14 霧竜王ラードーン
霧竜王を迎えうつために出撃する直前、アサヒは友人のカズオミを呼んだ。着替えるのも面倒なアサヒは制服のままだ。
「カズオミ、見物に来いよ」
「僕は授業が……」
「そんなもの、竜王権限でパスさせてやる」
無駄に権力をちらつかせて、アサヒは気乗りしない様子のカズオミを教室から引っ張りだした。
「街でユエリを拾って連れてきてくれ。アケボノの街の外の炎竜王の祠の前で集合な」
「ちょ、アサヒ!」
友人に命じた後、アサヒは一人、火山へ向かった。
ヤモリに竜に変身してもらって背中に飛び乗り、ピクシス中央の火山の火口まで飛ぶ。真昼の空を漆黒の鱗の竜王は4枚の翼で羽ばたいた。あっという間に火口の上空に到着する。
休火山なので噴火はしていないが、上空でアサヒはかすかに熱気を感じた。
「この火山の中にお前の力の源があるんだっけ?」
『そうだ、我が盟友。汝の力の源でもある。我らは契約によってつながっている故』
竜王の魔術は、神代竜を媒介にして、世界に偏在する無限の大気を引き出す。神代竜は自然に宿る力と一体化している特別な竜で、火山は炎竜王の一部のようなものだった。
火山が無くなれば炎竜王の力は半減する。
「留守にするなら戸締まりしていかないとな……」
アサヒは火口へ腕をかざすと、いくつか鍵詞を唱えて火口に魔術を掛けた。
竜王の記憶を引き出せるようになってから、魔術のレパートリーが増えている。本来、竜王は魔術のエキスパートだ。完全に竜王の力が使いこなせるようになれば、学院の魔術の授業は受ける必要が無くなるだろう。
「これでよし、と」
用が済んだアサヒは、そのまま山を下って炎竜王の祠の前に降りる。漆黒の竜王が火山の上の方から飛んできたのを見て、待ち合わせ場所に来たカズオミとユエリは目を丸くした。
「お待たせ」
「ちょっとアサヒ、なんで私まで必要なの? 私は関係ないでしょう」
ユエリもカズオミも怪訝そうにしている。
先にハルトに話した通り、アサヒは霧竜王の襲撃と同時に敵国がやってくる可能性を考えている。その際に竜騎士なのに中途半端に戦力外なカズオミと、アウリガの関係者であるユエリの身の安全が気になったため、一緒に連れていくことにしたのだ。
だが、それを正直に話すつもりはなかった。
「えー、寂しいなあ。付いてきてくれないのかよー?」
可能性だけで友人たちを不安にすることはない。アサヒはわざとおどけて泣き真似をしてみせた。実際、一人で行くのが寂しいのはちょっと本当だ。
ユエリが呆れた顔をした。
「寂しいって……他の竜騎士はどうしたの? あなた一人?」
「俺ひとりで十分だって言っちゃったから」
「……」
アサヒ一人なのは理由がある。
敵国の襲撃について考えたのはアサヒだけではない。女王やヒズミも、その可能性について気付いていた。そのため、アサヒが島を出る間は、他の竜騎士は島に残るような手配になっている。
「さあ、行こうぜ」
カズオミをせかして、彼の竜を実体化させる。カズオミの竜ゲルドは、緑の鱗に透明な虫の翅のような翼を持つ竜だ。ユエリはカズオミの竜に乗ってもらって、アサヒ達は大空へ舞い上がった。
霧竜王は目視できる距離に近付いてきている。
遠くに見える雲のかたまりに向かって、アサヒ達は飛んだ。
雲に近付くにつれ、カズオミとユエリはその大きさに愕然とする。
「なんて大きさだ……これ全部が竜の体なのか?!」
その雲の前では人間はケシ粒のよう。
蛇がとぐろを巻くように上に向かって盛り上がった入道雲は、近付くほどに全容が分からなくなる。
進むほどに霧は深くなり、雲は大きくなっていく。
「これが霧竜王ラードーン……」
『なんだ、盟友よ。怖じけづいている訳ではあるまいな』
「まさか」
アサヒは雲をにらんで不敵な笑みを浮かべる。
「ラードーンはただのでかい雲のかたまりだ。敵は逃げないし、動かない。楽勝も良いところだ。そうだろ?」
『その通りだ』
漆黒の竜王は深い霧に巻かれる前の空間を一気に上昇する。
金色の炎が竜王の4枚の翼に沿って流れた。
「カズオミ、その辺で待ってろ!」
「アサヒ! 大丈夫なの?」
「平気だ。見てろよ」
派手に魔術を使うつもりのアサヒは、巻き込まないようカズオミ達に後方で待機してくれと叫ぶ。入道雲の天辺を目指して上昇する竜の背中で、アサヒは立ち上がった。
「内なる大気、外なる世界……」
アサヒは腕を広げて大きく息を吸い込む。
天空の気温は低く、飛翔中の竜王の背中は激しい風が吹いていた。しかし、アサヒが詠唱を始めると力の気配が空気に満ちる。
大気は世界にあまねく広がっている。
神代竜を通してアサヒは世界の意思に接続する。
その広大な力をたぐり寄せて掴み、炎として顕現させる。
「そは人を裁きし天の炎、神々が下せし滅びの矢……」
アサヒの周囲に金色の炎が燃え上がり、漆黒の竜王を中心に天をつらぬくような炎の柱が立ちのぼった。うずまく炎は収斂して、やがて3本の巨大な炎の柱になる。
炎の柱はさらに圧縮を続け、切っ先が尖った棒状となり、神々しい金色の槍となった。
「天炎金槍」
竜の体長の数倍以上ある金色の槍は、アサヒが腕をかかげて投げる動作をすると空中を滑るように動く。
巨大な炎の槍の一本が放たれ、入道雲を貫いた。
雲の一部が散って爆発が起きる。
「まずは一本。次……よっと」
入道雲の中心に狙いをつけて、アサヒは二本目の槍を投げた。
槍が雲に吸い込まれると同時に爆風が吹き、黄金の火花が雲をうがつ。霧が蒸発して、入道雲の一部が吹き飛んだ。
「最後の一本……」
『待て、盟友』
「ん?」
入道雲の中から乳白色の竜の巨体が頭をもたげる。
『……なんじゃ、気持ち良く寝ておったのに。わしの頭頂に火が付いて……ハゲてしまうではないか!』
ぼんやりエコーがかかった低い男性の声が、アサヒの脳裏に響いた。
雲の天辺から通常の数十倍の大きさの竜の頭が姿を現す。
霧竜王ラードーン。
「ハゲてしまえば良いのに」
『なんじゃと?!』
『盟友、言いすぎだ。加齢による脱毛は汝にとっても他人事ではあるまい』
「むむ。そうだけど……最後の一本、どうしようかな。この魔術を途中でキャンセルするのは面倒なんだよ」
アサヒは残った最後の槍を、入道雲のはしっこに向かって投げた。
途端に霧竜王から非難の声が上がる。
『わしの雲の座布団がっ!』
「知るかよ」
『このいたずら小僧め! その年寄りを敬わぬ不遜さ、お前は炎竜王だな!』
霧竜王から名指しされてアサヒは笑った。
「そうだよ、霧の爺さん。久しぶりだな」