13 反撃の狼煙(ヒズミ視点)
一人は苦にならない……と思っていた。
アウリガの侵略で両親を失って以来、長い間ヒズミ・コノエは独りの夜を過ごしてきた。だが敵に囲まれた中で、相棒の竜レーナもいない夜はいささか堪える。
コローナの飛行船の一室に囚われたヒズミはひとり、眠れぬ夜を過ごしていた。
軽く目を閉じて物音に耳を澄ませていると、ふと馴染んだ気配が近くに現れる。ヒズミは目を見開くと、音を立てないように上体を起こした。幸い、見張りの兵はドアの向こうだ。
「……ハヤテか」
「思ったより元気じゃねえか」
明るい声で返答がかえってくる。
おそらく得意の風の魔術で、部屋の中の声が外に出ないように遮断しているのだろう。ハヤテの声の大きさはいつも通りだった。
「ピクシスに帰ってきたのか。アサヒは?」
「あいつは土竜王の援助を取り付けて、こっちに向かってるとこだよ。うまくいけばアントリアも動かせるってさ」
「それは心強い」
アサヒは立派に炎竜王として為すべきことをしているらしい。ヒズミは安心した。薄明かりの下で侵入してきたハヤテの姿が浮かび上がる。
「お前の竜はどこだよ? さっさと脱出しようぜ」
「アマネ様は? ミツキはどうした」
「後で助けに行く」
「馬鹿者。私よりも女王を優先しろ」
親友として心配してくれた気持ちは嬉しいが、戦略的に自分より女王を優先すべきだとヒズミは考えていた。
しかしハヤテは首を横に振る。
「お前が炎竜王の霊廟の結界を解いてくれないと始まらないんだよ。アサヒと合図を決めたんだ」
「結界を解く……なるほど、そういうことか」
炎竜王の血族として霊廟について詳しいヒズミは、アサヒの意図を察した。
「ならば余計に、先に女王を確保するのだ。私が死んでも大勢に影響はないのだから」
「影響ないって?! 阿呆、お前はアサヒの兄貴だろうがっ」
「アサヒは知らないだろう。こういう時のために伏せてあるのだ」
島ひいては国を優先するなら、兄弟の情よりも女王を優先すべきだ。そのために自分はどうなっても良いのだと言うと、ハヤテが顔を歪めた。
「お前、あの炎竜王陛下を甘く見すぎだろ。俺もすげえ舐めてたけど……アサヒの奴は薄々、お前の正体に勘づいてるぞ」
「何?」
「いい加減、お前もアサヒと腹を割って話せよ。お前らの関係見てると苛々するぜ」
ヒズミはきょとんとしてハヤテを見た。
「ハヤテ、復讐に取りつかれていたお前とは思えないお節介だな。何か心境が変わるような事があったか?」
聞き返すと図星を突かれたらしくハヤテは口ごもる。
ヒズミは友人の様子に苦笑した。
残念ながら何と言われようが考えを改めるつもりはない。
「……コノエ家の人間は頑固だそうだが、私もそうらしい。反対されると余計に突き進みたくなる」
「おい!」
「アサヒが上手くやっているなら良い。私は私で好きにさせてもらおう。ハヤテ、お前は女王とミツキの救出を頼む。私は一人で大丈夫だ。炎竜王の霊廟の結界の件も任せろ」
「待て待て、おかしいだろ! いったいどうするつもりだよ!?」
「どうにでもなるさ。さあ帰れハヤテ」
梃子でも動かないと胸を張ると、ハヤテは諦めたようだった。
「あー、もう! 勝手に死んだら承知しないからな!」
友人はひとしきり文句を言うと闇の中に去って行った。その背中を見送ってからヒズミは再び横になった。
ハヤテには話さなかったが、ヒズミは光竜王から勧誘を受けている。
光竜王は、霊廟の結界を解きたいようだった。敵の要求をうまく利用して交渉すれば、自由が得られるかもしれない。
交渉について考えを巡らせながら、いつの間にか憂鬱な気持ちが消えていることに、ヒズミは気付いた。
ハヤテの言う通り、アサヒを避けるのは大人げなかったのかもしれない。きっと、そろそろ覚悟を決めて弟と向かいあうべき時なのだ。
翌日の朝、ヒズミは見張りに頼んで光竜王を呼び出してもらった。
勧誘の件があるので光竜王と話す理由がある。光竜王の方も何か企んでいるらしく気安くヒズミのもとを訪れた。
「さて。先日の返事をくれるのかな?」
「その前に聞きたいことがある」
ウェスぺの威圧感に負けないように気をつけながら、ヒズミは話を切り出した。
「あなたは竜王が孤独だと、竜王の背負う荷物の一部を負うつもりはないか、と言った。あれはいったいどういう意味だ。我々、一般の竜騎士はいくら知識があったとしても竜王にはなりえない」
「それはどうかな。人と契約していない竜王はまだ、三体もいるではないか」
光竜王はニヤニヤ笑って言う。
彼の言わんとしているところを察したヒズミは目を見開く。
「まさか、天竜王、霧竜王、海竜王のことを指しているのか。彼らと人間が契約を結べると……?」
「何を驚く。そもそも神代竜と契約したのが我ら竜王だぞ」
理屈の上ではそうだが……。
神代竜は雲の上のような存在だ。契約はおろか対話が可能かさえ、ヒズミには分からず想像もつかない。
戸惑うヒズミに光竜王は頬杖をついて指を振る。
「固定観念は超えられぬか。まあ、不可能を不可能と思わないから我らは竜王なのだ。そこが凡俗と違うところだろう。君にできるのはせいぜい、炎竜王の血族として奴の力の一部を奪うことだろうよ」
「炎竜王の力を奪う……?」
「霊廟にはその手掛かりがある。案内をしてくれるかな」
話が都合よく炎竜王の霊廟の件になる。
ヒズミは慎重に答えた。
「竜王は記憶を持って生まれ変わり続けるという。もし、力を奪うことによって竜王の転生が絶たれるのなら、火の島の竜騎士としては断じて許容できない。だが私個人としては……」
言葉を切って視線を逸らす。
次の台詞は半ば本音なだけに、ヒズミ自身も演技とはいえ熱が入った。
「弟とは、一般の民がそうであるように家族として共に暮らしたかった。私個人としては、竜王というシステムなど無くなってしまえば良いと思う事がある……」
「ほう」
光竜王は我が意を得たりとほほえむ。
互いに腹に一物抱えたやり取りは、ここに意見の一致を見た。
「で、あるならヒズミ・コノエ。そなたの答えは決まっているだろう」
昔話にある狐と狸の化かしあいのようだ、とヒズミは思った。はたして勝つのはどちらなのだろう。光竜王の誘いに乗って裏切りの算段を練りながら、ヒズミは薄氷を渡るような綱渡りを始めようとしていた。