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もうひとつの世界

「良いかい。外の世界は危険なんだ」

 おばあちゃんがゆっくりと重たく喋る。

 ぼくはハッとして周りを見回した。そこはきれいな芝生の広がった場所。透き通る風が心地良い。ゆったりと落ち着けるような場所なのに、人間はおばあちゃんとぼくしかいない。

 ぼくはすぐに分かった。これは夢だ。だっておばあちゃんはもういないんだから。

「ねえおばあちゃん、外の世界ってなに?」

 ぼくは無意識のうちにおばあちゃんへ問い掛けていた。聞いた後で遅れて自分でも不思議に思う。確かに、外の世界ってなんなんだろう。今までおばあちゃんからも誰からもそんなフレーズを聞いたことはないのになんでそんな言葉が出てきたのか。

「外の世界ってのはな、この町の外のことだ」

 思わず声が出そうになる。

 おばあちゃんは答えるのが当然と言わんばかりに平然と告げた。変だ。外はただ、風と雨だけの何もない空間じゃないのか。

「この町の誰もが、町の外には雨と風しかないと思っている。だけどそれは違う。町の外にはもうひとつの世界がある。かつて私達が暮らしていた世界が、な」

「えっ」

 今度こそぼくは間の抜けた声を出してしまう。このふわふわした世界の中で、一瞬だけ体に電気が通った気がした。

 町の外にあるもうひとつの世界。こんな話、全く本当に初耳だった。

「私がバリアを張ったのは、狂ってしまった外の世界の連中から皆を守るためなんだ。今や外じゃ誰も生きられない。これは間違いないよ」

 おばあちゃんはこれが夢とは思えないような確かな声で言葉を続ける。いつもの怒ったり急かしたりする顔はどこかに行っていた。何を考えているのか分からない、そんな目をしていた。

 おばあちゃんはドームを『バリア』と呼んだ。意味が分からない。外の世界の連中から皆を守るってどういうこと。ドームはただ、災害を防ぐために作ったんじゃないの。

 ぼくは思考を口に出そうとしたけど、上手くいかない。夢だからだろうか、体も妙に重い。

「だから決して開けちゃいけない……守るんだ。今度はお前が」

 おばあちゃんの口調は一際強くなった。瞬間的に昔の口うるさいおばあちゃんを思い出して無意識に体がこわばる。

 でもそれは一瞬でしかなかった。おばあちゃんの姿が次第に薄くなっていく。おばあちゃんだけじゃない。周りの景色も溶けるように消えていく。

「待って……待って、おばあちゃん……!」

 やっとの思いで発することが出来た言葉はそれだけだった。消える世界から、おばあちゃんだけじゃなくぼくも一緒にいなくなる。

 景色は白から黒に変わっていき、やがて完全に閉じた。

 ――おばあちゃん。外の世界っていったい、なんなの。


 目が開いた。

 皆と別れて家に帰って、いつの間にか寝てしまったようだった。

 暗くて何も見えない。でも感覚はどこか研ぎ澄まされている。いつも起きがけはぼうっとするのに、今に限ってはそんなことはなかった。

 辺りは一面まっさらな闇だった。どうやらまだ夜らしい。別に遠くに行ったわけじゃないのに、どこか知らない場所へ出かけたような感覚がする。なんだかおかしな気分だ。

 でも今、そんな夢うつつよりも大切なことがある。

 ぼくの頭にあるのはあのドア。あの向こうを確かめたくてしょうがないという一心で、気持ちはいっぱいだった。

 気付けばぼくの体は行動していた。普段学校へ行く時とは比べ物にならない手際良さでよそ行きの支度をする。あまりにテキパキ動けるものだから自分でも驚いてしまう。

 全ての準備が整った瞬間、勢い良く家を飛び出す。玄関の鍵を掛けたことを念入りに三回も確認し、進行方向を見る。やはり外はまだ真っ暗だった。僅かに感じる夜中の闇の恐ろしさと、脳裏をよぎるカマドのカオ。でもそれは、未体験のワクワクがすぐに覆い隠した。

 道の真ん中を大股でドンドン突き進む。こんな真夜中、歩くのにいつものような遠慮はいらない。みるみるうちに公園との距離は詰まっていき、やがて暗闇の中からそれは見えてきた。

 公園に入ると、やけに明るいことに気付く。ふと、空を見上げた。

「うわぁ……」

 明るさの正体は、星だった。

 夜中の公園から見える星空は、まるでキラキラ散りばめられたビーズのように、雨上がりに校庭の葉っぱをつたう水滴のように輝いていた。幻想的なこの空間には不気味な影などどこにも見当たらない。

 知らなかった。夜の星がこんなに綺麗だなんて。この町に住んでいるのに、知らなかった。あまりの美しさにぼくは思わずため息をついた。

 それでも、こんなに美しい星空を前にしても、頭の片隅には放課後のことが引っかかっていた。

「カマド、いないよね」

 ぼくは祈りながら辺りを見回した。公園中をくまなく探した。その結果、カマドの姿はどこにもないことが分かった。良かった。あの怖いカマドは出来ればもう見たくない。まあ、冷静に考えたらこんな時間にいるわけないんだけど。

 一安心して、今度は昼に入った草むらを探した。公園は明るい。草むらはすぐに見つけることが出来た。伸び放題の草は、今はもう誰もこの場に近寄る人がいないことを物語っている。

「よし……」

 ぼくはひとつ深呼吸をして、茂みに突入した。ゆっくり、ゆっくりと、星空と月の明かりを頼りに進む。

 やがて、問題の場所に辿り着いた。そこには昼に見たままの突起があった。

 目を凝らして確認する。突起からその周囲まで細かく目を通していくと、それはやっぱりドアにしか見えなかった。

 開けよう――衝き動かされるようにぼくは突起を掴んで回した。

 ひねる手首に付いてくる感覚。それはもう、ドアそのものだった。ゆっくりと力を込めて押してみる。ドアはまるで重さが存在しないかのようにあっさりと開いた。

「――!」

 瞬間、掴んだ手が震えるのを感じた。腕に、足に、体全体に、知らない風が触れてくる。

 穏やかな風は、間もなく突風に変わった。風はドアを強く押し返してくる。

「ちょっと、待ってよ……!」

負けないようにこっちも押し返す。両腕を全力で突き出す。

「あっ――!」

 ここぞとばかりに出したありったけの力は、少し強すぎた。ドアが完全に開いて勢いで向こう側に倒れ込んでしまう。

 その瞬間、気持ちの悪さが全身を駆け抜けた。

 うつ伏せになった体に何かがネバっこくまとわり付いている。視線を落とすと、地面には満遍なく粘液があった。

 さらに目を凝らすと薄気味悪い粘液はどこまでも続いているのが分かった。これじゃあ歩くことさえも難しい。こんな汚いもの、町のどこでも見たことがない。

 それでも辛うじて立ち上がることが出来たぼくは、どうにか顔を上げて辺りを見渡してみた。

 『外の世界』は、おぞましさ以外の感覚を探すのが難しかった。町と違って星空が見えない、本当の闇。所々で不規則に揺れている茂み。嫌な音の風が聞こえる度に背筋を悪寒が走る。

 おばあちゃんが夢で言っていた外の世界の怖さが、なんとなく分かる気がした。確かにこの空気は普通じゃない。

 不意に、風が強さを増した。

「う、うわっ……!」

 ぼくは必死に地面にへばりついた。気持ち悪さは我慢するしかない。こうでもしないと吹き飛ばされてしまう。風は、あまりにも強い。

カマドがクラスメートに話していたことが脳裏をよぎる。これがまさに台風なのかも知れない。こんなものが町に吹き荒れたらとても生活出来ない。まったくカマドはあんなことを言って。台風はやっぱり危ないものじゃないか。

 力を振り絞ってしばらく耐えていると、風はようやく止んでくれた。二の矢が来ないことを確かめながらゆっくりと立ち上がる。これが出迎えというのなら、もう家に帰ろうかという気分になる。

 でも、せっかく来た未知の領域なんだ。入口だけ見て引き返してしまうのはもったいない。怖い心を強引に閉じ込め、ぼくはドアの近くを探索してみることにした。

「……うわあ、やっぱり歩きづらい」

 恐る恐る歩を進める。粘液が地面いっぱいにあるせいでどうしても歩くのが難しい。滑りそうになりながら周りを観察すると、頭を打ってしまったらもう中へ戻れないだろうゴツゴツした岩山や、公園から引っ張ってきたかのようなうっそうとした茂みが目に入る。どれも元の世界にもあるようなものばかりだけど、暗い景色と風に不気味に色付けされ、どうしても気持ち悪さを感じずにはいられない。

 それでもこの風景は少しずつぼくの好奇心を掻き立てた。粘液の中を進むのにも慣れ、徐々に足は早まる。日頃カマドと遊んでいるから運動神経が磨かれたのだろう。思ってもみない形で感謝の念が湧く。

 ふと、闇に慣れてきた目が大きな暗がりを見つけた。まるで岩でもあるかのように、そこだけ妙に黒々としている。

 暗がりからは音が聞こえた。ベタつくようなぬるい風に紛れて、それは少しずつ音量を上げる。その正体を見極めようと目を凝らす。


 ――暗がりの正体は怪物で、発する音は呻き声だということにやがてぼくは気付いてしまった。


「うわあああああ!!!!」

 反射的に悲鳴を上げた。自分で発したその声を聞きながら、両の手と足の出力を最大にしてドアを目指して駆け出した。

 背後では、のそりと怪物が蠢く気配がする。

 走る。走る。走る。

 粘液が邪魔をする。それを振り切りながら走る。終いには両手も使って、まるで犬か猫みたいな走行フォームになってしまう。でも、構わない。とにかく逃げる。

 すぐ後ろで呻きが咆哮に変わった。心臓が壊れてしまいそうなほど激しく動く。

 巨大な足音が間近まで迫るも、それとほとんど同時にドアへ飛び込むことが出来た。そのまま何も見ないで、何も聞かないで、くぐり抜けたドアをすぐに全力で閉めた。全身についた粘液を払わずに草むらを飛び出し、公園を駆け抜け、自分の部屋まで戻ってきた。

 怖い。

 暗がりを覗き込んだ瞬間、闇の中で光った怪物の目と確かに目が合った。そして、声を聞いた。

 それだけ。怪物から特別何かをされたわけじゃない。でもただそれだけで、あそこにはいられないことがハッキリと分かった。

 狂ってしまった外の世界の連中――夢に出てきたおばあちゃんの言葉が頭でこだまする。アレがまさに、そうに違いない。

 震えが止まらない。もう二度とあそこに行きたくないと、ひたすらに祈った。

 嫌だ。『外の世界』は、怖い。

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