10.8 完全にお手上げじゃねーか
最大の疑問は、どの写真も怪物やシドたちを俯瞰する構図で撮られていること。あの内覧会は出資者と関係者が対象のもので、報道機関の類は一切入っていなかったはずだ。
「空撮だろ? ヘリなんて飛んでた記憶、ないけどな」
ちょっと離れたところにいたはずのクロが、いつの間にかシドの足元に寄ってきている。アンディからは見えない位置に陣取った彼女は、シドの言葉に大きく頷いた。
「ラジコンみたいなもんが飛んでた記憶もないし……近場に怪しい影もなかった。魔法でカメラを遠隔操作すりゃできるかもしれねーが、そんな魔法を使えばすぐにわかる」
「そういうもんなのかい?」
「よく効く耳や鼻を持ってりゃ造作はない」
どういうこっちゃ、と首をかしげるアンディをよそに、シドはこっそり足元に目線を落とす。シドが記憶をたどりながらつぶやく度に、クロは首を縦にふる。
――相棒がこう言っているなら、間違いはないか。
多くの猫がそうであるように、クロの感覚は極めて鋭敏。特に優れた聴覚が武器である。嗅覚も犬ほどではないが悪くない。おまけに魔法で感覚器を【強化】できるときている。そんな彼女に察知されずに怪しい行動を取るというのは、もはや不可能に近い。
怪物の盗撮を目論む怪しい人影はなかった、というのが、万屋ムナカタ側の結論だ。「正直、誰がその写真を撮ったか見当もつかねーよ」
「CCも同じことを言ってたね。空からこの写真をとったのは明白なのに、事件当日、飛行機やヘリの姿はなかった。該当地域周辺は飛行禁止区域に指定されてる。民間の航空会社や軍のデータをみせてもらったけど、飛行機の類が近くにいたという記録はない」
「完全にお手上げじゃねーか…… 」
「……と、僕たちも思ってたんだけどさ」
そう言ってアンディが出してきたのは、先程とは別の小振りな茶封筒。納められていたのは数枚のネガフィルムだ。シドが見慣れているものより小さく、目を凝らしてみないと何が写り込んでいるのかわからない。
「そいつをよく見てごらんよ」
アンディに進められるまま窓辺に出向き、訝しみながらフィルムを光に透かしてて目を凝らしたシドは言葉を失った。
ネガに焼き付けられたのは、テーブルに広げられたままの写真とまったく同じ構図の風景だ。
「これ、どこで手に入れた?」
「可愛そうなご老人の自宅さ」
アンディいわく、事の発端は王都の旧市街でおきた異臭騒ぎだったらしい。
とある集合住宅の一室から耐え難い腐臭がする。そう通報を受けた警察が踏み込んだところ、老人が亡くなっているのが発見された。ネガフィルムはその現場で押収されたものだという。
「君が見ているフィルム以外にも、どこぞの政治家が愛人と密会してる写真とか、有名俳優の表にできない危ない性癖とか、その手のネガが見つかってる。そいつをタブロイド紙に売りつけて小遣い稼ぎをしてたみたいだな」
悪趣味の極みだな、とシドは容赦なく切り捨てる。
写真という趣味を否定する気はないが、人のプライバシーに踏み込んで出歯亀に及ぶとなれば話は別だ。彼に言わせれば、それは忌み嫌われ、唾棄される対象でしかない。どんな趣向にも限度というものがある。「さっきの怪物の写真も、そのジジイが撮影したのか?」
「ほぼ間違いないと思う」
「言うねぇ。その根拠は?」
今日は色々遺留品を眼にする日だ。
続いてアンディが取り出したのは、一見すると何なのかわからない黒い小箱。手のひらに乗るどころか、指でつまめるくらいのサイズだ。よく見るとレンズがついている。
「まさか、これ、カメラか?」
「フィルムのサイズとも合致するから、間違いない」
「こんなのどこに売ってんだよ?」
「好事家ってのはどこにでもいるもんでね。そういう集まりにいけば、子供にだって買える代物だ」
小型で軽量、いわゆるスパイカメラといったところだろうか。ファインダーやフラッシュもない筐体は隠し撮りに特化した証ともいえる。このカメラに合わせればフィルムが小さくなるのも当然。それを無理に引き伸ばしていれば、画質も悪くなろうというものだ。
「こいつを使って隠し撮りしたとしても、上から撮った説明はどうやってつけるんだ? カメラから羽が生えて飛んでったわけでもねーだろうし」
どんなカメラであっても、空撮するとなれば飛ばす手段が必要だ。機械でカメラを宙へと持ち上げたのではないとするなら、あとに残る可能性なんて魔法くらいのものである。
「例のジジイが魔導士だったか?」
「それはないみたいだ。遺体は腐敗が進んでたから司法解剖には回せなかったけど、少なくとも管理機構に記録はない」
「それじゃ、魔法使いもどきか?」
「……今日ここに来たのはね、センセイにそのあたりの意見を聞きたかったからなんだよ。普通なら突飛な考えかもしれないけど、|魔導士を見てると、案外通りそうな仮説のような気がしちゃうんだよね」
まだなにかあんのかい、とため息をつくシドをよそに、アンディは再び大判の写真を広げる。今度はカラーで画質も鮮明だ。裏には日付や時刻、撮影場所などの情報が記されており、警察が現場で撮ったものと容易にわかる。
「ご老人の住んでた部屋だよ」
日の差し込み方を見るに、南に面した部屋だろう。その壁際には棚がずらりと並んでいる。棚には格子が設えられているが、よく見るとはめごろしではなく、蝶番で開閉するようになっているようだ。
「なんか動物でも飼ってんのか?」
「鋭いじゃないか、センセイ。それがわかるだけ上々だよ」
自ら窓を開けてから再びソファに沈み込んだアンディは、新しい紙巻きタバコに火を点け、紫煙を深々と吸い込んだ。
「それはね、鳩小屋だ」
「これがねぇ」
シドは興味なさげに写真を返す。幼少期の頃に田舎で見た鶏小屋とはずいぶん違う以外の感想が正直浮かばない。
「ご老人、なかなかの趣味人だったみたいでね。自宅の一部を鳩小屋に改造して、伝書鳩を育ててたそうだよ。そっちの業界じゃ有名人らしい」
「こんな街中で? しかも賃貸物件だろ? 近所とひと悶着あったんじゃねーのか?」
想像の範疇を超えた趣味人の暴走に、シドの表情もいささか引きつり気味だ。
「近所はもちろん、家族とも揉めたらしくてね。長年耐えてきた奥方の堪忍袋の尾が切れて、三行半を突きつけられて今に至る、ってわけだ。生き物を飼う、ってのは怖いね」
いつの間にか出窓の方に移動していたクロを見るアンディだが、知ったことかとばかりにそっぽを向かれてしまう。
「日本の事情は存じ上げないけど、イスパニアの都市部の集合住宅じゃ生き物絡みのトラブルが増えててね。ペットの鳴き声やらしつけやらで揉めるケースがあるんだよ。クロスケ氏はそんなことないだろうけどね」
今更ご機嫌をとろうったってそうはいかないぜ、と黒猫が鼻を鳴らす。取り付く島がなくなってしまっては、アンディも肩をすくめるほかない。
「飼ってるペットが原因で、事件に発展するってこともあるのか?」
「最悪の場合は、ね」
隣人同士の諍いを引き金とした凄惨な事件も見てきているはずのアンディ。その返事は、短さに反して重い。何かしら思うところもあるのかもしれないが、それはこの場の話の本題ではない。
「アンディ、その可哀想な爺さんが鳩好きってのはわかったが、それが事件と」
何の関係がある、とは続けられなかった。
おぼろげながらもアンディの意図を察したシドは、机に広げられた資料の数々に再び目を向ける。他に妥当な道筋をつけられないのなら、生き残った仮説が正解となるのは自明の理だ。たとえそれが、普通ならありえないと一蹴される考えで、可能性と名付けるにはあまりにも細すぎる糸であったとしても。




