07 そこをどきやがれ!
身体が軽い。
怖かったはずの炎が怖くない。
周囲を取り巻く金色の炎は暖かいだけでアサヒに傷ひとつ付けなかった。蹴られて痛かった腹や背中も、もう痛くない。高揚感に突き動かされるまま、動揺する男の頬を殴りつける。
拳に宿った金色の炎がよろめいた男の前に散った。
「ぐっ?!」
気が付けば酒樽が松明のように燃え上がり、部屋が火の海になっている。
「おいおい坊主、屋敷を燃やしちまうつもりか?」
「それもいいかもしれない」
アサヒはにやりと笑う。
実際、妹をさらって売り飛ばすような悪党の屋敷は焼けてしまってもいいと思った。
この炎は燃やす対象物を選べる。人は燃やさないで屋敷だけ燃やすことも可能だ。
自分が起こした炎だからか、炎の性質がアサヒには自然と分かった。
「逃げるぞハナビ!」
茫然としている少女の腕をひき、酒樽の間を走って外を目指す。
途中で物音に気付いて出てきたらしい太った男性と出くわしたが、蹴り飛ばして黙らせる。アサヒは知らなかったが、彼こそは屋敷の主で大商人ハウフバーンだった。
「待て! くそっ、子供相手に本気を出さなければならんとは……」
屋敷の玄関に差し掛かったところで、上空から男が降ってきた。
アサヒは咄嗟に下がって避ける。
男は手に槍を持っていた。
「……外なる大気、内なる魔力、融合し具現化せよ。点火!」
男が手にした槍に螺旋状に火が巻き付く。
ハナビを背に庇いながら、アサヒは玄関に置いてあった傘を掴んだ。
向かってくる槍の横腹に傘を叩きつける。
槍の穂先はハナビ達から逸れた。
螺旋状の火が槍から解き放たれて玄関の壁にぶつかる。
轟音と共に壁に穴が空いた。
「げっ」
槍に触れたせいか、手元の傘が燃え尽きる。
壁に空いた大穴を見てアサヒは顔を引きつらせた。
「惜しかったなあ。こいつに当たったら身体にどでかい穴が空くぜ。さぞかし風通しが良くなるだろうよ」
男は笑うと、再び槍をアサヒに向ける。
「アサヒ兄……」
不安そうなハナビの声を聞きながら、アサヒは腕を前に突き出した。
その時に自分の腕の異変に気付く。
うっすらとした三日月型の火傷の跡があった場所に、今はくっきりと黒い模様が浮かんでいる。それは黒い三日月紋様だった。三日月の一番太った部分から、細い笹の葉のような模様が左右に何本か散っている。見覚えの無い紋様に一瞬驚愕したアサヒだったが、今は考えている場合ではない。
意識を集中して、今度は自分から金色の炎を呼び寄せる。
あの男の槍に対抗できる炎を。
間合いの広い槍の、その攻撃が届く範囲の外側から炎を浴びせられれば。
そんなことが可能なのは飛び道具だ。
手の先に炎を凝縮して球にする。それを飛ばすイメージを想起する。
「詠唱なしで魔術だとおっ!」
目を剥く男に向かって炎を解き放つ。
「そこをどきやがれ!!」
黄金の炎の球が玄関に向かって飛んだ。
男は焦った様子で横に避ける。
炎の球は玄関にぶつかって、扉を破壊した。
はじけ飛んだ扉の向こうには夜空が広がっている。冷たい風が外から吹き込んできた。
「やりやがったな、坊主……こうなったら」
槍を構えなおした男が真剣な目をする。
ここまで屋敷を壊し、男とハウフバーンの面目を潰したのだから、生きて外に出す訳にはいかなくなった、というところだろうか。殺意が見え隠れする男の目を見つめながら、アサヒは冷や汗をかいた。
先ほど放った炎で身体のどこかから、ごっそり力が抜けた感触がある。
もう同じことはできないかもしれない。
謎の力に目覚めたアサヒとはいえ、まだまだ大人の竜騎士の男と本気の殺し合いをして勝つには力不足だ。
何とかハナビを逃がす方法は無いだろうか。
にらみ合う男とアサヒの間に、唐突に別の声が割り込んだ。
「……そこまでだ!」
アサヒが壊した玄関から、暗い青の髪をした、顔に傷跡がある精悍な男が入ってくる。
彼は吹き飛んだ扉に穴が空いた壁を見渡して言った。
「私はアントリアの竜騎士で、このフォーシスに派遣された特別監察官だ。竜の力は私闘に用いるものではない。夜中に騒ぎを起こした理由を聞かせてもらおうか」
「特別、監察官だと?! 他国の竜騎士がピクシスで偉そうに!」
竜騎士?
アサヒは突然入ってきた男をまじまじと見た。竜騎士というからには相棒の竜がどこかにいるはずだが、その姿は見えない。
一方、ハウフバーンに雇われているらしい竜騎士の男は、まだ戦うつもりらしい。
「勝手に余所様の家に入ってくんじゃねえよ! 訴えんぞコラ」
「ふっ」
「何がおかしい?!」
アントリアの竜騎士はおかしそうに噴出した。
「訴える? どこに、誰にだ? 今ピクシスでは竜騎士が不足している。国に届け出ずに竜の魔力を使うのは違反行為だ。罰されるのは君の方だ」
「逃げ切ってやらあ!」
「ははっ、できるならやってみるがいい。私の相棒、風竜のクレイモアから逃げきれるならな!」
夜空に巨大な影が浮かび上がる。
深い青の鱗をまとった竜が黄金の瞳でアサヒ達を見下ろしている。その姿は威風堂々としていて、竜の身体から噴き出す風がアサヒ達の肌をするりと撫でていった。
はぐれの竜騎士である男は、頭上から見下ろす竜の姿に口をあんぐり開けて、手に持った槍を地面に落とした。