第四話 クーイング
なんだか閉じた瞼がぽかぽかしてくる。
(まぶたが暖かい……?)
何かと眩しい光にあてられているのを感じ取った佳純は、ゆっくりと瞼を開けていく。
開けられた大きめの白い木窓から暖かな光が、佳純の顔を暖めるかのように射してくる。
その傍らでは、目前に立つ壮年の男性と優しそうな女性二人で口をもごもごさせている。
確かめる手立てはないけれど、きっと第二の人生での私の育て親になる人に違いない。
どこかたどたどしい挙動で、初々しさが見て取れた。きっと初めての育児なんだと思う。
一所懸命に私に向かって会話したり、ばぁっとあやしたりで話しかけている。
残念ながら聴覚を喪失しているので、どんなにかすかな音も耳に入ってこない。
でも何故か、「何か」音のようなものを感じている。
あ、これは音が響いているんだ。耳へは音は入ってこないけれど、体の触覚で感じ取る事が出来た。
久しく感じ取った音の感覚に自然と涙がこぼれてきた。
「ぁあ……あ」
自由に動けない佳純の口から自然にと声がこぼれた。
(しまった……)
気が緩んだのか、自分自身の転生する前の感覚でため息をついてしまったのだ。
耳へ音は伝わってこないけれど、喉の奥の方で声を出しているような感覚を感じられた。
(音のようなものは伝わってくるんだね。よかった……でも一切耳に入ってこないとなると、発声された音を聞き分けられないのよね……)
佳純の発声を聞き取ったのか、近くにいた女性に抱きかかえられる。
これまでほとんど泣かず、発声してこなかった私だ。びっくりしたに違いない。
恐る恐る女性の顔を見上げると……
喜び一面で何かを伝えようとしている。
音声としては一切伝わってこない……が、気持ちが入り込んでくる。
「ぅふぁああ……」
気が付くと、佳純は何かを発声していた。
身体の奥底から「わーっ」と吐き出すような音声の感覚。
生まれて間もない時期は声帯が出来上がっていないので、単純な声しか出ないのだろう。
あと数カ月もすれば自身で思う声は出せるようになるかもしれない。
日本語は通じないかもしれない。そして周りは、どんな言葉で話しかけてくるのだろうか?
今更なんだけど、英語もっと勉強しておけばよかったのかな~?
過去を責めるよりも、今!そして未来に目を向けていかないといけない。
(その時に困る事にならないよう、声を出す練習をしなきゃ!)
実は、この練習というのは赤ちゃんは無意識でやっている事だったのです。
この無意識の発声練習は「クーイング」と称されており、聴覚に障害がある無しに関係なく赤子は出来て事らしいのです。咽喉に異常が無ければ、声は出てきます。しかしながら正しい発音や言葉を知らないわけですから、本能のままに出ている発声なのです。
通常聞こえている子供であれば、聞こえてくる音を頼りに同じ音を出そうと練習しているわけです。
聞こえなければその作業が出来ないのですから、「奇声」と言われても仕方ない事なのです。
ですから、聞こえない人たちが「奇声だから異常だ」というわけではないのです。必要な練習をしてこなかった、練習が出来なかったために奇声のままだった現象が起きるのです。
この事から、上手く発音出来ないかもしれないけれど……自由に動けない今、出来る事をやらないとね。
抱きかかえる女性の口を見ながら、呼応するかのように発声していく。
その度にぱぁっと笑顔を見せてくる女性。懐かしい母のような笑顔を見せられて、不愛想でいられるほど無神経ではない。いつしか、私に笑顔が戻ってきた気がする……
(ありがとう)
今私が一番出したい言葉だ。伝わるかわからないけれど、練習しなくっちゃ!
いつも側にいる女性と、時々あやしに来る男性。
恐らくはこの世界で私を産んだ両親なのだろう。
(でも、ごめんなさい。本当にお父さんなのかお母さんなのかわからない。どんな会話をすればいいのかもわからない。聞きたい事はたくさんあるけれど、今はどうしようもないよね)
佳純は葛藤をおぼえたが、笑顔で接してくる二人を前にしてもっと素直になろうと思った。
事情を知らない二人だけれど、親身になって接してくる。目の前の二人が居なければ、私は生きていけない。二人が居る事に感謝しつつ、発声していく、体を動かすなど少しずつ「当たり前の事」を繰り返していった……
佳純が一般の子らのように最初から産まれたものであれば、この時点で葛藤をおぼえる事は無かっただろう。転生した者が感じる葛藤というものは、昔読んだラノベで書かれていた事より遥かに壮絶で厳しい現実であるのを思い知らされるのに十分だった。
それでもなお佳純は転生前に消えていった人の事を思い出しながら、自身を励ましながら気持ちを強く持とうと言い聞かせる。
(そうでないと、何の為に転生してきたのかわからないもんね。あの消えていった人。それから女神イルマタルとの出会い。すべてを無駄にしたくない!)
佳純の握るちっちゃな手に力がこもる。
力が入って雰囲気が変化した赤児の気を察知したのか、お父さんがあやしてきた。
(いけない!いつものように!いつものように!)
あたふたしたつもりだったのが、ずんぐりむっくりした大きな体が目立ってしまっている。お陰様で手をばたばたさせただけ、のように感じられて気付かれなかったようだ。
(ほんと、心臓に悪いよ~。今は怪しまれないよう周囲に気をつけながら体を動かして慣れていこうか)
こうした日々が、自分の足で動き回れるようになる年月まで続く事となったのだ……