10.4 医者って大変だな
お小言の多い弟子が研修に出向いて不在であること。そして、久方ぶりの悠々自適の独り身生活。
これらは必ずしも等号では結ばれない。ものぐさな性格であるとはいえ、シドも一丁前に何でも屋を営む側の人間だ。彼女がいない間に、やっておきたいことはたくさんある。
その一つが、先日【同調】を使った際に負った怪我の治療だ。
怪物を葬り去った結果、シドは両腕の魔導回路の損傷という代償を負うことになった。あの日以降、折を見てハンディアに通っては、エマの治療を受けている。
なるべく早く治したいというシドの無理難題に、エマは皮肉や愚痴をこぼしながらも見事に対応してくれた。予想よりも短期間で荒事に復帰できる見込みが立ったのは彼女の治療あってこそだ。さすがは医療都市・ハンディアの姫君。シドの魔導回路は目覚ましい回復を見せ、治療として姫の元に出向くのもあと数度、以降は経過観察というところまで漕ぎ着けた。
だが、治療で足踏みを続けている彼をよそに、「魔法使いもどき」事件は収束どころか混迷の様相を呈しつつある。
王都を始めとする都市部で散発的に事件を起こした魔法使いもどきたち。その一部は警察によって捕縛されたが、追撃を振り切ってまんまと逃げおおせたものも多い。報道番組のトップニュースや新聞各紙の一面はその話題で持ちきりだ。
警察の頭を悩ませているのはそれだけではない。
逮捕された魔法使いもどきたちは皆、留置場で静かに音もなく死を迎えている。なおかつ、誰一人として魔導器官――魔力生成器官、魔導回路、魔力変換機構――を有していない。シド達がこれまで対峙してきた連中と一緒だ。
エマのドクター・ストップが明ければ、シドも再び捜査の前線に戻される。どんな魔法を相手にするかわからない以上、同じ轍を踏んで魔導回路を傷つけないように対策を講じたいシドだったが、その答えにたどり着けず、少々焦りを感じているのが現状である。
ローズマリーの研修が始まって数日後にも、シドは治療のためにハンディアを訪れていた。
午前中いっぱいかけて検査を終えたシドは、いつものカジュアル・スタイルに着替え、担当医の研究室の扉を叩く。同行していたクロには部屋の外で待つよういい含めておくが、返事代わりに威勢のいいくしゃみを返されては、今ひとつ締まらない。
「今日もよろしく頼むぜ、姫様」
ん、と生返事をしたエマは、机に積まれた検査結果を眺めては何やら書き込みをしている。肩に黒衣を引っ掛け、高い椅子に座って細いおみ足をブラブラさせながら仕事をしている幼女というのはどうにも不思議な光景ではあるのだが、本人のの眼差しは至って真剣だ。
シドが対面の椅子に座ってその仕事ぶりを眺めている間にも、姫様の専属メイド・アリーの手によって新たな紙束が持ち込まれる。書類をちらりと盗み見たところ、書き込みは全て自由都市連邦語らしく、シドではその意味を解せない。そうでなくとも医療に関してはド素人の彼のこと、たとえ日本語で書かれても、一体何を表しているのかは見当もつけられないだろう。
「医者って大変だな」
「なんじゃ、藪から棒に」
「いろんな検査結果を見て、総合的に判断を下すのって、やっぱり難しいんだろ?」
「まあな」
資料から目を離さず、そして書き込みの手を止めることなく、エマが答えてくれる。
「生命を扱うというのが単純に難しいのもそうだが、患者一人一人がまるで違う特性なのも、問題を複雑にしとる要因かもしれんな。工場の大量生産品なら品質はほぼ均一だろうが、人間はあいにくそうじゃない。同じ魔導士という肩書を持っていても、どこぞの不良魔導士とそのメイドじゃ、同じ病気でも向いている治療法も自然と変わってくる」
目を通した書類をそっとファイルに綴じ込んだ姫君は、愛用の椅子に深く沈み込むと大儀そうにため息をつく。
「それはそうとして、坊主」
くたびれて見えたのは、ほんの一瞬だけ。
そう言ってシドを見つめるエマの口角はなにかの期待に持ち上げられ、目もらんらんと輝いている。そんな見た目相応の振る舞いをみている限り、彼女が医療都市の統治者で、悠久の時を生きる存在だとは到底思えない。
尻尾をブンブン振り回す小型犬を思わせる愛らしさに苦笑しながら、シドは持参した包みを手渡した。その中身は彼女に限らず、年頃の女の子なら大抵が愛してやまない素敵な代物――甘いお菓子だ。
「でかした!」
椅子から飛び降りたエマが頭をわしゃわしゃとなでてくる。手付きは若干乱暴ではあるが、所詮は子供の力、大したことはない。苦笑したシドは、しばらくされるがままになっている。幼女に無理やりかまわれる中型犬、という図が一番近いだろうか。
「ホテル・オリエントにその者ありと謳われた名パティシエのマドレーヌ! 間違いない! 褒めて使わすぞ坊主! 感謝じゃ!」
「お褒めに預かり恐悦至極、ってな」
エマのリクエストにより買い求めた土産ではあるが、やたらと感嘆符の多い賞賛の言葉をいただいたとなれば、彼としても悪い気はしない。早朝から並んだ苦労の甲斐もあったというものだ。とはいえ、今後はできれば昼間でも買えるものをリクエストしてほしいというのが本音ではある。
「こういうときは、何ていうんじゃったかの……? たしか、『お主も悪よのう』だったか?」
「『いえいえ、お代官様ほどでは』……ってか?」
使い古されたやり取りを交わした後、二人は顔を見合わせて悪い笑みを浮かべる。傍から見れば仲のいい叔父さんと姪っ子だ。兄弟と言うには見た目の年齢が離れすぎているし、親子と呼ぶにはシドが若すぎる。
「いつもすまんの。我輩、こう見えても甘いものが好きでの?」
こう見えても何も見かけどおりじゃねーか、という指摘は野暮というものだ。木の実を大事そうに隠すリスさながらに、シドの手土産を秘密のキャビネットにしまい込むエマは、実に満足げである。
「さて、本題に入るかの」
お菓子に狂喜乱舞する女の子から、医療の専門家へ。
飛び乗るように椅子に座り、こほんと可愛らしく咳をすれば、舞台演劇で役者が仮面を付け替えるように、姫君の表情が一気に引きしまる。
「お主の魔導回路はきっちり完治しとる。魔法の使用も本日をもって解禁じゃ」
「そいつは助かる」
シドにとって魔法は生命線、文字通りの飯のタネだ。それを振るえるお墨付きをもらったとなれば、安堵のため息をつくのもやむなしである。
「とはいえ、無茶は禁物じゃ。一体どんな魔法を使えばああなるのやら」
「まあ、そのへんは、色々あってな……」
主治医の指摘に、シドも思わず言葉を濁す。
クロとの連携は彼の奥の手。契約書を交わして友好関係にある相手だからといって詳細を軽々しく明かしてよいものではない。
「まあ、今度同じことをやって、無事に完治する保証などどこにもない。肝に銘じておくんじゃな」
こいつは放っておくときっと無茶をすると判断したのか、優秀な主治医は無茶に釘を差すのを忘れない。
「少し長い説明をする。覚悟して聞け、寝るようなことがあったらはっ倒すぞ?」
半ば脅すような口調で宣言したエマは、乱暴な手付きでシャウカステンに二枚の写真をセットする。
「坊主、こっちの写真がなにかわかるか?」
「胸のレントゲン写真だろ? それがどーした」
「正解じゃ、よくわかったのう!」
そんな事を大仰に褒められては、逆にバカにされているとしか思えない。シドは思わずエマをにらみつけるが、まあ最後まで話を聞け、となだめすかされる。
「写真には欠くべからざる要素がある」
そういうとエマは真上を指さした。まさか天井であろうはずがないから、答えは自ずと一つに定まる。
「灯り、だよな」
「ほぼ正解じゃ。お主も旅行だの何だので写真をとったことくらいあるじゃろ? あれは被写体が反射した可視光をフィルムに焼き付けているわけだ。お主らがレントゲンと称しておるのも基本は一緒じゃ。光源にX線を使い、反射ではなくと透過という現象を利用している点で違いはあるがの」
「X線を通さないものは影として映る、だったか?」
「左様。つまるところ、体内の物質によって光の吸収率や透過率が違うことを利用して、内部を可視化するわけじゃ」
シドは医療技術に関しては素人もいいところなので、治療だけにとどまらず、こうやっていろいろ講義してもらえると非常にありがたい。怪我の功名、なんて言葉をふと思い出す。
「実は、音を使っても似たような事ができての」
「超音波をあてる、ってやつだろ?」
知っとったか、とエマは唇を尖らせる。
もっとも、シドが超音波診断のお世話になったのは病院ではない。アンディに頼まれてとある事件の現場検証に立ち会った際、壁の中にできた空洞の中をその手の機器で調べている捜査員を見たのだ。
「音の場合は透過ではなく、反射を使うんじゃがな」
「まるで魔法だな」
「魔導士に言われてちゃ世話ないのぉ……」
そう苦笑交じりに呟いたエマだったが、気を取り直したようにぽんと手を打つ。ここまではあくまでも導入編で、いよいよ本題に入るということだろう。彼女もまた、怪物を開発したシュタイン兄妹と同様、根っからの研究者気質。喋りだすと止まらないタイプなのだ。




