12 水道開通式
アケボノの街を流れる水道は、地球のように地中に管を通すものと違い、石造りの側溝に水を流すだけの簡素なものだ。それも自然の高低差を利用して上から下へ水を伝わせているだけ。
それでも上水道に変なゴミが流れると汚くて困る訳で、水道をどの家にどう流すか都市計画を考える官僚や専門の水道工事業者がいる。
その朝、新しい寮に水道が開通するにあたって、水道工事業者が来て準備を始めた。立ち会いのために近所の人が来ている。アサヒも今日は学校を休んで、水道工事の立ち会いをしている。
「この庭に入るのも、久方ぶりじゃのう」
立ち会いに来た近所のお爺さんが、新しい寮の庭で庭石に腰かけて言った。
「実はわしの孫がいたずら好きな子での、しょっちゅうこの館に入り込んでいたずらしとったんじゃ」
「へえ。お孫さん」
水道開通を見るだけで手持ちぶさたなアサヒは、お爺さんの話に付き合うことにした。
「今日はお孫さんは仕事ですか?」
「孫はのう。小さい頃に階段から落ちて死んでしもうたんじゃ」
いきなり話の風向きが怪しくなり、アサヒは眉をしかめた。
朝から重い話は勘弁して欲しい。
しかし、お爺さんはのんびりした様子でアサヒの予想外のことを言う。
「いたずらし足りんようでの。死んだ後も、この館に入り込んで遊んでおる」
「は? じゃあ、まさか幽霊って」
アサヒは昨夜、出会った幽霊の少年を思い出した。
「わしの孫かもしれんのう」
「噂では、6年前のアウリガの侵略で殺された人の霊がさまよってるって……」
「誰じゃそんな噂を立てたのは。アウリガが来る前から空き家じゃったぞ」
惨殺された人の霊がという話は事実無根だったらしい。
幽霊の正体は単なる近所のいたずら小僧だった。
「なんだよ。心配して損した」
アウリガ関係で色々悩んでいたアサヒは肩を落とした。
その時、どよめきが起こる。
どうやら水道が開通したようだ。石造りの溝に澄んだ水がチョロチョロ流れ出す。
「アサヒ様、これで今日から料理が可能ですね! 私、頑張って料理します。まずは男性の皆さんが好きな肉の唐揚げを……」
「キュー!?」
「お、おい。そいつを料理する訳じゃないよな?!」
巫女のスミレが意気込んで、ユエリからうばった白い竜の子供をつかみあげる。白い竜の子供があせってバタバタした。まさか本気で竜の子供を食材にするつもりなのだろうか。
すわった目で竜の子供を見るスミレに、アサヒは慌てる。
「やめろよ、竜の親御さんが来たらどうするんだ!」
「……来たみたい」
「えっ?!」
ユエリが空を指差した。
青空に浮かんだ白い点がどんどん大きくなる。
「嘘だろーっ」
白い竜の巨体が空から舞い降りてきて、新しい寮の建物の裏庭、アサヒの前にドンッと音を立てて着地した。
地面が揺れる。新しい寮の屋根がちょっと欠けた。
朝の光を受けてまぶしい白い鱗の雌竜が、アサヒ達の上で翼を広げる。
「わーっ、子供を食べたりしないから許してくれ!」
『食べる? 失礼。何のことでしょうか』
『こちらの事だ。汝は気にせずとも良い』
アサヒの肩の上に出てきたヤモリが勝手に返事してフォローしてくれる。白い竜は首をかしげた。
野生の竜には珍しく、人の言葉を操る竜らしい。
ほとんどの野生の竜は人の暮らしに興味がなく、人里に降りてきたりしないものだが。
『ともあれ、炎竜王。我が子を保護してくださり、ありがとうございました』
ヤモリの竜としての名前が呼ばれた。
転生を繰り返すアサヒは、生まれ変わる度に人としての名前が変わるが、炎竜王だということだけはずっと変わらない。ファーラムとは竜の名前であるのと同時にアサヒのもうひとつの名前でもある。
白い雌竜は知識ある古竜のようだ。
彼女はアサヒに向かって言った。
『お礼に知らせに参りました。霧竜王ラードーンが近付いております』
「!」
『かのお方は常に夢の中。飛び行く先に何があろうと、ぶつかろうと、全く気になさりません。このまま進路を変えなければ、この島にぶつかるでしょう』
この世界には8体の特別な竜がいる。
神代竜と呼ばれ、天候を操り世界の形を変えるほどの力を持つ竜。彼らの内の5体は人と共存する道を選んだ。炎竜王も人と共存する道を選んだ一体だ。
そして人と関係のないところで生きる3体の神代竜がいる。
霧竜王ラードーンはその一体。
『ふむ。我が盟友よ、寝坊助に挨拶する必要がありそうだぞ』
ヤモリは尻尾を振りながらアサヒに告げた。
同じ頃、王城の広間では、女王や国の幹部が集まって話し合っていた。そこには学生でありながら国の重鎮であるヒズミの姿もあった。
学院の卒業条件をとうに満たしているヒズミが学生の身分のままなのは、ひとえに若き竜王の補助のためである。
大人に混じって会議に参加する彼は、違和感なくその場所に馴染んでいた。
「……アウリガの侵略者の残党は見つからないのか」
「空き家を中心に探索させておりますが、まだ」
アサヒと交戦したアウリガの残党の件はヒズミの手から離れ、城下街の警備隊と兵士達の案件になっていた。
ヒズミは静かに他の者の報告を聞く。
「あれからアウリガの動きはありません。諦めたのでしょうか?」
「天覇同盟のもう一国、コローナの動きが気になります」
「……申し上げます」
敵国の動向について推察していると、巡回班の竜騎士の隊長が広間に入ってきた。
「北北東、飛竜2日の距離に巨大な霧のかたまりを発見しました! おそらく伝説の霧竜王ラードーンと思われます。霧はピクシスに近付く可能性が大!」
広間がざわめいた。
「ラードーンだと?!」
「前回は確か50年ほど前……」
「何とかピクシスの位置を動かして避けようとしたが、広範囲に渡る霧に覆われて農作物に甚大な被害が出たそうです」
歴史に詳しい文官が表情を険しくする。
動揺する人々の中で、ヒズミは声を上げる。
「静まれ」
若い彼の言葉に、広間に集まった人々は口を閉じる。
周囲の人々を見渡しながらヒズミは言った。
「恐れることは何もない。今の我らには、炎竜王が付いている」