30 終わりと始まり
ピクシス中央の火山の核は、炎竜王の力の源でもある。
島が近づくにつれてアサヒは身体が回復していくのを感じた。
石柱から沸いた毒の霧を吸い込んだことで、毒にむしばまれていた身体が軽くなる。胸の痛みが遠くなった。
「王たる者がそんな間抜け顔をさらすな」
深紅の髪に琥珀の瞳をした年上の青年、ヒズミ・コノエが涼しい顔で茫然とするアサヒを見下ろす。
アサヒは我にかえって、竜の背中で立ち上がった。
「なんでここに……?!」
「コローナの光竜王が我々をここに連れてきた」
「え?」
仰天するアサヒの隣に、黄金の竜がどこからか現れる。
竜の背には途中で一人だけさっさと退場した光竜王ウェスペの姿がある。
「ウェスペ!」
「ふん……私が逃げたとでも思ったか?」
「少し。でも、あの石柱を倒すのに一番乗り気だったお前が逃げるのは、おかしいような気もしたよ。お前は地上を取り戻したいんだろ。だったら、あの石柱はお前の最大の敵だ」
アネモスは身勝手なウェスペの行動に怒っていたが、アサヒは冷静だった。
かつて直接、刃を交えて戦ったがゆえに、炎竜王は光竜王をある程度理解している。
ウェスペはアサヒの言葉に一瞬、複雑な表情を見せた。かすかな安堵と喜びと、それを見せまいとするプライドのようなもの。
「……そうだ。私は地上を取り戻すことを悲願としてきた。そのために、お前達、他の竜王を封柱し、その力を奪おうとした。過去の我が所業については謝罪はせぬ。ただ、願いに囚われるあまり、道を見失っていたことは認めよう」
自分の過ちを認めると言ったウェスペに、アサヒは苦笑する。
謝罪はしないという光竜王は相変わらず傲慢だが、歩み寄りの姿勢は感じられる。
ふざけるな今までの分の損害賠償しろと言ってもいいが、それはそれで大人げない気がした。口には出さないが、ウェスペはアサヒを信頼して歩み寄りの姿勢を見せたのだ。
アサヒは言葉を選びながら答えた。
「過去の俺達は生き延びることに精一杯で、お互い何を考えているか知ろうとしなかった。お前が一人で突っ走ろうとしているのに、誰も止めようとしなかったんだ。地上のことは忘れて、空の上で楽しくやれたら、それでも良いと思ってた」
「だがそれではいずれ、限界が来るだろう」
「そうだな。一人くらいはお前みたいに真面目に未来の心配をする奴がいても良いんだと思うよ」
二人の竜王は不器用だった自分達の過去を認める。
長い、長い時を経てやっと、バラバラだった5つの島がひとつになろうとしていた。
「アサヒ、私は5人の竜王の力をあわせて、地上をおおう海水を魔術で蒸発させようと計画していた。各島の竜王の力をたばねる大魔術を用意していたのだ。これを使えばあのような石柱、何本あっても吹き飛ばせるであろう」
「むむ、俺達の力を奪って使うつもりだった魔術を応用しようってのか。本当に、世の中、何が役立つか分かったもんじゃないな」
話をしているアサヒ達に気付いて、水竜王ピンインの朱色の竜と、風竜王アネモスの空色の竜が近寄ってくる。彼らも自分の島が近くにあるので、魔術の威力が倍増している。毒の雲を相手に苦戦していたのが嘘のように軽快な動きだ。
「話は聞かせてもらった。我らの力を合わせて大魔術を発動するのだな。だが、我らの力を合わせた一撃を託すのは、光竜王、貴様ではなく炎竜王であるべきだ」
「ピンイン」
水竜王ピンインが眉間にシワを寄せて宣言する。
計画の提案者であるウェスペが気分を害した様子は無かった。
「私もその方が良いだろうと思っていた。我らの中でもっとも破壊に秀でた炎竜王に、魔術の最終的な行使を任せる」
「それでは炎竜王の負担が軽減するように、俺が魔術の調整をサポートしよう」
土竜王スタイラスがのんびりと言う。
「邪魔な毒の雲は僕に任せて!」
アネモスは空色の竜で戦場の空を、円を描くように飛び始めた。
石柱から立ち上っていた毒の雲が拡散し、穏やかな風がアサヒ達の周囲をめぐり始める。それは竜が飛ぶのに最適な気流だった。いよいよ風竜王の本領発揮らしい。
竜王達はそれぞれ持ち場について準備を始める。
「……栄冠のコローナ、風を御したるアウリガ、天秤たるリーブラ、汲み上げたるアントリア、道を指し示すピクシス、今こそ新たな時代を拓く時」
ウェスペの詠唱と共に、各島の下に光の魔法陣が生まれる。5つの魔法陣はさらに光の線でつながっていき、やがて5つの島を結ぶ巨大な魔法陣が組みあがる。
「バトンタッチだ、アサヒ」
光竜王が腕を振ると、アサヒを中心に漆黒の竜王を囲むように、立体型の魔法陣が光の線で空中に描かれる。各島の魔力をたばねる制御のための魔法陣を移譲されたのだ。
魔力の流れは、まるで谷川の急流のようにアサヒの周囲を流れていく。
重い扉を押し開けるように、アサヒは慣れない魔術を気合で制御した。
各島の魔法陣は土竜王が即興で調整を掛けているらしい。まるで背中を押さえて支えてもらっているような感覚がある。
空は風竜王のおかげで晴れ渡り、アサヒ達を中心に太陽の光が降り注いでいる。
海の方は、水竜王ピンインが何か魔術を使っているのか、石柱の足元だけ海水が干上がってモーセの海割りのようになっていた。石柱から吐き出される霧の量が減っている。どうやら足元の海水を使って毒の霧を生成していたらしい。
「まるで、墓標みたいだな」
あらわになった石柱の姿にアサヒは目を細める。
だがいくら巨大であろうと、洪水で犠牲になった多くの人の命はあの石柱ではあがなえない。失われた命は戻ってこないのだから。
「過去の遺物を燃やし尽くせ! 我が煉獄の炎よ!」
空から黄金の炎が降る。
石柱の上で花弁を開くように炎が今、鮮やかに花開く。
抵抗のつもりなのか例の光の文字の帯が石柱から沸き上がり、炎を押しのけようとしたが、アサヒは上から魔術で押しつぶすように力を重ねた。
一瞬、拮抗した力が次の瞬間に弾け、爆風が巻き起こる。
アネモスが風を制御して味方に被害が及ばないようにして、ウェスペが5つの島の前にカーテンのような光の布で防壁を作ったのを感じたが、アサヒは魔術の制御でそれどころではなかった。
石柱を一片も残さないように黄金の炎で焼き尽くす。
やがて手応えと抵抗を感じなくなると、アサヒはようやく安心して魔術の制御を手放した。
「アサヒ!?」
目の前が暗くなる。
皆が口々に名前を呼ぶのが聞こえたが、答える余裕もなく、闇の中に墜落するようにアサヒの意識は遠ざかった。