9.16 魔導士って、何だと思う?
「先生、どういうことですか?」
シドの説明は誰から見ても不十分。ローズマリーが首を傾げて質問するのも無理はない。クロにつつかれて、シドは頭をかきながら話し出す。
「研究活動にトラブルはつきものなんだろうが、あのレベルの事故が人為的に起こされたとなれば話は別だ。研究自体がお取り潰しにあって、最後に誰かが詰め腹を切らされることになりかねない。そんなの、当事者の誰が望む?」
関係者の全貌、具体的な素性は明らかでないが、どの組織に属しているかは、二人共知っている。
一つ、王立工科大学、特にシュタイン准教授の門下生。
二つ、陸軍の技術開発部。
三つ、魔導士管理機構を含むオブザーバー。
四つ、出資者たち――だが、彼らに怪物を御せるだけの技術を持っているとは思えないので、却下してもよいだろう。
「では、暴走が人為的に引き起こされたとして、先生はどなたが犯人だとお考えですか?」
あくまでも可能性という話だ――と前置きした上で、シドはメモ書きをたどった。
「シュタイン兄妹を筆頭に、王立工科大学の面々に怪物を暴走させる理由はない。学生は卒業がかかってるし、研究者はとにかく成果を欲しがってるはずだ。暴走だの自爆だのをわざわざ仕込んで、窮地に陥る真似をする理由がねーだろ」
「軍もそのあたりの事情は同じじゃないかい? 技術も、お金も、人も出してるだろ?」
内覧会当日の関係者の振る舞いを、シドは思い浮かべてみる。
シュタイン兄妹、特に兄の方は、共同研究者である軍の人間にずいぶん辛辣な物言いをしていたし、怪物の実戦投入で意見の相違もあるようだった。それぞれの思惑があるのは仕方ないとは言え、シュタイン兄妹と軍の関係は、もしかしたら盤石とは程遠かったのかもしれない。
「怪物の研究が頓挫したとしても、軍が受けるダメージはまだ軽いほうだ。予算を食いつぶして冷や飯食わされる奴は出るだろうけど、組織が立ち行かなくなるってことはない」
「でも、ヴィクトール先生とマリア先生は、そうもいかないってことですか」
「プロジェクトがそのまま飯のタネになるからな。怪物をいざお披露目する段で一番失敗したくないのは、まちがいなくあの兄妹の一派だ。その仮定に立つと、軍が事故の仕込みをしたってほうが、まだ話が通る気がする」
わかんないね、と黒猫がため息混じりに吐き捨てる。彼女がもし人間だったら、髪をくしゃくしゃとかきむしっていたことだろう。
「いくら軍でも、そんなにあっさり成果を捨てるかね?」
さすがにそこまではやらないのではという疑いがないわけではない。だが、イスパニア軍、特に陸軍は保守的な体質だ。実績のある、いわゆる枯れた技術を重んじるきらいがある。高性能だが不安要素がのこり、その解決に時間を要する新兵器と、旧式だが信頼性の高い旧兵器を並べたら後者を取るような連中だ。新兵器開発の予算が膨れ上がり、実戦投入や量産の目処が立たないとなれば、切り捨ての判断をしても不思議ではない。
「軍がやったってのが、一番説明はしやすいと思う。遮断器に仕掛けをするにしても、制御装置に仕掛けをするにしても、一番やりやすい位置にいる」
そうは言ったものの、シド自身、そんなにわかりやすい問題ではないという疑念から逃れられていない。
彼の頭の片隅にあるのは、魔導士管理機構の介入だ。 ただのオブザーバーに過ぎない立場の彼らは、わざわざ暴走した怪物の鎮圧に動かなければいけない立場ではない。それにもかかわらず、ガーファンクル卿は事態が急変するや否や動き出し、自ら前線に立ってシドに命令を下し、敵に一撃を見舞ってみせた。
――あの振る舞いはやりすぎじゃねーのか?
怪物の制圧に動く前に、卿は確かに中佐に声をかけ、非常事態の対応について許可を得ていたようだった。良くも悪くも、イスパニアの陸軍は面子を重んじる組織。非常事態に魔導士ごときの手は借りないと突っぱねるか、少なくとも一悶着か二悶着あってもおかしくないはずのところ、申し出をすんなりと受け入れている。事前に話が通っていない限り、あんなにスムーズに事は運ぶまい。
「先生、どうかなさいました?」
「こりゃあれだ、なんか思いついたときの顔だね。ちょっとほっといたほうがいいかもしれない。CC、しばらく表に出てようか?」
「……いや、別に構わねーよ」
シドはどこか心あらずと言った顔だ。弟子と使い魔の存在を認識してはいるけれど、意識してはいない様子。半分覚醒、半分夢の中といった面持ちで、壁に幾重にも貼られたメモ書きを前に、再度考えを巡らせる。
――管理機構が一枚噛んでいても不思議ではない、か?
彼らが介入しているとしたら、軍と裏で繋がりがないと不可能だ。先程の面子の件もそうだし、いくら怪物が魔力で動いているといっても、その実態は工学的ノウハウの塊、門外漢の人間である管理機構に扱えるシロモノではない。
――そもそも動機はあるのか?
魔導士と魔法を管理・監督し、今回の事件では一介のオブザーバーでしかない管理機構。彼らが積極的に怪物と関連する魔力運用技術を潰しにかかる理由があるか否か、シドは自らに問いかけてみるのだが――正直なところ、思い当たる節しかない。
魔導士管理機構は軍に輪をかけて旧い体質だ。個人単位で見ればともかく、組織全体の風潮として、ヴィクトールやマリアのように魔導士でない者が作り上げた魔法技術を受け入れる土壌は皆無といってよい。
特に年配で、管理機構の中枢にいるような古株ほど、「魔導士=選ばれし者」という認識が強い傾向にはある。魔法を管理する側としては、魔法が末代まで特別な技術のままであり続け、その使い手は選ばれしものであってほしい、と考えても不思議ではない。怪物に使用されている技術の普及は、魔法の使い手が増えることと同義。それに伴って魔法絡みの事件がいっそう増える、という心配はわからないでもない。
あるいは、自分たちが持つ魔法が失われる、とでも思っているのだろうか? 魔導士は皆、多かれ少なかれ自分の魔法に矜持をもっているものだ。管理機構は、そんな連中のなかでも特に技量と意識が高い者の集まりといっても過言ではない。誰も魔法が使えるようになる技術があるならば、それを野放しにしておくはずがあろうか?
「なあ、ローズマリー」
「どうなさいました、先生?」
「魔導士って、何だと思う?」
クロの説明を受けながら壁のメモを読んでいたローズマリーは、シドの唐突な質問を受け、戸惑いの表情を浮かべたままじっと考え込む。師匠の質問は簡単な言葉でできているが、その本質は、自分の有り様を問う、深いものだ。
「……少なくとも、魔法を使うだけの存在を、魔導士とは呼ばないと思います。それ以上の明確な答えは、今の私の中にはありません」
少女の答えは正直で、飾り気の無いものだ。もっといろいろ美辞麗句でごまかすこともできるはずなのにそうしないのは、彼女が真面目だからだろう。
「俺の友人に同じ質問をしたら、『危険な力を行使する者だ』って答えが帰ってきたことがある」
シドがまだ養成機関の訓練生だったころ、同じ質問をカレンに投げかけたことがある。
危険な力を行使するものです。
力を振るえる存在であるからこそ、資格化し、使える人間に自覚を促す必要がある。
そう考える者がいるのも事実です――。
父と兄の背中を追って育ったカレンは、幼い頃から管理機構で活躍する夢を持って訓練に励んでいた。彼とは腹を割って話せる間柄であったとはいえ、名家・ガーファンクル家の一員で、管理機構のお偉いさんを父に持つ身としては、あまり滅多なことを言えなかったのだろう。絞り出すようにそう答えた淑女は、その日一日、口をきいてくれなかった。
振り返ってみれば、彼女の言い分にも利がないわけではない。魔法は時として、人々を傷つける悪しき力となりうる。その自覚のないものに魔法を使わせるのは危険だ。
話が長いと叱られるかな、とクロの方をちらりと伺えば、行儀よく座って、しっぽをときおりゆらゆらと動かしている。彼女が何も言わないのをいいことに、シドはそのまま、自説を披露し続ける。
「それはそのとおりだ。魔法が危険な力に変わるのは、その使い方を間違えたときだからな。正しい力を正しい意図で使っている限り、問題は起きようがない」
さてここでもう一つ質問だ、とシドは話のベクトルを切り替える。
「シュタイン兄妹の発明である、魔力と魔導式を応用した大型二足歩行機械《モンスター》は、果たして危険な存在か否か?」
「そんなことはないと思います。暴走すれば危険というなら、そうならない措置を取ればいいのではないのでしょうか?」
迷いなく答えたローズマリーは、手帳の一ページを開く。
あの事故が起きた日、怪物から手渡された一輪の花。本来なら数日もせずに枯れてしまうであろうそれを、彼女は押し花にしていたのだ。
「みんながみんな、君のように考えられればいいんだが、あいにく世の中、そんな連中ばっかじゃなくてね。危険を回避するんじゃなく、危険とみなしたものを片っ端から追放しようとする人間は、俺や君が思ってるよりずっと多いんだよ」
それも理屈をよく知らないまま、自分で勝手な線引をしてね、という言葉はぐっと飲み込んで我慢する。少女に愚痴を言ったところでしょうがない。
「君の言う通り、シュタイン兄妹の技術は有用だ。しかもあの【逆変換】は、魔法を一般に普及させる可能性がある。一方で、制御を誤れば、あの怪物のような事故を引き起こす可能性があるわけだ。管理機構が後からオブザーバーとして加わったのは、その有用性と危険性を見極めるためなんだろうな」
そこまで説明したところで、少女の顔色が変わる。
「まさか、管理機構が怪物を危険と判断して、排除に乗り出したってことですか?」
物的証拠は、シドの手によって既に失われている。
だがそれも、彼の魔法の性質を知る、ガーファンクル卿の差し金だとしたら――?
「……あくまで可能性の話だ、物的証拠があるわけじゃない」
シドはぬるくなったコーヒーをあおって心を落ち着かせる。
今の彼の手元には何の証拠もない。すべては推測に過ぎないのだ。それに、もし管理機構が本当にあの事故の裏で糸を引いていたとしても、その内幕を暴くのは彼らの仕事ではない。
「いずれにせよ、俺たちにできるのはこれくらいのもんだ。物証を集めて犯人探しをするのは、軍とか管理機構の領分だよ」
「……珍しいですね?」
何がだよ、と振り向いたシドの瞳に映るのは、唇の端に薄く笑みを浮かべた少女。
「いつもだったら『金にならない仕事はしない』っておっしゃりそうなのに、ここまでいろいろ考えていらっしゃるのは珍しいと思いまして」
痛いところついてくるな、とシドは口をへの字にする。
彼女のいう通り、本来の仕事は、あの場で怪物を制圧した時点で、すでに終わっているのだ。シュタイン兄妹を中心としたプロジェクト、その内部のゴタゴタに首を突っ込んだところで一文にもなりやしない。
それでも、と彼は欲を出す。
魔法使いもどきの捜査、そしてこれからの万屋ムナカタの活動において、魔導士でない立ち位置から魔法を語り、論じることのできる人間は極めて貴重な存在だ。研究成果が失われた兄妹は気の毒ではあるが、一経営者として、どうにか彼らとの繋がり保っておきたいのだ。
「大人にはいろいろ考えがあるんだよ」
「お聞かせ願えますか?」
「さすがにまだ無理だ。悪いな」
また子供扱いするんですから、と不満そうなローズマリーだったが、牡蠣のように押し黙った師匠を見て処置なしと悟ったか、空になったコーヒーセット一式を下げにかかる。
「シド先生」
振り返ったシドが見たのは、いつもより少し小さく見える、弟子の後ろ姿だ。
「先生にとって、魔導士ってなんですか? ……いつかゆっくり聞かせてくださいね」
トレイを器用に片手で掲げたまま、一礼して部屋を出てゆくローズマリーを見送ったシドは、所在なげに天井を見つめる。先程までの熱弁が嘘のような、力の抜けきった顔だ。
「さて、こっからどうしたもんかな……」
目標は決まっていても、そこにたどり着くための次の一手が思い浮かばない。そのまま泡沫のように消えてゆくつぶやきを聞いていたのかいないのか、いつの間にやら窓辺に移動して丸くなった黒猫がピクリと耳を動かしていたのだが、シドはそんなこと、知る由もないのだった。




