スタンプ一個目
JUNE/BL/MLと呼ばれるジャンルの小説です。
同性愛が苦手な方はご遠慮下さい。
毎朝学校に行くために園原 由布司が利用しているバス停の背後に位置する町内会掲示板に六月末から掲示されていた"夏休みラジオ体操大会"。たかがラジオ体操を公園で毎朝やるだけなのに、"大会"はないだろうと、園原は親友である廣田 公平に笑いながら話していたのも記憶に新しい。
そう、それはまさか自分がそれに参加を義務付けられるとは思ってもみなかった頃の話だ。
高校三年である園原は、天才問題児として校内でも名高く、卒業期である三年になってからも素行は悪いが成績はいいというなんとも矛盾した評価をもらっていた。しかし、さすがに卒業がかかってくるとなって教員陣も必死になってきたらしく、少しでもその素行の悪さをカバーできるような課題を出そうと特別会議すら設けられた。
その会議でひねり出された課題は、「園原の家の近所の"夏休みラジオ体操大会"への無欠席参加」。その判定を下すのは、同じ町内に住んでいる美術教師、中山 和彦。中山は毎朝ラジオ体操に参加し、園原の"ラジオ体操カード"に判子を押す役目だ。
そんなくだらない課題を、と思う者も少なくはないだろうが、園原が一回でもこの"大会"を欠席すると、即座に卒業見込み取り消しという条件がつき、園原はいやいやながらも"大会"への参加を承諾した。
「おいー、なんでオレまでこんなん来なきゃいけねぇんだよー」
「家近ぇんだからいいじゃねぇかよ」
夏休みに入ってからの、"ラジオ体操大会"第一日目。園原は六時二十分きっかりに、嫌がる廣田を連れて、会場となっている小さな公園へとやって来た。
すでにラジオはついていて、各地の天気予報やトラフィック情報をお堅い声の女性が読み上げているのを、近所の老人や小学生らが話半分に聞いていた。その顔ぶれは、想像が容易なほどに小学生ばかり。ちらほらとそれを見守る親がいるものの、園原や廣田のような世代はいない。
「あっ。沼岸のジィさんいるじゃん」
「はぁ? オマエあのジィさん好きなの?」
「好きって言うか、面白いじゃん。あのジィさん何でも知ってるんだぜ?」
廣田が指差すところにいるのは、同世代の人間がうらやむほど豊かな白髪を持つ沼岸 正当という男だ。彼は早期退職なのか、働かなくても食っていける仕事をしているのか、五十代で隠居生活をしているらしく、こうして町内のイベントごとには必ず顔を出す。
沼岸は何故だか情報通で、聞けば何でも答えてくれるというが、彼の話はいつも横道にそれた挙句に分かりにくく、彼と進んで話をしようとする者はあまりいない。そういう意味では廣田は珍しい存在だ。
「お前大人しくラジオ体操してろよ。ほら、あそこに中センいるし。俺沼岸のジィさんのとこ行ってるわ」
そういい残し、廣田はさっさと白髪の沼岸のほうへ去っていく。園原はそれを追いかけようか逡巡したものの、大人しく中山のほうへと足を向けた。
「おう、ちゃんと来たな、園原」
「そりゃあ、あんな脅しつけられちゃあね。で、何すればいいわけ? 中セン」
中山はその辺りにたむろしている小学生が持っているようなキャラクターの描かれているカードを一枚園原へと差し出す。園原は疑うような目つきでそれを見下し、何かと問うように中山を見やる。
「お前の分のスタンプカードだよ。これのハンコが全部埋まらないと課題クリアにならないからな。失くすなよ」
そのスタンプカードは、すごろくのようにキャラクターと一緒に冒険するような形でハンコを押す欄があり、最終的な八月三十一日の欄には"ゴール"と書かれている。どう考えても高校生である園原が持っているような代物ではない。
早くもなかったやる気がしょげていく感じがして、園原はわざとらしくため息をつく。
「中セン、楽しい?」
「ある意味では楽しいな。ちなみにそのカードに勝手にハンコ押しまくったところで無駄だからな。毎朝ちゃんとおれに会うこと。それが課題の一環だ」
美術教師である中山は、以前にペーパーテストで園原に"回答する価値もない"とテストを突っ返された経験があり、それ以来どことなく園原に目を付けている。しかし、若い教師とあってか、園原に理解を示し、今回の課題も彼が提案したものに多少の加筆修正が加わったものが採用されている。
「両親の"七光り"で卒業したければそうすればいいんだよ、お前は。自分の力で卒業したいんだったら、ちゃんと毎日出てくるんだな」
「ちっ。言ってろ」
園原の実家は昔からの地主で、今では不労所得だけで家族全員が食っていけるだけの収入がある。それにも係わらず、園原の父親は働くことを選び、事業を立ち上げた。その事業も驚くほど軌道に乗り、あっという間に大企業となった。
つまり、園原は黙っていても金が手元にあるという大金持ちの一人息子なのだ。
素行が悪くても退学や休学にならない理由は、そこに寄与するところが多い。だが、園原自身は金の力に頼ることを嫌い、素行が悪くとも成績はトップクラスを維持していた。
「おいっ、園原。来るだけじゃないぞ。ちゃんとラジオ体操していけよ」
中山の元を離れた園原は、廣田を目で探し、彼が沼岸と話しこんでいる様子に眉を寄せる。園原の親友である廣田は、時々よく分からない行動に出ることがあるが、園原が一番理解できないのは、あの沼岸に廣田が懐いているということだ。
沼岸のどこがいいのかさっぱり分からない園原は、廣田を諦め、公園全体を見渡せる位置を確保する。
「ん?」
園原は自分からさほど離れていない位置に、三十代ぐらいの男が立っているのを発見し、じっと彼を見やる。学生的には夏休みとは言え、世間的には平日の朝という時間帯に、三十代ぐらいの男がここにいるというのはどこか不自然だ。小学生の親とは思えないし、一体何なのかと疑問を走らせていると、ラジオ体操が始まる合図が耳へと届く。
『ラジオ体操第一から!』
ざらざらしたラジオから聞こえる音声は、原稿をそのまま読み上げているようなペースでピアノの伴奏と一緒に体操の動きを指示し始める。
園原は辺りの様子を伺い、中山がやれと言わんばかりにこちらを見ていることに気付き、しぶしぶ身体を動かし始める。言われるままに身体を動かしているのはさほど苦ではなく、むしろ退屈な園原は、近くにいる男の様子をうかがうことに決めた。
特に終了の合図があったわけではなく、ラジオ体操が終わるとラジオが消され、公園に集まっていた人々は思い思いに解散し始める。
名も知らない男を観察していた園原は、その男がきょろきょろと辺りの様子を伺い始めたのをきっかけに、そちらへと近づいていく。
「おはようございます」
「あ……、おはようございます」
その男はTシャツにジャージという組み合わせだったが、全体的にさわやか系で違和感はない。しかし、ぴょこんとはねている寝癖が彼のいい男ぶりを半減させていると言っても過言ではない。
「俺は由布司って言うんだけど、あなたは? この辺の人?」
対する園原は、今一番お気に入りのブランドのポロシャツにちょっとしたデザインの入ったパンツを組み合わせた格好で、ラジオ体操に来るような格好ではないことは確かだ。
「最近この辺の人になった人です。僕は若菜 雅と申します」
「あれ? 最近? どこに引っ越してきた人?」
園原のぶしつけな質問に対しても、若菜は一切嫌な顔せず、公園から見える一軒家を指差す。その家は今時にしては珍しいほど旧式の洋館で、昔から住んでいる一家がいたはずだ。売りに出したという話も聞かないだけに、園原の疑問はつのる。
「友人の家なのですが、友人が数年家を空けるというので、代理に住むことになったんです」
「あぁ、なるほど。若菜さんお一人で?」
例の洋館はこの辺りに住む小学生には"ホーンデッドマンション"と呼ばれているが、それが否定できない程度には古く、恐ろしげに見える。それだけでなくとも大きいその家に一人で住むというのは不自然な大きさの家だ。園原の質問は失礼ながらも的を得ている。
「そうですよ。生憎と結婚はまだで」
「ってことはお相手はいらっしゃるんですか?」
「残念なことに募集中です」
同世代の人間は園原の望むペースでの会話ができず、苛々することが多い。だが、若菜と話しているペースは園原にとって気持ちの良いもので、園原の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
「若菜さん、お仕事は?」
「会社員をしています。あぁ、フレックス制を利用しているので、朝には余裕があるんですよ」
園原は公園の出口付近で中山がこちらの様子をうかがっているのが見え、ちらりと若菜の住んでいるという洋館のほうへ目を向ける。
「俺このあたり住んで長いんですけど、あの家、小学生の頃は"お化け屋敷"とか呼ばれてて、誰も近づかないんですよね」
「えぇっ? そうなんですか? 僕は結構好きなんですけど」
歳の割には落ち着いている園原には、若菜の驚く所業があまりにも幼く見え、思わずくすりと笑みをこぼす。
「そうなんですよね。俺も好きなんです。良かったら、中見せていただけませんか? 俺あの中入ったことなくて」
突然の申し出に、若菜は驚いたように両目を見開いた。しかし、一切嫌な顔をせず、にこりと笑ってみせる。流石に警戒されるかと踏んでいただけに、逆に園原が驚いたが、その同様は一切表には出さない。
「いいですよ。ただ、まだ越してきたばかりなので片づけが済んでいないのですが、よろしいですか?」
「ええ、構いません。こんな朝早くからすみません」
沼岸の横にいる廣田がこちらを見て眉を上げたのが分かったが、園原はにっこりと笑みを浮かべた顔で手を出すなとけん制し、案内に先頭に立った若菜の後をついていった。