまでもどうにかなだめすかしたシドは、先に重めの話を済ませることにした。
「君が研修で頑張ってる間に色々あったんだけど、アンディから聞いてるか?」
「大筋は伺っています。魔導器官を持たない、これまで魔法とは縁もゆかりもなかった方々が……薬物の投与で、魔法を使えるようになったんですよね? 今後はその方向の捜査を進めていくことも聞いています」
「カレンとかハンディアの姫様を巻き込んでるって話も、その調子ならご存知みたいだな」
「ええ。エマ様の、その……実験で薬の効能がはっきりして、捜査も大きく進展した、と」
「実験」というありふれた単語を、ローズマリーはためらいがちに口にした。その気持ちは、シドもわからないでもない。
エマを筆頭に、ハンディアに集う医師たちは超一流の研究者でもある。実験計画の立案も実行もお手の物だろうし、万が一のトラブルにも即応できる体制が整っているはず。それは十分理解できているつもりだが、自分の患者に得体の知れない薬を投与して経過を観察するという行為は倫理的に是か非か、という疑問はどうしても残ってしまう。
そんな万屋ムナカタの面々の逡巡をよそに、警察や魔導士管理機構は特段意見を表明することなく、見て見ぬ振りを決め込んでいる。捜査が進むのであれば多少のことは眼をつむる腹づもりなのだろう。依頼主がそういう態度を取るなら、シドも自分の意見は一旦懐に収め、表面上は倣わざるをえない。
「捜査には合流しないのですか?」
「捜査って、何の?」
「薬物ですよ。魔法使いもどきの」
「しねーよ。不届き者の魔法使いが暴れだすまで、俺たちはお留守番だ」
む、と言葉に詰まらせたローズマリーの眉根はわかりやすく寄っており、不満を声高らかに主張している。
――とにかく早く、実戦に出たい。
お世辞にも立派とはいえないチンクエチェントの助手席に収まりながら、ローズマリーは飢えと渇望を言外に滲ませる。真面目で仕事熱心なのは結構だが、彼女はシドにとって弟子であり、かつ護衛対象だ。荒事を扱う機会も多い仕事ではあるが、必要以上に危険な目にあわせるわけにもいかないので、程々にしておいてもらいたいというのが本音ではある。
「しょうがねーだろ、万屋だって薬物の捜査は専門外だ。そこまで面倒はみれねーよ。日本にゃ『餅は餅屋』って言葉もあるしな」
「そうはおっしゃいますけど、私だって警察官なんですよ、一応……。なおのこと現場に出ないと」
「警官だからこそ、守らなきゃならない線引きってのもあると思うけどな。今の君の職位でやるべきことは何だ? 上からの指示をきちんとこなすことじゃねーのか? 自分で勝手に判断を下して動いていい立場かどうか、よく考えてごらんよ」
「……私たちには、何もできない、ってことですか?」
師匠は人の変化に疎く、弟子は表情の変化に乏しい。とはいえ、仕事のパートナーとして毎日のように顔を合わせていた仲である。頭では理解していても気持ちが急いて仕方ない、そんな少女の心の揺らぎくらいは、シドでもなんとなく察しが付く。
だからこそ、ここできちんと、教え諭さなければならないのだ。勇み足は常に得策というわけではない。
「今はその時期じゃないってだけさ。魔法が絡んだ犯罪なんだ、遅かれ早かれ、俺たちにお鉢が回ってくる。そのいざってときに準備ができてないとか、余力が足らなくて動けないなんてなったら、それこそ最悪だ」
若さと真面目さゆえの拙速な行動に走りがちな弟子をなだめるように、シドは真摯に言ってきかせる。かつて、自分の師がそうしてくれたように。
「その時が来たら、君にも嫌ってほど活躍してもらうからそのつもりで。今はおとなしく、腕を磨いておいてくれ」
……約束ですよ、とじっとシドを見つめるローズマリー。彼女の瞳の輝きは、昔どこかに置いてきてしまった情熱を否応なしに思い出させる。いまの彼にはいささか強すぎる光を前に、彼は運転にかこつけて、少女から目をそらした。
「魔法使いもどきと、おクスリ絡みの話は、ひとまずアンディからの連絡待ち……なんだけど、他の方面から攻める準備は進めてるんだ。クロスケ、そこの封筒、渡してやってよ」
「猫使いの荒いご主人様だねぇ……」
文句をたれながらクロがくわえてきた封筒の中身は、エマから送られてきた書類だ。きれいな指でページを繰りながら読みふけるローズマリーの熱心さときたら、傍から見ていても車酔いが心配になる。
「逮捕した魔法使いもどきが、例外なく留置場で死んでたのは覚えてるだろ? あの原因を姫様が調べてくれた」
せわしなく紙面を走っていた少女の視線は、ある一つの単語に吸い寄せられ、止まった。
「……魔力中毒?」
「俺たち魔法使いの体では、何もしなくても勝手に魔力が生成されてて、体内を循環してるのは知ってるな?」
「もちろんです。魔導士養成機関の座学で習いました。使われなかった魔力は失活して、体に再吸収されるはずですけど」
「じゃあ、もし、魔力が再吸収されないままだったとしたら?」
ローズマリーが答えを出すまでの、ほんの少しの間。ちょっと間抜けなチンクエチェントのエンジン音と不均一な振動が、一同を包む。
「……魔力がどんどん、体に蓄積しますよね? それが命に関わるものなのですか?」
「ハンディアの姫様が言うことにゃ、どうもそうなんだと」
万屋ムナカタの面々は皆、生まれついての魔法使いである。魔力の失活は体に備わった生理作用であり、普段の生活で意識することなどないから、魔力中毒が何たるか知ってこそいるけれど実感はない。
いずれにしても、後天的に魔法を獲得した者たちには失活機構が備わっておらず、その意志に関係なく生成された魔力が体内で刻一刻と濃縮され、ついには体を蝕む――というのがエマの見解だ。
「無理やり魔法を使えるようにしてるわけだからな。どこかに歪みが出てきても不思議はない、ってことなんだろ」
「そうすると、魔法使いもどきを捕縛した後は、強制的に魔力を失活させないといけませんよね? そんなことできるんでしょうか?」
「姫様もそこまではわからんとさ。でも、吸い出すことならできそうだぜ?」
そんなまさか、と一笑に付しかけたところで、少女はなにか思いついたらしい。ぱっとシドに向けた眼差しは、見つめるというより睨むといったほうが適切だ。
「……まさか先生、私のトンファーを使うっていうんじゃありませんよね?」




