07 約束
表向きにはコローナから帰ってきた巫女姫のミツキは体調が悪いということにして、城の裏手にある離宮で静養してもらっている。
アウリガへ出発する直前に、アサヒは彼女に会うために離宮を訪ねた。
滝のような銀の髪をした巫女姫は、アサヒが入ってきても反応せずに、虚ろな表情のまま椅子に座っている。
アサヒはそっと近づいて声を掛けた。
「助けるのが遅れてごめん、ミツキ……」
何も映していない湖の色の瞳をのぞきこんで、アサヒは眉を下げた。
こうなる前に助けに行ければ良かったのに。臆病なアサヒはずっと過去に背を向けたまま、何もしないでいた。その結果がこれだ。平穏の代償をただひとりミツキが負ってしまった。
「戻ってきたら、一緒に山の花畑に行こう。今度は守られるんじゃなくて……叶うなら俺に君を守らせてほしいんだ」
まだ遅くない。
ヒズミにも言った言葉をアサヒは呪文のように自分に繰り返す。
動かない彼女の手を取って額にあてた。
触れ合わせた肌は冷たく凍えていた。
ミツキの状況はヒズミも知っている。
彼女と親しかったヒズミも、ミツキの様子が気になっているはずだ。
残ってミツキを守らなくても良いのか、と彼に聞く。
「ミツキにもし意識があったなら……俺にアサヒに付いていけと言っただろう」
ヒズミは遠くを見る目をして答えた。
一人称が俺になっている。過去を思い出してうっかり地が出たのだろうか。
「風竜王が味方であったとしても、今のアウリガは敵地だ。コローナの光竜王とも剣を交える機会があるやもしれん。そんな場所にお前ひとりを行かせられるか」
決意は固いようだ。
アサヒは仕方がない、とあきらめる。
もとより勝手にしているのは自分の方だ。
こうしてアサヒ達は飛行船と共にピクシスを出発した。
一隻しかない飛行船は狭いので、竜騎士は日中と夜間の二班に分けて交代で警護と見張りをする。アサヒは日中、ヒズミは夜間の班で他のピクシスの竜騎士達と一緒に行動することになった。
故郷に帰してもらえると知った、コローナの逃げ遅れた兵士達は拘束しなくてもおとなしくしている。だが万が一彼らが暴れ出した時や、嵐にあって飛行船が壊れた時は、竜騎士がそれぞれ飛行船の乗組員を助けて速やかにピクシスに戻る取り決めになっていた。
お客様扱いのピンインとセイランは、竜騎士の警護班に加わらなくても良いことになっている。
アウリガへは竜の全速力で2日程度の距離だが、今回は飛行船でゆっくり行くので、倍の日数が掛かる予定だった。
「お疲れ様。これから休むの?」
飛行船には竜発着用に甲板が設置されている。
昼間は飛行船と一緒に、ヤモリの変身した地味な方の竜で空を飛んでいたアサヒは、甲板から飛行船の中へ降りて上着を脱いだところだった。
竜に乗って飛行すると、長時間冷たい風に当たることになるので、防寒具は必須になる。
厚手の専用コートを脱いだアサヒを見て、ユエリは何か言いたそうにしていた。
彼女はアウリガの出身だ。
おそらくこの旅が、彼女と一緒に行動する最後の旅になる。
あえて考えないようにしていた、その事をアサヒは思い出して目を伏せた。ユエリは何か自分に話があるようだ。しかし、狭い飛行船の中は人目がある。
「明日……一緒に竜に乗ろうか。事前にアウリガの情報を教えてほしい。あと、飛行船でじっとしてるのは窮屈だろ」
「良いの?」
「へーきへーき」
次の日、予備のコートを持ち出して、アサヒはユエリを同乗させて日中の警戒飛行に出た。他のピクシスの竜騎士は女連れのアサヒを見て、興味深そうにしていたが何も言わなかった。
ちょうど飛行船は雲の多い空域に突入していた。
灰色の雲を掻き分けて船と竜達は進む。
遠くで雷が鳴った。
見通しが良くないので、アサヒはユエリと話している最中を他の竜騎士達に見られずに済んだ。
「……言おうかどうしようか、ずっと迷っていたのだけど」
ユエリは雲の切れ間を見上げながら話し出した。
「私ね、あなたにアウリガに帰してやるって言われた時、残念に思ったの。私もピクシスの生まれなら良かった。ピクシスの生まれなら、あなたと一緒にいられるのに、って」
「ユエリ……?」
「不思議よね。私はアウリガのために戦うつもりだった。あなた達は敵なのに、助けられて、いつの間にかズルズル流されて……こんなのは中途半端でいけないって分かってるのに」
自嘲するように言うと、ユエリは切なそうな瞳でアサヒを見た。雲の間から差し込む日光で、彼女の蜂蜜色の髪と瞳がチカチカと輝く。
「私は……あなたのことが好きなんだと思う」
「ユエリ、俺は」
「分かってるわ。あなたが巫女姫の事を気に病んでて、それどころじゃないってことは。そうでなくても、私達は敵同士。これは今だけの話よ……」
雲のカーテンの間で、竜の背中には穏やかな光が射していた。
「私はアウリガに帰っても忘れない。あなたが助けてくれたこと。あなたと一緒に過ごした日々のことを」
「俺も……」
俺も忘れない、とアサヒは言いかけて途中で口をつぐむ。
これじゃ別れの台詞みたいじゃないか。
彼女をアウリガに帰すのが最善だと分かっているのに、理屈ではないところで心のどこかが痛んだ。