9.15 CCだけのけものじゃかわいそうだぜ?
陸軍の射爆演習場で起きた、怪物の爆発事故。
その鎮圧にあたったシドたちは、紛れもなく事故の当事者である。当然、王都に戻ってからも、関係者との接触は自粛しなければならなかったし、時折軍や魔導士管理機構の担当者が事務所を訪れて、いろいろ話をさせられた。事故翌日の現場検証ですでに説明済みのはずで、痛くもない腹を探られるのも不愉快ではあるのだが、下手に目立って睨まれては余計面倒だ。当面は大人しくしているべきと皆に言い聞かせて、しばらく過ごしていた。
その間、捜査の進展も状況も、彼らのもとには届いてこない。とはいえ、シドはこれでも元傭兵部隊、軍には細くとも伝手がないわけじゃない。魔導士管理機構にだって、少なからず知り合いはいる。魔導回路の治療のためにちょいちょいハンディアに通う(エマにかなりこっぴどく叱られたのだが、本筋と関係ないのでここでは割愛する)傍ら、水面下で、ばれないようにこっそりと、情報収集に勤しんではいる。
そんなある日の昼下がり。
「お茶が入りましたよ……って、なんですかこれは!?」
帰宅早々、自室にこもったシドのためにコーヒーを淹れたローズマリーだったが、中の異様な光景に、思わずトレイを取り落としそうになる。
彼の私室は寝室というより、こぢんまりとした書斎といった表現がふさわしい。書き物机に本棚、知り合いから格安で譲ってもらった椅子に、組み立て式の簡素なベッドが備え付けられており、普段のずぼらでだらしない生活態度に似合わない小綺麗さである。ただし、その壁を除けば、という条件付きだ。
「ああ、見ちゃったか」
少女の声を聞きつけてすわ何事かと飛んできた黒猫だったが、非常事態でもないし、シドの部屋の事情も知ってはいたので、すぐに元の調子を取り戻している。
彼の私室の壁を埋め尽くしているのは大量のメモ書き。怪物の暴走について、独自の情報網を通じて聞いたこと、そこから推測されることをひたすらリーガルパッドに書きつけて、一葉ずつピンで壁に留めていった結果がこの惨状である。
メモの中核にあるのは、大学での事前テストから怪物暴走に至るまでのタイムスケジュールに現場の事故の顛末を書き加えたもの。そこからシドの私見が枝葉のように四方八方に伸びる構図となっている。
「悪いな、そこ置いといてくれ」
当の部屋の主は、その壁のそばに立ち、顎に手を当ててじっと考え込んだままだ。驚いた弟子や、いつもどおり飄々とした飼い猫には目もくれない。いつもと違う冷たい雰囲気に、ローズマリーは思わず背を震わせる。
「……ったくもう」
開け放たれたドアの前で立ち尽くしたままのローズマリーの足元をすり抜けたクロは、
「手のかかる、」
その勢いのまま、高く跳躍して、
「坊やだ!」
放物線の頂点でくるりと身を翻し、両足でシドの顔面を蹴る。
どこぞの東洋の巨人を彷彿とさせる見事なドロップキック、食らった方はたまったものではない。まったく予想していなかった飼い猫の叛逆に、シドは思わずふらつき、たたらを踏む。
主人を主人とも思わない所業の標的になっては、シドも黙ってはいられない。
「なんて猫だ!」
「油断大敵だよ、シド君」
「だからって飛び蹴り食らわすことねーだろうが!」
「驚きと疑問とその他諸々で立ち尽くした弟子をほっとくってのはどういう了見だい?」
ほら、とクロが顎をしゃくった先では、ローズマリーがトレイを持ったまま、壁に留められたリーガルパッドの束を見上げている。
「先生、これはいったい、何です……?」
部屋のすみ、書き物机の上にトレイを置いた少女は、必死に目を凝らしてメモの内容を読み取ろうとするが、やがてその解釈を諦める。シドの字が汚いというのは事実だが、一部の単語を除いて日本語で書かれていては、いくら成績優秀な彼女でもお手上げだ。
「シド君、さすがのお嬢さんも、日本語はわかるまいよ……」
「しょうがねーだろ、俺のメモ書きなんだから、何語で書いても勝手だろうが」
「……先生、説明、していただけますか?」
ずいっとローズマリーに詰め寄られたシドは、気圧されて一歩後ずさる。
「シド君、ちゃんと話しておやりよ。CCだけのけものじゃかわいそうだぜ?」
「ほら、クロちゃんもこう言ってることですし」
黒猫の援護射撃を受け、さらに加速するローズマリーを留められようはずもない。シドは諦めたようにため息をつくと、まだ熱いコーヒーで唇を潤して話し始めた。
「あの怪物について、ちょっといろいろ調べてみたんだ」
いつも使っている万年筆とは違う、少し太いペンで雑多に書き散らされた、シドの頭の中身。赤で書き加えられたコメントや、大きなバツ印とともに断ち切った可能性を、指でなぞりながら話し続ける。
「射爆訓練場に運び込まれる前に、怪物は大学での動作試験をパスしている。内覧会前日までは最終調整と本番の予行演習が中心だったらしいが、そこでも問題らしい問題は起きなかった。遮断器も機能してたし、停止命令を拒絶して暴走するなんてこともなかったそうだ。
電源を立ち上げたのは、内覧会当日の朝。最後に一通り動作確認をして、その後はヴィクトールが呼ぶまでは待機状態のままだったらしい」
「あの日はずっと、怪物に電源が入っていたってことですね?」
「逆に言えば、何か仕込みをするなら前日の夜までにすませなきゃならないってことだ」
「事前準備に関わってた連中には、全員チャンスがあったってことになるってことじゃない? そこから絞るってのは相当難しいよ?」
「誰がやったかはともかくとして、怪物の暴走は、誰かが何かしらの意図をもって引き起こした、ってのに間違いはないだろう。
あの兄妹が意図しない重大な欠陥があったってなら話は変わってくるが、そいつは一旦棚上げだ」
事前にテストを重ね、順調に動いていたものが致命的な問題を抱えていたとは考えにくい。その点は女性陣にも納得していただけているようだ。
「クロスケ、周囲に怪しいものはなかったんだよな?」
「君たちが相手取ったあいつを除けば、ない。そんなやつがいたら、ボクがすぐに気づいてる。格納庫の扉が開いてから状況が終了するまでずっと、あのあたりに怪しいヤツの気配は感じなかった」
部外者が魔法で外から操った可能性はゼロ、とシドは追記する。クロは猫らしく鋭い五感を備えており、特に耳と夜目が利く。生き物の気配に対しては特に敏感だ。そんな彼女の言なのだから、概ね信用していいだろう。
「怪物は待機命令の解除なしに動き出し、かつ非常停止信号を受け付けなかった」
「遮断器を落としたのに電力供給が止まらない、とも言ってましたよね?」
「その後にしばらくドンパチを繰り広げた挙げ句、自爆に至る、と。過剰に生成した魔力は熱として放出されるが、魔力の生成量が多すぎて、熱的に処理できなくなった……ってのが、現場でのヴィクトールの見解だったはずだ」
「遮断器に仕掛けをしたヤツと、怪物の制御装置に仕掛けをしたヤツがいる、ってことだよね?」
同一人物による単独の犯行か、複数人の手によるものかはわからない。答えの見えない思考の渦のただなかで、シドは椅子に座って天井を仰ぐ。
手元に何の証拠もないのに判断するのは、あまりほめられたものではない。格納庫の遮断器に細工がされた証拠も、外部から暴走が引き起こされた物証も、彼の手元にはない。そもそも、怪物自体、シドとクロによってまるごと闇へと葬り去られてしまった。自爆による被害予測のことを思えば、あれ以外の措置を取りようがなかったのも事実なのだが。
「軍も管理機構もバカじゃない。調査の過程で何かしら物証を掴んで、いつ、誰が、どうやって、ってところを調査で明らかにしてくるはずだ。
ただ、わからないのは、怪物を暴走させて得するやつは一体誰だ、ってことだ」
シドの意図が今ひとつよくわからないのか、ローズマリーは疑問に眉を寄せたまま、コーヒーのおかわりを注いでいる。




