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魔導士はつらいよ〜万屋ムナカタ活動記録〜  作者: 白猫亭なぽり
第10章 猫とメイド不在の日々
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10.13 化学と魔法の両方が必要になるわけだが

「まず第一に、警察と薬学研で同定にまで至っている物質。これらは一般的な薬効成分と考えてまず間違いない。問題はそれ以外の成分なんじゃが……お主らがハンディアにきたとき、吸血鬼の話を少ししたのは覚えておるな?」


 肯定の意を示したカレンとシドだが、エマの意図をくみとりかねているのか、顔には戸惑いの色が浮かぶ。


「その時に、吸血鬼の眷属(けんぞく)の増やし方について話したと思うんじゃが、そこまではどうかな」

「……ええ、覚えていますわ。神経系を支配する成分を注入するんでしたわね? でもそれが」


 カレンの頭によぎったある可能性が一時(いっとき)言葉を奪い、表情までも強張らせる。


「まさか、それと同じ成分が検出されたと?」

「あそこまで強い成分ではないが、機能としては似ておる」

「ちょっと待て、姫様」


 アンディが持ち込んだ薬品のサンプルに、神経を支配する成分が含まれている。それは本来、鳩を飼うのが趣味の老人の家にあるはずのないものだ。

 事ここにおよんで意外な展開に転がってゆく事態に混乱しそうな頭をなだめすかしながら、シドは質問を続ける。


「あの薬を摂取すると、つまり……誰かから操られるってことか?」

「コーヒーでも飲んで少し落ち着け、坊主。今から順番に説明してやる」


 にわかに信じがたい話に対応しようと頭の整理しにかかる二人を前に、エマは淡々と説明を続ける。


「まず重要なのは、あの薬を摂取したら即、誰かの操り人形になるというわけではないことじゃ。あれでできることはせいぜい、脳の防衛機構をだまくらかして精神的に支配できるような道筋を立てるまで。城を何重にも取り囲む城壁に、人ひとりが通れるだけの穴が空いた状態を作る、そういうイメージをすれば良い」


 いつかのようにシドから万年筆をひったくったエマは、紙ナプキンに図を書いて魔導士たちの理解を促す。 


「だが、それだけでは、普通よりちょっと言いくるめられやすい程度の人間が出来上がるだけじゃ」

「人の神経を支配するには、もうひと押しスパイスが必要。そういうことですわね?」

「左様。それができるのは魔法においてほかにない。俗な言い回しをすると催眠術あたりだな」


 催眠術や洗脳といった、他者に何らかの暗示をかける類の魔法は確かに存在し、魔法の分類としては【精神操作】と称される。ただし、魔導士管理機構(ギルド)の帳簿に記載されている使い手の数は極めて少ない。技術的に難しいというのもそうだが、痕跡が明確に残らず効果が見えにくいので、発現の認定を下すのが極めて困難というのが最たる理由だ。


「……正確なところはわかりかねますが、管理機構(ギルド)で把握している限りでは、【精神操作】を使う魔導士は数人もいなかったはずです。薬の助けを借りたとしても、他人の行動を支配するレベルの魔法を使える者は、相当に数が限られると思うのですが」

「そこまでの技量の持ち主になればそうかもしれんが、心理や感情を動かす程度となれば、どうだ? 多少は心当たりもあるのではないか?」


 そんな都合のいい魔法なんてあったかしら、とシドとカレンは顔を見合わせる。

 荒事の場に立てば、相手の行動や心理を読み、言葉や振る舞いで誘導を試みることはある。だが、それは駆け引きの範疇(はんちゅう)に収まるやりとりであって、魔法ではない。


「お主らもまだまだじゃの。魔導士ならもっと発想を柔軟にせんか」


 明確な答えを自分たちの中に見つけられず、やや困惑した面持ちの二人をみて、幼女が鼻で笑う。


「例えばそうじゃな、迷惑や面倒をかけられているのに、どことなく憎めないやつ。見かけも能力もさほど光るものがないのに、どういうわけか異性に好かれるもの。歌も踊りも顔も喋りも演技も、何もかも一線どころか二線三線劣るのになぜか大人気の小娘」

「エマ様、いくぶん私怨(しえん)が混じってませんか?」

「……まあ、最後のは、売り出しかたが上手いということにしてやろうかの」


 アリーに指摘され、少々不服そうに言い(つくろ)ったエマは、空咳のあとに説明を続ける。


「言葉にし(がた)い、人を()きつける何かを備えている者がちょいちょいおるというのも事実じゃ。本人に自覚があるかどうかはわからんし、程度の強弱もある。だが、【魅了】に似た魔法にあてられた者たちが心奪われ、ある種の行動を誘発されるというのは、それほど不思議な話ではないと、我輩は思うがな」


 エマから奪い返した万年筆でメモを取るシドに、一度聞けば覚えられると行儀よく座って話を聴くカレン。対象的な二人を前にして、幼女の独演会は続く。


「いずれにしても、人だろうが動物だろうが、その行動を外部から(・・・・)自在に操ろうとすると、化学と魔法の両方が必要になるわけだが」

「それらを兼ね備えてる魔導士となると、相当数が限られますわよ?」

「その点はお主の言うとおりじゃ、ガーファンクルの娘よ。たとえ魔法に長じていたとしても、薬学の知識がなけりゃ薬を作りようがない。素人には絶対に無理じゃ。吸血鬼なら自分の体液から分離すりゃいいかもしれんが、それでも設備の問題が残るからな」

「あんたは、どうなんだ?」


 不躾で言葉足らずもいいところのシドの質問の意味を解しかねたか、エマが可愛らしい眉を寄せる。


「ハンディアの設備があって、吸血鬼がいる。医学の専門家も揃ってる。神経系を支配する薬剤とやらを作るには恵まれ過ぎれる環境じゃないか?」

「お主の言いたいことは大体わかったが、こっちにもできない理由があっての」


 出所不明の薬剤を分析させた挙句に「これお前らが作ったんじゃねぇの?」と暗にほのめかされたら普通は怒るところだろうが、姫君からすれば想定内の質問だったのか、見たところご立腹の様子ではない。


「我輩はもともと、その手で眷属を増やすのは不得手でな。件の成分の生成量が極めて少ないんじゃよ。なんなら試してみるか?」


 冗談めいた提案を慌てて断るシドを見て、エマはおかしそうにクスクスと笑う。


「吸血鬼にも個人差があっての。吸血行為に乗じて神経を乗っ取る芸当ができるのは、だいたい二割程度の連中だな。五割は魔法に頼らにゃならん。残り三割はそれすらできない半端者じゃ。我輩は最後のグループに属する、凡庸(ぼんよう)な吸血鬼もいいところじゃ」


 吸血鬼というだけで非凡だと言うのになにをぬかすか、とシドにじっと見つめられても、当の本人は柳に風といった風情で、特に気に留めることもなく説明を続ける。


「それに、我輩も化学や薬学について一通り学んでこそおるが、より掘り下げた知識を要する話や実際の調薬作業は専門家に任せっきりだ」

「他の連中はどうだ?」

「医学を(おさ)めた魔導士はいるが、薬学を修めたものはおらん。そっちの専門家は、皆魔法に縁遠いものばかりじゃ」


 エマの言葉を信じるならば、このイスパニアのどこかに、薬物と魔法による精神操作を得意とする無免許(モグリ)の魔法使いがいる、ということになる。それを探し出すのは相当骨の折れる仕事になるだろう。自然、シドからため息が漏れる。


「こちらが提出したサンプルのうち、一般的な薬効成分が四割。ハンディアでの分析で判明した、脳の防衛機構に干渉する成分が三割。残りの三割の成分が不明、ということでいいでしょうか?」

「ああ、そのとおりだ。本来なら一〇〇%(つまび)らかにしてやりたいところなんじゃが、残り三割に関しては、ハンディア(こっち)にも適合するデータがなくてな。脳に作用する、というところまではわかっておるんじゃが……期待に答えられなくて申し訳ない」


 しおらしい様子で頭を下げるエマを見るのは始めてで、二人は面食らってしまう。


「こちらも無理を言って分析をお願いした立場です、お気になさらず」

「あんたほどの専門家がわからないって言ってるんだ、よほど、特殊なものなんだろう」


 多少なりとも慰めになれば、という思いを乗せたそれぞれの言葉は、果たしてこの小さな専門家に届いているだろうか。

 顔を上げたエマはしばらく悔しげに唇を噛んでいたが、やがてぽつりと漏らすように話し始める。


「……その分析の話は、実は続きがあっての」

「エマ様、まさか、あの話をなさるおつもりですか?」


 珍しく狼狽した様子で、アリーが主人の言葉を遮る。


あの件(・・・)に関しては、標本(サンプル)数も追試も何もかもが不十分です。あなたが一番良くご存知のはずでしょう? 不正確なデータを外部に提供したとなっては、ハンディアの信頼にも関わります」

「我輩も科学者じゃ、それくらいは今更お主にいわれずとも心得とる。でもな、この者たちの捜査の一助になるであろう情報を伏せたまま帰れるほど、人間味をなくしたつもりもない。

 だいたい、この報告書だって同じじゃよ、アリー。我々が提出したデータを信頼し、どう活かすかは、結局の所、この二人次第じゃ」


 主人にそこまでいわれてしまっては、さすがのアリーも引き下がらざるを得ない。心から納得はしていない様子ではあったが、


「エマ様が二人を信頼なさるのなら、私はそれに従います」


 と告げ、一歩引いた立ち位置に戻り、口を一文字に結んで事態を見守る。


「心配するな。なんかあった時の責任は我輩が取る。責任者は、責任を取るためにいるんじゃからな」


 どことなく心配げな忠臣を安心させるかのように、エマは統治者らしく笑いかけ、力強く断言してみせた。

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