31 竜王の覚醒
「ユエリ!!」
アサヒは血を流して倒れこむ彼女に駆け寄った。
彼女の細い体には数本の矢が深々と刺さっている。
どうみても致命傷だ。
「あいつら、なんでユエリを! 同じアウリガじゃないのか?!」
「……私は捨て駒よ、アサヒ」
かがみこんで彼女の身体を抱き起すと、手の上に生暖かい血が流れた。
生命が抜け落ちていく感触がする。
「貴方は、貴方の島を、貴方の仲間を守って、アサヒ……」
「ユエリ……なんで……なんで」
思えば彼女は最初からアサヒのことを気遣ってくれていた。
それに甘えて部屋の片づけを手伝ってもらったり、運搬の仕事を手伝ってもらったりしたのだ。アサヒとユエリはお互い敵の島出身ということが分かっていたが、そのことはお互いに見ないふりをしていた。
どうして世界はこうも理不尽なのか。
アウリガにだって分かり合える人がいるのに、人は争い、血は流れ……そしてアサヒはまた、女の子に守ってもらって生き延びようとしている。
俺は同じことを何度繰り返せば気が済むんだ。
『……汝に問う。その選択は正しいか。おのが選択する道に過ちは無いのか』
それは一年ほど前、学院に入るきっかけになった事件のさなかで聞いた、幻の声だった。あの時、この声を聞いたことがきっかけでアサヒは魔術が使えるようになり、ヤモリが竜だと発覚したのだ。
あの時と同じように、アサヒにだけ聞こえる低い男性の声が語りかけてくる。
「間違いばっかりだ。正しいことなんて何ひとつない。俺は、失敗ばかりを繰り返している」
まだ温かいユエリの身体を抱えながら、アサヒは答える。
「もう、どうしようもないのか。現実は変えられないのか……?」
『その答えはとうの昔に出ている』
幻の声がさざ波のようにアサヒの心に打ち寄せる。
心の深いところで何かが反応して震えた。
『思い出せ、我が半身。汝は正しさを選ばなかった。確実な成功を選ばなかった。ゆえに道は長く険しく、いまだ終わりは見えない。だが、それでも……』
それでも俺はまた、この道を選ぶのだろう。
不意にアサヒは思い出す。
ぼんやりとした記憶が走馬灯のように流れては消えていく。
それは魂に残る竜王の記憶。
ああ、そうだ。
一番はじめのアサヒは、大切な人を救うために過ちと呼ばれる道を選んだ。
禁忌と呼ばれる力に手を出したのだ。
その罪と罰が魂を輪廻の輪からはじきだし、痛みを抱えて転生を繰り返すようにさせた。
数えきれないほど、後悔をした。
失敗を繰り返した。
だが、積み重ねた過ちこそが壁を乗り越える力となった。
竜王の力と記憶が回答を示してくれる。困難であっても希望を抱くことのできる答えを。今のアサヒなら、どうすれば良いか分かる。
『……然り。汝が前の見えない暗闇の道をゆくのであれば、最初の約束に従い、我は汝の導きの火となろう。さあ、心に火を灯せ……』
通り過ぎた記憶は膨大で、ほとんどが理解できないものだった。
事前に魔術について、大気について考えていなければ分からなかったかもしれない。アサヒは何とか今必要な知識を拾い上げることに成功する。
「内なる大気、外なる世界……」
この魂は大いなる意思と繋がり、この身は無限の大気と一体となる。
「煉獄の炎よ、我が意に従え!」
アサヒの周囲で黄金の炎が煌々と燃え上がる。
この魔術の炎が対象以外を傷付けることはない。炎に包まれたユエリの身体から、流れ出した血だけが光の粉となって蒸発した。アサヒは彼女の身体に刺さった矢を引き抜く。血は黄金の炎に散り、体に空いた穴が見る間にふさがった。
消えかけた命の鼓動が戻ってくる。
気を失っている彼女の身体を地面にそっと置くと、アサヒは立ち上がった。
「アサヒ……?」
様子が変わったアサヒに、振り返ったヒズミが息を呑む。
「下がれ、ヒズミ・コノエ」
過去の竜王の記憶に引きずられるまま、アサヒは彼に命じる。
はっと目を見開いたヒズミは簡単に敬礼をすると、深紅の竜と共に戦線を離れる。途端に、敵の竜の攻撃が押し寄せてくる。
金色の炎がアサヒの周囲に渦巻く。その背後に立ち上がった黒い竜が二対の翼を広げて咆哮すると、敵の放った矢や竜巻が消し飛んだ。
敵の竜騎士が上空で驚愕する。
「なんだと……こいつは……まさか」
漆黒の竜が辺りを睥睨する。
その深紅の眼差しに見つめられた敵の竜は、おびえたように羽ばたいて逃れようとした。
アサヒはその様子を悲しそうに見つめる。
「ごめんな……燃え尽きろ、天津炎」
漆黒の竜の翼から、黄金の炎が流星のように放たれる。
翼から離れた炎は一瞬で大きさを増し、一発一発が竜よりも大きくなった。城の前だけではなく街の方にも、放物線を描いて落下する。
炎は防御する敵を竜ごと飲み込み塵も残さず消滅させる。逃げる敵兵にも容赦なく追いすがり、飲み込んだ。街のあちこちで暴れていた敵の竜騎士達が悲鳴を上げながら消滅していく。敵とはいえ余りに無慈悲で一方的な殺戮に、見ていたカズオミ達が恐怖を感じるほどだ。
敵の竜騎士は、城の前に数騎残るだけになった。
数十騎いた敵の竜騎士がもはや三騎だけである。
彼らは自分達がわざと残されたのだと悟って震えている。
「……アウリガに戻って伝えるといい。炎竜王が復活したピクシスを攻めるのは愚策だと」
「っ!!」
アサヒの言葉に、彼らは悲鳴を飲み込んで竜と共に空に舞い上がった。
暗い空に消えていく竜を見送ったアサヒは、身体から力が抜けるのを感じる。
「アサヒ?!」
カズオミか、ヒズミか、誰かが気を失う寸前のアサヒを呼んだようだが、暗闇の底に落ちるように意識が遠ざかる。せっかく助けたユエリを殺さないでくれと頼みたかったが、果たせずにアサヒは地面に崩れ落ちた。