第五話 学者ラグナー
フォルラン王国。
半島を西のディーン王国、北寒ノヴェルムに囲まれ、海を挟んだ東の方には敵対する宗教国である皇国ロクサーなる国が虎視眈々と睨みを利かせている。
ここフォルランは半島ではあるものの、南の方に行けば海岸が続いており漁業も盛んである。漁業で得た食料をそれほど離れていない内陸と船によって交易している為、多数の川と眼鏡橋が見られる。
この川の一つを遡っていくと、港から少し離れた所に岩に囲まれた建造物が見えてくる。
岩と表現したが、その上側には丸太を立てて作られた柵に櫓で壁の役目を果たしているかのようだった。
そして中央に大きな鉄の門がそびえ立つ。
言うなれば、自然物を流用した関所のようであった。
近付いていくにつれて、その大きさに圧倒される。高さにして三階建てビルくらいはあるだろう。上に載っている木の柵はそれほど古臭さは感じられなかったが、所々焦げていたり何かが刺さっていて痛々しさがみられる。
この港町から関所の中はオゥルーと呼ばれる1000人ほどの人々が住む都市である。
ここオゥルーでは、最近戦があったのだ。現在は復興の最中であり、港の方から住民たちが行き交ってせわしく動いている。
下流から運ばれた荷物が、港町の検疫を通して関所までやってくる。
問題もなく通された荷が関所の門番を通して、ようやく中に入れたのだ。
厳しいチェックを通過し、50センチ四方ほどの木の箱に入った荷物を手にした男が馬車に乗り込む。
「そうこそいらっしゃいました」
手配された、四人乗りほどの座席の馬車に座って手綱を握る御者を務める助手ティムスが歓迎の言葉を口にした。
「ご苦労。それにしてもこのオゥルーの街も復興が進んで、だいぶ落ち着いてきましたな」
「厳しい冬の季節までに復興しようという声が挙がったので、勢いづいたのでしょう」
「ほう?」
「戦火で廃墟になった港町を、黙々と行動で示した人物に付き従っていくうちにここまで復興してきたのです」
「それは素晴らしい。彼の者についてより詳しい話を聞かせてもらえるか?」
「はい、学者ラグナー様はオゥルーは久しぶりだったと思います。二年ほど前になりますが、引退した上級冒険者がここより少し先に外れに住む村に住み始めたのです。この元冒険者の名はニルカッツ・トールスと言いまして、最近お子様が誕生されたそうですよ」
「冒険者ニルカッツ・トールス……か」
「はい。私は会うのは久しぶりなのですが、大変に有望な冒険者であったのは記憶しております」
助手がこれほどにまでプッシュしてくるのは珍しい事があるものだな。興味が湧いてきたぞ。
学者ラグナーはこの半島の大部分を治めるフォルラン王国の、王都であるヘルミンスクに下級貴族の次男に生まれる。王都付属大学に籍を置いていた頃には優秀な成績をおさめ、天文学、自然学、歴史学などを専門にいくつかの学説を発表している人物である。すらりとした長身長髪であり、大きめの葡萄鼠色の学者服でマントと併せて身を纏っている。海の向こうの南方から輸入されてきた葡萄が難破して腐ってしまった際に、偶然乗り合わせていた学者が買い取って着色用に工夫して出来た色が「葡萄鼠色」であったという。あくなき探求心の為にも様々な地に研修や冒険、視察を重ねている。この学者ラグナーもその一人であった……
名前を呼ばれた学者ラグナーは木箱の中に入っていた誕生祝いになりそうな銀製の工芸カップが五つ入った布袋を確認する。
「これはめでたい事だ。時間もある事だし、誕生祝いを贈ろうと思うのだが?」
「えっ?学者ラグナー様自らですか?」
「そうだ。祝いは口実に過ぎんよ。学者として早い復興への経緯が知りたいのでな」
「なるほど、そういう事でございましたか。それでは早速ですが、町はずれの村にある元冒険者トールスの家へ進めていきますね」
「よろしく頼む」
学者ラグナーと助手ティムスを乗せた馬車は、比較的空いていた村へ通じる大通りをゆく。やがては村に向かう門をくぐり抜けて、外れにある村に向けて進路をとったのだった。
人や馬だけでなく馬車が通れるよう、整地されて固められた主要道路。
現在は雨が降っていないので、ぬかるみ具合が判断できないが……それでも手入れがなされているのを馬車上から発見できる。石畳など敷かれたり、モルタルなどで固められている訳ではないが、より細かい砕石で踏み固められている。これは水はけの良さを重視しているのだろう。
「この道路は私が行ってきた隣国ディーンの主要道路より質が高い気がする。三年前にここを通りかかった時はこれほど安定していなかったのを記憶しているが……?」
「良い所に目をつけましたね。ここもやはり元冒険者トールスが、海の向こうの遥か南方の国の技術を持ち帰って広めた事によるものです」
「元冒険者とはそこまで技術を伝えられるものなのだろうか?ますます興味をおぼえるな」
舗装されている訳ではないが、オゥルーと村を結ぶ主要道路が定期的に轍を直している形跡が見られる。村と都市への連絡体制が整っている証拠だ。学者ラグナーは整備が行き渡っていることに感嘆し、向かう先の村をまだかまだかと期待を抱く。
「学者ラグナー様、村が見えてきました」
一、二時間ほど馬車を走らせた頃、明るいオレンジや赤っぽい色のスレートが葺かれた屋根の建物が点々と見えてきた。村の周囲には色とりどりの実や作物をつけた田畑が広々と拡がっている。
大変良い実り具合で、食料の心配もなさそうだ。
走ってくる馬車に気が付いたのか、村人の一人が大きい屋敷の方へ走っていった。
「どうしたのか?」
「おそらく学者ラグナー様の格好を見て、身分の高い者だと感じたのでしょう。村長を呼んでくると思われます」
「うむ。それでは、ゆっくり門のところまでやってくれ」
「かしこまりました」
この村は家畜を狼などの肉食動物から守るためにも、丸太一本一本を杭にして堅牢な柵で囲まれているのがわかった。
事を荒立てないよう手綱を軽く緩めて、馬車をゆっくりと進ませる。門前では数名ほどの門番に対して助手ティムスは簡単な入村手続きを済ませて、村に馬車を進めた。
タイミング的に同じく、先ほど見かけた村人が姿勢のいい壮年の人物を連れてやって来た。
「これはご無沙汰しています。こちらの方が主の学者ラグナー様です」
「助手ティムスがお世話になっています、ラグナー・トルグラです。王都ヘルミンスク城にて学士を務めています」
「これはご丁寧な挨拶、恐縮するばかりです。私がモクサ村の村長サンサです。本日はどのようなご用件でこの村にいらしたのですか?」
柔らかい口調で返された村長サンサは、恐縮しつつも尋ねた。
「ティムス!説明を」
「はっ、かしこまりました。では説明させて頂きます」
助手ティムスはこのモクサ村にいるであろう、元冒険者トールスに対する用件を述べる。
「左様でございましたか!トールスも歓迎するだろう。使いをやるので、ゆるりと向かいましょうか」
事情を確認できた村長サンサは呼んできた村人に再度お願いし、元冒険者トールスの家に向かわせた。
学者ラグナーが元冒険者トールスに用があると伝えさせるためである。
使いは早足で少し離れたトールス宅へ駆けていく。続いて、村長をはじめ学者ラグナーらを乗せた馬車が発進する。
やがては明るいオレンジ色のスレートが綺麗に並べられた屋根が美しい、大きい家の前に案内されて馬車を停めた。
「村民にしては立派で大きい家だな」
学者ラグナーは家を見上げつつ感嘆して言う。
「ええ。打ち合わせなどの来客が時々ありますので、会議や宿泊する為の部屋を用意した造りとなっているのです」
「なるほど、それなら納得出来るな」
「最初は村長である私どもの家で打ち合わせていたのですが、同時に別々の業者が入ったりすることもありまして……トールスへの依頼と分ける形をとったのです」
学者ラグナーは顎に手を当てて得心する。
「これほど有能であれば、村人にしておくには惜しい人材だな」
「はぁ……ですが、この村に住むという事はトールスの希望なのです」
「まったく、楽しみな事だな」
踊る気持ちをぐっと抑えて、学者ラグナーらは馬車を降りる。
「おや?」
学者ラグナーは家の脇にある物置小屋の前にいた、小さい子供に目をつけた。
「あの子供は元冒険者トールスの子なのだろうか?」
「あ、あっ……あの、実は……」
と村長サンサが言いかけた時には、学者ラグナーは既に小屋前の子供に近づいていた。
学者としてのあくなき探求心にかられたのか、道中での村長サンサや助手ティムスの話を聞いていて居ても立っても居られなかったのだ。
近付いた学者ラグナーは子供の目前にある地面を見てハッとする。
(これは……? これらをこの年端もいかない小さな子が書いたのか?)
地面には、小枝で引いて文字のようなものが書かれていたのだ。
「これは?しかし、どこの言葉だ?少なくとも隣国程度の文字ではないのは理解出来る。しかし、あまりにも形がかけ離れ過ぎている。もしや、文字ではな……い……?」
この文字のようなものを書いていた子供は、学者ラグナーや村長サンサたちの姿に気が付くとハッとする。
(しまった!夢中になり過ぎて人が近付いてきた事に気付けないなんて!)
この子供は耳が聞こえない事で集中するあまり、人の接近に気付かず筆記練習をしていただけだったのである。佳純は目前にいる、驚愕しつつも文字と私自身を交互に見つめる人物を見上げていた。
我に返った佳純は慌てて文字を足でこすって消して、家の方へ入っていった。
「君!待ちなさい!」
学者ラグナーは手を差し出して子供が逃げるのを制止しようとしたが、間に合わず家に入られる。
「あの……学者ラグナー様。あの子は確かにトールスのお子さんなのですが……」
「うん……?どうしたのだね?」
村長サンサは何とか不機嫌にさせないようにと、トーンを抑えてゆっくり答える。
「このトールスのお子さんは耳が聞こえないのです」