第一話 白銀の女騎士
「痛っ……」
ぼんやりとした記憶からだんだんと覚醒していくのを、佳純は自分の手を見つめて確かめた。
夢と現実の境目が曖昧になった時には、手のひらをよく観察することにしている。
かつてないほどくっきりと、手相と指紋が見えている。少なくとも、夢ではないのは確かだろう。
あたりを見回すと、静寂に包まれた白い空間の中で横たわっていた事に気が付いた。
「…………」
どれほどの時間が経ったのだろうか?
私自身の記憶が定かだったとすると、少し前に遭遇した血まみれの白銀の髪を持つ女性は、夢だったのだろうか?
少し前に起きた記憶を確かめるように、きょろきょろと再度あたりを見回す。
私から少し離れた所に横たわっている人を見つけた。所々鎧が傷だらけで血まみれでだったので、記憶に新しい白銀の髪の女性だろうか。近づいてみないと確かめようがない。
「だ……大丈夫です……か?」
(……今更だし、襲われても仕方ないかな)
佳純は恐る恐る近づきながら声をかける。
血まみれで各箇所破損していた鎧に身を纏っていた銀色の髪の女性の体がぴくりと震える。
現在いる場所には私と、銀色の髪の女性の2人しかいないようだ。
恐れる気持ちよりも、何とかしないと!という気持ちが勝っての行動に移す。
銀色の髪の女性をよく観察すると、胸には丸い穴が開いていた。しかし、出血は無い。それでよく生きていられるのか、と不思議に思う。思いついたように私自身の胸を見つめると、同じように丸い穴が開いていたのだ。
「えっ?」
(一体どういう事だろう?私の胸にも穴が開いている。しかも動けるし……やっぱり私死んでるのかな?)
どういう事なのか理解できず、一瞬気が動転して呼吸が荒くなりパニックを起こしかける。
ぽっかり空いた胸に手をそっと当てて、深呼吸を何度か繰り返して冷静を保とうと試みていった。
「はぁっ……はぁっ……すぅっ……はぁっ」
瞼を閉じて、事の顛末を思い出していく。
暫くしてパニックになりかけた私を察したかのように手を引っ張られて、瞼を開けた。
「×××××」
目の前の銀色の髪の女性が話しかけてきたが……
(やっぱり何を言っているのかわからない)
「あー!もーっ!何言っているのかわからないよっ!ごめんなさい」
非現実的な状況に置かれても、冷静さを保てるほど心は強くなかった。そこから飛び出してきた謝罪の言葉。
「私、佳純。 か・す・み」
どうにかしてやり取りしようと、名前を繰り返し呼称しながら自分自身を指す。
「×××× か・す・み?」
(やっと通じたっ!)
佳純は、ぱぁっと笑顔になって再度呼称する。
「うんっ!か・す・み」
「か・す・み」
何とか私自身の名前は伝わったようだ。
白銀の髪の女性も自身の胸に手を当てて呼称する。
「××××……ソフィア……」
「ふぉふぃ・あ?」
噛んでしまった私を見て、クスリと笑って呼称を続ける。
「ソ・フィ・ア」
「ソ・フィ・ア……ね?」
「××××。ソフィア」
(もっともソフィアしかわからなかったけどね)
目の前にいるソフィアはただ優しく笑みを返すだけだった。
すると、ソフィアは意を決したように何かを唱えだす。
「……××××××……××××××!」
これまで聞いた発声と違って、何かと強い意志を感じさせる。
瞬く間に、ソフィアの胸から血色の何かが花びらが舞うように集まりだして形作られていく。やがては背中から、厳かな羽根を生やした人の姿となった。
何かを唱えきったソフィアは力尽きたのか、ばたりと横たわる。
「ソフィア……?」
(これって、ま……魔法?)
力尽きたソフィアの安否を確認しながらも、信じられないものを見た佳純は放心した気持ちで、成り行きを見つめ続けている。
「お目覚めでございますね」
左右に大きく拡がる羽根を生やして、空に浮かぶ人物は口を開いて語り始める。
「我はそこなるソフィアの媒体により、仮の姿を持ちて派遣せし女神イルマタルなり」
「女神イルマタ……ル?」
「ええ、佳純よ、事の顛末は見届けております。ハッキリさせて頂きますと、あなた様は既に死んでしまわれているのです。また、そこなるソフィアは死んではおりませんのでご安心を」
認めたくなかった言葉を、面と向かって聞かされた佳純は、ぐるぐると渦巻く思考の中から答えを探り出すように尋ねることにした。
(あー、やっぱりかー。でもソフィアは死んだわけじゃなかったのね。良かった)
「私が死んでしまった、というのはわかりました。でも、ここはどこなんですか?これからどうするんですか?」
「佳純よ……そなたは殺されたばかりだというのに、冷静さを失わないのですね。ここに居られるのもあとわずかですが、早速問いにお答えしましょう」
目前で浮かぶ女神イルマタルを射抜かんばかりと佳純の鋭くて強い眼光が向けられる。
「まず最初に、この件につきましては想定外だったのです。そこなソフィアが時空を飛び越えて、あなた様の元の世界への壁をこじ開ける事は異常事態だったのです。
それだけならまだしも、二人ともいっぺんに追手によって殺されているのです。あなた様の住む世界は本来は私の管轄外。干渉してはいけない所に魔の手が伸びたのです」
「はい……」
佳純は、ただじっと聞く事しか出来なかった。
「ここまでは理解できたと思います。重要なのはこれからですね!この空間は生と死の狭間。一時的に時間を止めて今後の行く末を決めていく為の場所なのです」
「ここに連れてこられたのは、女神イルマタルの世界と私たちの世界が干渉した影響が関係するの?」
「御察しがいいですね、そうです!あなた様は死んでしまった身。元の世界には戻せませんが、新たな世界で第二の人生を最初からやり直して頂く事になります」
「えっ!転生ですか?」
(ここまで言われてもピンとこない佳純。ただただ驚愕するしかないんだけど……)
どちらにしてもなるようにしかない!と開き直っている様子の佳純は、唇をきゅっとしめて続いての説明を受ける事にする。
「但し、不具合が発生しているのです。ご覧の様に、あなた様とソフィア両人とも、胸にぽっかりと穴が開いています。このまま転生させるわけにはいきません。体のサイズを小さくすれば済む話でもありません。何故ならその位置には心の臓と呼ばれる大事な器がある場所。これを埋めるためには、あなた様の持つ五感の一つで代用しなくてはいけません」
「五感……?」
「ええ、視覚、聴覚、嗅覚、触覚に味覚のいずれかを代用させて頂きます」
「ええ……困るよ……何も見えないのも辛いし、美味しい食べ物がわからなくなるのもいい匂いが嗅げなくなるし、聞こえないと話出来ないし、触覚無いと不便だし。選べないよこんなの」
絶望感でいっぱいになった佳純はそれぞれの状態を想像してみた。どれも駄目だ!到底受け入れられるものじゃない。
「女神イルマタルさま。どれも受け入れなかったとき、その場合どうなるのでしょうか?」
女神イルマタルは丁寧に返事をしてくる佳純の人柄に触れ、力になれないものだろうか?と思案する。
「佳純よ。いずれも選ばないのであれば、あなた様の魂は未来永劫姿を持たずに、この地に留まる事になります。いずれかを選択する事が出来たその時は、可能な範囲で補助する為の能力を授ける事を約束しましょう」
「ずっとこの地に?その選択は到底受け入れられないです!補助する為の能力って?」
「では、五感の中からの選択という事でよろしいですね?」
「は……い……。もう少し考えさせて欲しいですけど、お時間とか大丈夫ですか?」
「私がこの姿を保てる時刻は残り四半刻ほどでしょう。そちらの時間にして約30分です」
「30分ですね!わかりました」
佳純は少々時間的猶予があると聞かされて、安堵の息をもらした。
ほうっと溜息をついて、自分の左腕に巻かれている腕時計で時刻を確認する。
「それは……?時計でしょうか?随分と小さいのですね」
ここにきて女神イルマタルが、珍しいものを見た驚愕で顔を綻ばせる。
「そうです。これが何か?」
「ちょっと拝見していいかしら?」
佳純は女神イルマタルに腕時計を掲げるように渡す。
腕時計を暫く観察していた女神イルマタルは手から何やら光を当てている。
「これでいいわ。こちらの世界にはこれほど小さくて精巧な時計は存在しないのです。ちょっとばかり細工をしておきました」
「えっ?」
「向こうの世界では他の人に見えないように隠蔽をかけておきましたので、盗られる危険は減ります」
女神イルマタルの手から佳純の腕に、巻かれた状態で戻ってきた。
「あ、ありがとうございます」
(す……すごいファンタジーだなぁ。さすが女神様!)
現実ではありえない状況が次々と起きている現状に改めて感心させられた佳純であった。
(ふぅ…… この後は選択をしないと、この空間から抜け出せないという話なのかな。ひょっとしてこの胸の穴。時間が止まっているのだから、血の流れも止まっている?理屈はわからないけど、だとしたら説明がつくわね。もしこのまま元の世界に戻ったらプシューって血を吹き出しちゃうのかなぁ?)
「その通りですよ」
(えっ?声に出していなかったのに?聞こえていたの?怖すぎるんですけど!)
とてもビビってしまった佳純は恐る恐る女神イルマタルの方を見つめる。
「私は神位を持つ存在なのですよ。全てではありませんが、あなた様が考えている事は大体読めますよ」
「なんて事でしょう!」
(やばいやばい!この人。いいえ、神様か。何もかもお見通しなんだわ!)
佳純は下手に考えを巡らせる事を止めにして、建設的に考え直してみることにする。
五感の中でも代えがたいものは、視覚、嗅覚、触覚、味覚……となると残るのは聴覚?
でも、なんで聴覚が最後に残ったんだろう?
可能な範囲での能力という言葉が出てきたんだし、何かと工夫できないかしら?
(ここで聞こえるようにしてくださいって、お願いするのは変かもね?)
「クスクスッ」
私の思案を読んだ女神イルマタルは、クスッと笑って答えてくる。
「あなた様、可愛い事を考えるのね!
確かに聴覚を代償にする代わりに、聞こえる力を求める事は自然な事かもしれませんね。残念ながら、私が授ける事の出来る範囲では聴覚に関する手助けが出来ないのです。その代わりの補助する為の能力なのですよ」
しかめっ面になった佳純は気持ちを切り替えて、話を進めてみる事にする。
「補助する為の能力って、具体的にどういう事なんですか?」
「はい、私は自然を司る女神。そこに準するものが対象となります」
「自然……かぁ。何かあるかな。ひょっとしてこれから転生する世界には、魔法とかあるの?」
「はい、ありますよ。魔法以外にも色んな力があるので、この媒体に触れてみてくださいね」
佳純は女神イルマタルから発せられた光球を身に受ける。スッと体の中に入っていった。その瞬間、頭の中に特定のファイルが開かれたように脳内に飛び込んできた。
無理に逆らわず、受け入れる形で脳内に表示されたファイルを巡ってみる。
150キロの物が持ち上げられるようになる「怪力」
速く走れるようになれる「俊足」
遠くに投げられる「遠投」
……
……
とまぁ、人間が頑張れば身に付くレベルの能力が多かったけど……
あれよあれよと物色しながら悩むこと、数十分。
どうにかして数ある能力の中から、最初には見る力を向上させた「天眼」を選択。
どうせ聞こえなくなるのなら、その分を見る力で補っておきたいものね。
続いては、現代人にとっては馴染みの深い電気が使えそうな「帯電」。
上手く使えば雷の力や熱の力も生み出せるはず。更には風を起こす事も出来るようになるかもしれない。
最後には言わずと知れた「直観」。
何故かこの項目は未確認の情報の様子。
佳純は自信無さげであったものの、現在の「直感」で決めた。もちろん、女神イルマタルから力を授けられる前の素の「直観力」である。
(後になって別のを選べばよかったと、後悔はしない事にしよう。三つの能力を頂けるだけでも十分に感謝しなくちゃね)
「どうやら決められた様子ですね」
「はい」
「では改めて尋ねます、佳純よ。聴力を代償にする代わりに、「天眼」「帯電」「直観」の三つを補助として授ける。これに相違は無いのですね?」
女神イルマタルは改まって佳純に対して宣言を求める。
「女神イルマタルさま、不満はございません。感謝いたします」
強要されたわけではなく、佳純は自然と改まって感謝の宣言をしたのだった……
「それでは、次の確認に入りましょうか。転生するにあたって、赤子の状態からの再出発になるのです。髪の毛や目などの外見の色は変えられませんが、性別を変更する事は出来ます。もう一つあるのだけど、前世の記憶は消去しますか?消去しないのであれば、先ほどの三つの能力は変わらず身に付きますけど、ここでの出来事を忘れることになります」
(ここにきて大きな選択が来たよ!どっちを選べばいいんだろ?)
クスリと微笑を浮かべている女神イルマタルに対して、佳純は気の抜けたようにツッコミを入れたくなった。
(まてよ?)
(先ほど選択した「直観」があるじゃないの!……もしかしたら試せって事よね?)
佳純は意識を集中させてみる。
どうも、朧気なものしか感じられない。だが、どちらを選択すればよいのかは感じられた。
「わ……私は。男性になります! そして前世の記憶を残してください!」