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魔導士はつらいよ〜万屋ムナカタ活動記録〜  作者: 白猫亭なぽり
第10章 猫とメイド不在の日々
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10.12 それが研究者の矜持だ

 およそ十分後。

 丸テーブルにずらりと並べられたデザートを囲む一同だったが、眼をキラキラさせているのは、たった一人だけだ。

 視線を一身に集めているのも気にせず、美味いのぉ、と絶え間なくフォークを動かしているのはエマ。満足そうにケーキを頬張り、時折ほっぺたにクリームなんぞくっつける姿は、顔立ちも相まって実に愛らしい。ハンディアの民が天使と称し(あが)めるのもある程度なら理解できる。

 だが、彼女の眼の前にうず高く積まれた空の皿は、その幻想をぶち壊すのに十分な破壊力を備えていた。


「吸血鬼ってよりは、食欲魔神じゃねーか」

「ん、なんか言ったか、坊主?」

「姫様は今日もお美しい、って言ったんだよ」


 もっともっと褒めるが良いぞ、とばかりに鷹揚(おうよう)に頷き、目についた皿から討伐せんとばかりに挑みかかるさまを見せつけられてしまっては、大の男であっても食欲なんて吹っ飛んでしまう。現にシドが頼んだのはコーヒーに、何のトッピングもないワッフルだけ。シュガーポットなど見たくもないと、こっそり視線に入らないところへ動かす。

 その隣のカレンは、冗談のようなペースで積み上げられてゆく皿と、デザートを胃の腑に収めてゆくエマを交互に眺めている。空になった皿が十枚を越えたくらいで


「健啖家でいらっしゃいますのね……」


 といったきり、目を丸くしたまま、ティーカップが冷めるのも忘れる有様だ。

 そして、主人の戦果(・・)に頭を抱えているのが、専属メイドのアリーだ。ベテランと思われるウェイターですら、皿を下げに来る度にちょっと引き気味の気配を醸し出してしまっているのだが、それが恥ずかしくて仕方ないらしい。

 その件については、シドも責任の一端を感じている。アリーは当初、ページ単位でデザートの注文をしようとしたエマを(いさ)めようとしていたのだが、分析の依頼主二人に「お礼でもありますから……」と引き止められ、渋々引き下がった経緯があるのだ。


「あの、エマ様、そろそろ分析結果の説明を……」

「うん、わかった。十秒待っとれ」


 そろそろ本題に入ってもらわないことには時間が足りなくなる、と切り出されたエマは、秋の果実のタルト三切れをきっかり三口で平らげてみせた。ヒトの食事において必須の行為である咀嚼(そしゃく)をすっ飛ばすという医者らしからぬ暴挙を前に、アリーは眉間のシワを一層深め、シドとカレンは驚き呆れてただ目を丸くすることしかできない。

 そんな大人たちをよそに、幼女は積み上げた皿を下げさせ、鼻歌交じりに資料を広げた。


「さすがはガーファンクル家の娘、顔が広いのう。ここは実に我輩好みじゃ。欲を言えばこっちのページの分も所望したいが」

「後でいくらでも食わしてやるから、先にこいつの説明をしてくれねーか?」


 堂々巡りのやり取りを止めんとする彼の催促に、エマは唇を尖らせる。

 

「せっかちな男はモテんぞ?」

「先に仕事を済ませようぜ、って提案してるだけだ」


 エマにデザートを堪能していただくのは構わないが、それは分析結果を聞かずに帰る免罪符(めんざいふ)とはならない。シドもカレンもガキの使いではないのである。


「ほいじゃ、前置きはここまで。さっきも言ったとおり、必要なことだけかいつまんで話をするぞ。聞きたいことがあったら都度質問せい」


 準備を終え、シドとカレンの方に向き直ったエマの顔には、甘いものにうつつを抜かしていた幼女の面影などどこにもない。先程のだらしなさのにじむ笑顔はどこへやら、専門家らしい引き締まった面持ちを取り戻し、魔導士の大人たち相手に講義(・・)を始める。



「化学分析の対象は、成分の質量、構造、そして含まれる元素の三つ。お主らが持ち込んだ薬物がどんなものからできていて、どんな造りをしているかを解明するために行うわけじゃ」

「その分析をすることで、薬が体に与える効果までわかるもんなのか?」

「全てわかるとは言わんが、ある程度の推測はできる。少し専門的な話になるが、分子の端っこについている元素や基の違い、原子同士の結合の仕方によって、薬効成分の効き具合いや特性に差が出るんじゃ。分子構造が似ている物質は、基本的な特性も大体似てくる程度に思っておればよい」


 餅は餅屋、とはよく言ったものである。

 化学と医療に関しては素人同然のシドやカレンではあるが、依頼している立場である以上、理解するべき知識が当然存在する。エマは膨大な情報の中からそれを的確に選り分け、二人の理解を促してゆく。


「順番に話をする。計測結果自体は、警察も薬学研も我輩たち(ハンディア)もそう変わらん、ほぼ同様じゃ。異なる計測手法をいくつか試してみても大差なし。三つの機関でそれぞれ計測し、その結果が同じとなれば、計測手法自体に問題はないといってよい」

「それは、ハンディアの技術を持ってしてもあの薬が何なのか特定できなかった、ということですか?」


 まあそう焦りなさんな、とカレンをなだめた幼女は、砂糖のたっぷりはいったミルクティーで喉を潤す。


「分析ってのは、試料を機械にかければはい終わり、ってものじゃない。むしろ、機械が数字を吐き出してからが始まりじゃ。そいつをもとに、試料にどんな成分が含まれていて、それがどんな構造をしているかを特定する。それこそが分析の本題よ」


 いつもだったらわかりやすく得意げな顔をしそうなものだが、エマの表情は決して明るくはない。先程までケーキを頬張っていた幼女と同一人物かどうか、ちょっと疑わしくなるくらいだ。


「警察では、解明できた成分が三割、薬学研では四割だったな。我々が特定できたのは、七割だ。七割までわかったのを良しとするか、三割も未知の部分が残っていると考えるかは、お主らに任せるよ。こっちとしては、わからんものはわからんとしか言いようがないからな」


 ちょっとよろしいかしら、とカレンが手を挙げる。


「同じ薬物を分析したのに、特定できた成分の数が違うのはなぜですの?」

「有り体に言ってしまえば、蓄積されているデータの差じゃ。

 仮に、未知の薬品Xを装置にかけて出てきた数値と、既知の物質Aの数値を比較したとする。それらが合致すれば、X=Aとみなせるわけだが、ここまではいいな?」


 化学の素人二人(シドとカレン)が頷くのを確認して、エマは先に話をすすめる。


「物質の同定というのは、言い換えれば既知のデータとの突き合わせ作業じゃ。新たに取得したデータと、既知のデータを片っ端から比較して、未知の物質が何かを推定していく。(しか)らば、多くの物質のデータを手元に揃えているほど、成功率が上がるというわけじゃ」

「ハンディアは警察や薬学研よりも多くのデータを持ってる、ってわけか」

「一概にそうともいい切れん。ヤツらが本当にデータを持ち合わせていないのか、持ってはいるけれど比較対象とできない理由があったのかはわからんし、我輩もそこまでは興味ないしな。

 お主らが持ち込んだ話となると、事態(コト)が相当厄介だというのは想像がついたからの。学術雑誌(ジャーナル)で発表も公開もされてない物質のデータまで引っ張り出して、ハンディアの分析部隊をフルに使った」


 高く付くぞ、とつぶやくエマを見て、シドの脳裏にあの栄養剤(・・・)が頭に浮かぶ。体質的に不可能と思われていたローズマリーの魔力放出を実現し、警察や薬学研がその成分を特定しきれずにギブアップした挙げ句、エマの正体を知る切っ掛けとなった、あの薬だ。

 あの一件で、自分たちの理解の範疇(はんちゅう)を越えた薬物が世に存在する事実を目の当たりにすると同時に、ハンディアの医療技術がいかに高度で異端かということを嫌というほど思い知らされた。エマたちの技術は疑いようがないし、ハンディアという場所の特殊性も自分の目で確認済み。

 それでも、シドは疑問を口にせずにはいられない。


「あんたらが持ってる、公開されてない物質のデータとやらは、本当に信用に足りるもんなのか?」


 論文になっていないということは、学術的に認められていないのと半ば同義。そんなデータを下敷きにした解析結果を信じてよいのかと、素人なりに真っ向から噛み付いたシドは、エマの反応を伺う。


「気持ちはわかるよ」


 彼の予想とは異なり、彼女の表情は存外穏やかだ。


「未知の化学物質の生成も同定も、本来は多くの査読と追試を経て、その健全性が立証されるべきものだからな。その過程を経ていない以上、この報告書の信憑性(しんぴょうせい)に疑問を持たれるのは無理もない。坊主、お主の疑問は至極(しごく)真っ当なもんじゃ」


 だがな、とエマは腕を組み、ニヤリと口角を上げる。


「研究者が自分たちの実験結果を提供するってのは、心臓を差し出すようなもんだ。そこには絶対の自信がある、と思ってくれて良い。それが有名な学術誌(ジャーナル)だろうが、公的機関からの依頼だろうが、患者からの質問だろうが同じことだ。

 今持っている技術と設備で、可能な限り正確なデータを取り、それをもとに分析し、推察する。自分のデータを改竄(かいざん)して人を欺くくらいなら自害する。それが研究者の矜持(きょうじ)だ」


 堂々たる幼女の啖呵(たんか)に、アリーが小さく拍手を送り、称賛する。

 そこまでやられてしまっては、シドも覚悟を決めるしかない。エマが持ってきてくれたこのデータを信じて、次の一手に踏み出すほかに、もはや道はないようだ。


「そこまで言うなら、信じるしかねーよな。悪かったな、疑うような真似して」

「別に気もしとらんよ。そもそも、我輩たちは分析しろという依頼に答えたまでだ。それをどこまで信じるかも、捜査にどう活かすも、最後はお主ら次第じゃし」


 ハンディアの誇る小さな統治者、その度量の深さに内心で敬意を払いながら、シドは話の続きを促した。

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