10.11 最高のおもてなしをしてさしあげませんと
謎の薬品の分析依頼は、案外簡単に受理された。
カレンとシドから一通りの話を聞いたエマは、いくつか質問をするくらいで、特に渋る様子もなく分析を引き受けてくれた。とはいえ、別れ際に
「わかっておるな、坊主?」
とシドに釘を差すのを忘れないあたり、ずいぶんと意地汚い。姫様にしてはずいぶんしみったれてる気がするけれど、それで分析を引き受けてくれると言うなら安いものである。
もう一つシドを困らせているのが、カレンまで張り切り始めてしまったことだ。エマの言葉を訝しんでいたのは最初だけ。シドから事情を聞くと目を輝かせ、
「最高のおもてなしをしてさしあげませんと。そちらの方は、私とウルスラにお任せください。ええ、大船に乗ったつもりで構いませんのよ」
などと宣言するやいなや、善は急げとばかりにあちこちに電話をかけ始めたのだ。彼女に任せておけば変なことにはならないだろうが、大事になる可能性は十分にあるので、シドとしては気が気でない。
とにかく無事に終わってくれ、という思いを抱えたまま、シドは分析結果の報告会を迎えることになる。
報告会当日、午後、王都・グランドホテル。
一台のリムジンがロータリーに滑り込み、玄関前で静かに止まった。
後部座席から優雅な仕草で降り立つのは、医療都市ハンディアの統治者・エマ。トレードマークの黒衣こそいつもどおりだが、その下に纏うのはフリルで彩られたブラウスにタイトスカートと、いつもよりもフォーマル側に寄せた装いだ。ド・ゴール人形さながらの顔立ちに浮かべた堂々たる笑みも、いつもの三割増しで輝いている。
その後ろに控えるのが、エマの専属メイド・アリーだ。車のキーをホテルマンに預けると、頑丈そうなブリーフケースと日傘を携えて、主人の二歩斜め後ろできちんと立っている。並の女性なら体が傾いでしまいそうな荷物を抱えてなお、背筋を伸ばして構える姿はまさにメイドの鑑だ。
「長旅、ご苦労さん」
その二人を出迎えるのは、我らがシド・ムナカタである。いつもはクローゼットに吊るされている一張羅のスーツにネクタイ姿も、着ればそれなりに様になっている。うっすらと漂う付け焼き刃感はご愛嬌、慣れない格好故にどうかご勘弁を、といったところだ。
「それでは、姫様。ご案内いたします」
「うむ、よろしく頼むぞ」
いつもと同じ鷹揚な態度のエマと、冷徹な眼差しとともに一礼するアリーを引き連れ、シドはホテルの中庭を目指す。
そこあるのは、大きな池。
極東の庭園に着想を得た、と設計者が公言しているそれは、イスパニアのホテルの多くで採用されている左右対称のコンセプトとは無縁のものだ。植栽の豊かさと相まって、人工池でありながら、さも太古の昔からそこに水をたたえていたと思わせる装いである。
池の真ん中は小さな島が浮かんでおり、そこにかかる橋のたもとでは、振袖姿のカレンが微笑んでいる。
「お久しぶりです、エマ様」
「お主も元気そうじゃな、ガーファンクルの娘よ。てっきり会議室に連れて行かれると思っておったんじゃが、ずいぶん雅やかな場所でやるんじゃのう」
「お気に召していただけましたか?」
満足そうにあたりを見回すエマを、島の一角に設えられた東屋へいざなう。
この中庭、実は国賓のもてなしに使われたこともある場所である。普通なら予約なぞほとんど取れないはずなのだが、カレンは気軽に電話をかけて確保してみせた。名家の娘恐るべし、といったところである。
「ずいぶん気の利いた計らいではないか?」
「エマ様にはこの件でずいぶんお骨折りを頂いたので、ぜひその御礼がしたいと、ムナカタ君が提案してくれまして」
「そうか! お主にしては気が利くな、坊主!」
そこまで依頼した覚えはねーぞ、と思わずカレンの方を見るシドだったが、誰一人として彼の様子を気に留めることなく、話が進んでゆく。
「今日はお招きいただき感謝する、カレン・ガーファンクル。そして、シド・ムナカタ」
「こちらこそ、よろしくご教授くださいませ」
「よろしく頼む」
丁寧な挨拶のエマとカレン、簡潔な返事のシド、静かに深々と一礼するアリー。
四者四様の挨拶を皮切りに、報告会の名の割には和やかだが、お茶会としては緊張感に満ちた不思議な会合が幕を開ける。
「事前に連絡したとおり、お主らに頼まれた成分分析の結果を持ってきた」
エマに促されたアリーは、机の上にバインダーを積み上げる。
「お主らに専門的な話をしても仕方ないから、ここでは簡単な説明と、そこから推測される結論だけ話す。我輩たちにできるのはここまで。こいつを活かせるか否かは、お主らの頑張り次第じゃ」
「心得ておりますわ」
「うむ。それじゃさっそく」
本題に入ろうと意気込んだエマだったが、腹が可愛らしい鳴き声を上げるものだから、頬を朱に染めて小さくなってしまう。
「……エマ様、はしたないですよ?」
「し、しかたなかろう? 我輩だって生きておるんじゃ、腹の一つや二つも空くというもの」
「朝食をお残しになられたと報告を受けていますが、それとなにか関係が?」
「まさか、そんなわけないじゃろ、アリー」
動揺をまるっきり隠せていないエマを見るアリーの眼差しに、猛禽類を思わせる鋭さが加わる。
傍から見れば、幼い女主人に教育的指導をくわえる年長のメイドといった趣きだ。疑いの目で見られてあたふたと対応するエマは、ある意味歳相応で微笑ましい。暴発した腹時計の言い訳をしているこの幼女が、実は悠久の時を生きる吸血鬼だと告げても、きっと誰も信じてはくれまい。
「アリーさん、それくらいにしてやってくれないか」
止めに入ったシドの言葉に、ムナカタ様がそうおっしゃるならとアリーも矛を収める。報告のついでに食事でもと誘ったのは他でもないシドたちだ。その手前、ここはちゃんと止めに入らねばなるまい。
「さっそくですけど、なにか頼みましょう。エマ様、何にいたします?」
ベルを鳴らしてウェイターを待つ間、エマは楽しげにメニューとにらめっこしている。とても医療都市を統べる研究者とは思えないその振る舞いをカレンが微笑ましげに眺めている一方で、シドの表情からはぎこちなさが抜けていなかった。
ハンディアで目の当たりにした、彼女の大食漢っぷりが頭をよぎる。アリーの話が確かならば、あろうことか朝食を控えているというではないか。そんな彼女が一体どんな注文を強行するかと考えると、どうしても不安を覚えずにはいられないのである。




