4章 醒めない夢の顛末
双樹たちお手製のクッキーを、沙羅はぼんやりと口に運び続けていた。
「えーと? おまえら、一体どうしちゃったの? 一応、前世ということで納得したんじゃなかったの? なんで、そんなに心ここにあらずなの? なんか夢の内容に進展でもあったの?」
おまえ「ら」という木下の言葉に引っかかりを覚えて、沙羅はクッキーの山から顔を上げた。
沙羅の方も自分の殻に引きこもってしまっていたため、今まで気づかなかったが、言われてみれば今日は朝から双樹たちが大人しくしていたように思う。
いつも、聞いてもいないのに夢の話をしてくるのに。
凝りもせずに「エンもハヤのことを意識している気がする。だから、やっぱり将来は三人で暮らそう」とか言いだすので、なるべく聞き流すようにしていたのだが。
沙羅が心ここにあらずなのは、木下の推測通り例の夢が原因だった。
進展、と言っていいのか分からないが、今朝の夢から場面は転換していた。
それまでは、ハヤとライのストーカーをして心を焦がしているエンを延々と見せつけられていたのに。ハヤとライは姿を消して、代わりに現れたのは。
沙羅の母、美智子と同じ顔をしたネツだった。
ネツ。
ハヤの母親。
エンとハヤの父である、長の正妻。
冷たく凍るような目でエンを見下ろしていたネツ。セリフは覚えていないが、よく思われていなかったことだけは分かる。役どころ的には、おかしなことではない。ネツからすれば、エンは夫の愛人の娘だ。
ネツの顔が、のっぺらぼうみたいになっているか、知らない女の顔だったなら、沙羅もここまで気に病まない。嫌な夢だったな、で済ませてしまうのだが。
母のあんなに恐ろしい顔は初めてだった。この間、双樹を叱りつけていた時とは比べ物にならない。あんな、底冷えするような怒りを静かに湛えた母は見たことがない。
夢とはいえ、本当に母に疎まれているようで、心が重くなる。
知らず、ため息がこぼれた。
「さ、沙羅ちゃん?」
「え? あ! ご、ごめん!」
心配そうに木下に声をかけられて、沙羅は再び我に返った。
最初の質問に、ため息で返した形になってしまったことに気付いて、慌てる。
木下には、夢問題は前世が原因ということで決着したことは伝えてある。けれど、夢に母が出てきたことは、まだ双樹たちにも話していなかった。
話すほどのことでもないと思っていたからだが、こんな風に三人で塞ぎ込むくらいなら、話してしまった方がいいだろう。双樹たちの様子がおかしい理由も知りたかった。おそらく、二人の夢にも何か変化があったのだろう。
「えっとね。進展っていうのか、分からないんだけど、夢にお母さんが出てきたんだ。その、ハヤのお母さん、ネツさん役で。で、ネツさんからするとエンは夫の愛人の子供だから、疎まれているっていうか、憎まれているっていうか。夢設定的にはしょうがないんだとは思うんだけどね。でも、あんまりお母さんそっくりだから、ちょっとヤな感じというか……」
ごにょごにょと言葉を濁す。
沙羅も、もう高校生だし、本当は自分は実の子ではないのではとまでは思わないが、チラリと頭をかすめはした。夢の中の話なのに、現実の母にも実は疎まれているのでは、と錯覚してしまい、心が晴れなかったのだ。
「お、おばさんまで出てきたのか。前世夢劇場」
「前世夢劇場?」
「あ、悪い。真面目に悩んでるみたいなのに、茶化すみたいになって……」
木下は気まずそうに頭を掻きながら謝ったが、沙羅はむしろ目を輝かせた。
「ううん。いいと思う。前世夢劇場。なんか、他人事っぽい感じがして、気が楽になる感じ」
「そ、そうか。それなら、よかったけど。きっと、双樹のことを叱ってるおばさんとオーバーラップしてそんな配役になったんじゃないか? 夢なんだから、いろいろごっちゃになっててもおかしくないだろうし。それに、エンのお母さんも、もしかしたらおばさんが二役やってたかもしれないじゃん?」
「二役か。あー、そう言えば、エンのお母さんはエンそっくりって設定で、わたしが二役やってた気がする……死んでるけど。んん、でも、ありがと。なんか、気が楽になってきた。そうだね、あれは所詮は前世夢劇場だもんね。気にするの、止めた」
配役だ何だと言っている内に冷静になってきて、次第に夢は現実から遠ざかっていった。
こんな夢を見たなんて話したら、きっと母はひどいと言ってむくれるだろう。想像すると、さっきまで塞いでいたのが馬鹿らしくなってくる。
「で。双樹たちのは、どんな夢だったの?」
すっかり気が楽になった沙羅は、双樹たちに水を向けた。
「ああ……。俺の夢にも、母さんが出てきた。沙羅に……いや、エンに冷たく当たっているのを知りながら、何も出来ない自分がふがいなくて……」
「落ち着きなよ、双樹。夢と現実がごっちゃになってるよ。それに、今、現実にお母さんに冷たい目で見られているのは、わたしじゃなくて双樹の方だから」
沙羅に指摘されて双樹は押し黙った。母に正座で説教されたことや、土曜日に尋問を受けた時のことを思い出しているのかもしれない。
ぐっと唇を噛みしめた後、双樹は木下へ八つ当たりを始めた。
「元はと言えば、おまえのせいだろう。大体、おまえ、土曜日は一体、何の映画を沙羅に観せたんだ? おまえが変な映画を沙羅に観せたおかげで、俺が理不尽に沙羅と母さんに責められたんだぞ。しかも、俺への濡れ衣はおまえの入れ知恵のせいだというじゃないか。俺が心に負った傷の責任をどうとってくれるんだ?」
「あー。それは、まあ、悪かったけど。でも、一応言っとくが『風の忘れ物』はどっちかというとコメディ寄りでホラー的な怖さはなかったぞ。むしろ、主人公たちのストーカー行為に誰かさんたちの奇行を思い出して怖くなったんじゃないのか? 大体、オレの『……説』を沙羅ちゃんが信じたのだって、そもそもおまえに信用がないせいだろ。双樹がそんなことするわけない的な展開には一切ならなかったぞ。開口一番、あり得るって言ってたぞ」
夜中に妹の部屋に侵入している説の肝心な部分を濁したのは、ここが他にも生徒が残っている教室内だからだ。双樹の評判などどうでもいいが、沙羅に妙な評判が立つのは阻止しなければならないのだ。彼氏として。
双樹からの反論はなかった。
負ったばかりの傷口を土足でぐりぐりと踏みにじられて、言葉もない有様だった。
今にも泣き出しそうな情けない顔でぷるぷる震えている双樹から、沙羅はそっと視線を外した。
「それで、花恋の方はどんな夢だったの?」
少し気遣うように、花恋の顔を覗き見る。
今日の花恋は、いつもとは違う感じに様子がおかしい。いつもなら、双樹が木下に八つ当たりは開始したところで、花恋も話に混じってきていたはずだ。
そんなに気になる夢だったのだろうか?
「え? 私? 私、も、そんな感じ。ライ……とネツ様は、親戚関係だったから、それで……」
「う、うん?」
花恋の態度に何か引っかかりを覚えたけれど、疑問がはっきりと形になる前に、木下の何気ない一言に掻き消される。
「そういや、おばさんはその夢、見てないのかな?」
「「「え?」」」
三人の視線が一斉に木下に集中し、木下はたじろいだ。
「え? い、いや、その夢を見ているのはおまえら三人だけで、夢の中に顔つきで出演していたのも、おまえら三人だけだったんだろ? そこに、おばさんが出演したってことは、おばさんも同じ夢を見てるのかなーって思って……」
三人は黙ったまま木下を凝視している。
木下は、落ち着かなく視線をウロウロさせる。何だか、居たたまれない気分になってきた。ついさっきまでは半信半疑だったのに、すっかり三人の夢を信じている発言をした自分に気付いて、少し恥ずかしくなった。自分はもう少し、ニュートラルな立ち位置のはずだったのに、いつの間にか感化されていたようだ。
何でもないから忘れてくれと言い出す前に、双樹が口を開いた。なるほど、というように顎に手を当てている。
「その可能性は、思いつかなかったな。だが、どうだろう? 土曜日に夢の話をした時点では、何も言っていなかったが。今朝も、特に様子がおかしいようには見えなかったな……」
「うん。土曜日は、話を聞き終わった後、少し様子がおかしかったんだけど、あれも双樹の真性っぷりに戦慄したせいだと思うし……」
「あー、うん。そりゃそうだよなー。いいんだ、忘れてくれ。ちょっと思いついただけなんだ」
“真性っぷりに戦慄”の件を、木下はあえてスルーした。
「そーいや、お父さんは出てきてないよね? エンとハヤのお父さんは夢に出てきてたけど、名前とか顔とかなかったな」
「いつも仕事でほとんど家にいないし。影が薄いからしょうがないんじゃないか?」
「そういう問題かなぁ」
「そういう問題だ。はっ。そう言えば、木下も夢には出てきていないな。つまり、父さんも木下も俺たちの人生には必要ない……」
「それはもういい」
「扶養されてる分際で、お父さんのこと必要ないとか、言いつけるよ?」
最終的にいつも通りの展開に落ち着いたところで、何かが足りないことに気が付いた。
心ここにあらずで、ぼんやりと摘み上げたクッキーを見つめている花恋に、三人の視線が集中する。明らかに、様子がおかしい。
会話が止んだことにも、三人に注目されていることにも、気が付いていないようだった。
木下が美智子も夢を見ているのでは、と言い出した時には少しは反応していたはずなのだが。
(花恋ちゃん、どうしちゃったんだろ?)
(分からん)
双樹と木下が目配せしあっているのを横目に、沙羅は思い切って何か気になることがあるのか聞いてみたのだが、何でもないという答えが返ってくるばかりで。
きっと、夢に関係することなのだろうとは思うが、話してくれないことにはどうにもならない。
「ま、まあ、何にしろ。夢は所詮は夢だよね」
「そ、そうだな。あんまり気にしすぎるのはよくないよな。夢の中で映画でも観ているつもりで割り切った方がいいんじゃないかな」
「そうそう! 前世夢劇場!」
話せないなら、せめてあまり夢を気にしすぎないようにという沙羅の意図を察して、木下が話に乗ってきてくれた。
何も言わなくても分かってくれたのが嬉しくて、沙羅は弾む声で合いの手を打つ。
それが気にくわなかったのか。
「俺は神のお告げ説を支持す」
「黙れ」
「今、そういう話してないから。邪魔しないで」
双樹が空気を読まない発言をしてくるのを、二人は息の合ったコンビネーションで叩き伏せる。
だが、そうしたやり取りにも、花恋が反応を見せることはなく、どこかに心を漂わせたままだった。
★★★
エンが暮らしている粗末な離れ小屋に、知らない男たちが押し入ってきたのは、ハヤとライの祝言を間近に控えたある夜のことだった。
数は三人。
村の男たちではない。
小屋の中に入るなり、男たちはエンを押し倒し、荒々しく衣服を剥ぎにかかった。
ネツが雇った男たちなのだろうと、見当がついた。
男たちはいずれも屈強な体つきで、小柄なエンが暴れたところで、どうやっても逃げられそうになかった。
どこかで運命を諦めつつも、それでも体は勝手に抵抗した。
大人しくしろというように、男の一人がエンの頬を平手で張った。
口の中に熱くて鉄臭いものが広がり、頭がくらくらした。体から、力が抜ける。力が、入らない。
エンは、せめてと目を閉じた。何も見たくない。何も見たくなかった。
目を閉じて、体をまさぐる気持ちの悪い手の動きに耐えていると、ふいに手の動きが止まった。男たちが、エンから離れていく。
何かを殴りつけるような鈍い音と、呻き声。
何が起こったのだろう?
気になって薄く目を開けると、ぼんやりとハヤの顔が見えた。
幻だろうか?
幻でもいい。
目を開けてもっとよくハヤの顔を見ようとしたけれど、涙で滲んで、ハヤがどんな顔をしているのかは分からなかった。
必死にエンの名前を呼ぶハヤに抱き上げられる。
その胸に強く抱きしめられて。
ようやく、エンは実感した。
これは本物のハヤなのだと。
自分は助かったのだと。
ハヤが自分を助けてくれたのだと。
もう、村には居られないと思った。
エン一人で、村を出なければ。
ハヤはもうすぐ、ライと祝言を挙げるのだ。
これ以上は、ハヤに守ってもらうわけにはいかない。ハヤを巻き込むわけにはいかなかった。
エン一人がいなくなれば。
そうすれば、すべては丸く収まるはず。
そう、エンは考えた。
ハヤに助けてもらえた。
その思い出だけをよすがに、一人でも生きていける。
エンはそう信じた。
信じるしか、なかった。
★★
ハヤに手を引かれて、山道を小走りで進んでいた。
満月が皓々と足元を照らし出していたため、偶に足を縺れさせながらも、何とか転ばずに先を急ぐことが出来た。
一人で大丈夫だから、と。
早くライの元へ戻るように、と。
何度も何度も繰り返したけれど、ハヤは聞き入れてくれなかった。
エンの手を強く握りしめ、ただただ先を急ぐ。
間に合うだろうか?
逃げ切れるだろうか?
見逃してくれるだろうか?
誰かの声が聞こえた気がして、エンは走りながら満月を見上げた。
聞いたことのある、女の声。
ああ。
逃げられなかった。自分は、逃げられなかったのだ。
ネツに渡された羽の首飾りを置いてこなかったことを、エンは少しだけ後悔した。
村を出るのなら、もうネツの言いつけを守る必要など、ないのに。
母の形見かも知れないそれを、置いてくることが出来なかった。
ぐるり、と視界が回った。
血の気が引いて、体から力が抜けていく。かくんと膝が崩れ落ちた。体が、冷たくなっていく。
こんな風に、母も命を奪われたのだろうか?
ネツによって。
ネツの雇った、呪い師によって。
エンも呪い師であったけれど、力の差は歴然で、とても抗えそうにない。母でさえ、叶わなかったかもしれない相手なのだ。経験の足りないエンが何とかできる相手ではなかった。
母の形見、とネツは言った。
嘘かも知れない。本当かも知れない。
それがエンの命を絡めとるための呪具であることは、最早間違えようもない。
いや、本当は最初から分かっていた。
ネツにこれを渡された時から、分かっていた。
でも、だからと言って、これが母の形見ではないという確証にもならないはずだ。ネツは、母の形見を呪具として利用したのかもしれない。
その感傷を捨てきれなかった。
こうなるかもしれないと分かっていても、どうしても捨てることが出来なかった。
気が付けば、ハヤの膝の上に横たえられていた。
満月の冷たい光を感じる。
ぼんやりとハヤの顔が見えた。
何度も何度も、エンの名前を呼んでいる。
エンの顔や胸を、何かが濡らした。
ハヤの、涙。
エンのために流された、ハヤの涙。
冷たくなっていく体の中で、そこだけに熱を感じる。
ハヤの名前を呼ぶ。
ちゃんと、聞こえただろうか?
エンの耳元に、ハヤが口を寄せる。
囁かれた言葉は、エンの心を満たした。
それは、エンが何よりも望んでいた言葉だった。
決して、望んではいけない言葉だった。
きっとハヤはエンの気持ちに気付いていて、死にゆく妹を哀れに思ってせめてもと願いを叶えてくれたのだろう。
それでいい、と思った。
たとえ嘘でも、最後にその言葉を聞けただけで、十分幸せだと思った。
遠くから、ライの声が聞こえた気がした。
そうだ。
ライが待っている。
ライがハヤを待っている。
だから。
自分はもう十分だから。
あの言葉を聞けただけで、十分だから。
早くライのところへ戻ってあげて。
どうか、二人で、幸せになって。
最後の祈りが、言葉になったのかどうかは。
ちゃんとハヤに伝わったのかどうかは。
分からずじまいだった。
★★★
覚醒するなり沙羅は、ベッドの上に身を起こして、きゅっとシーツを鷲掴んだ。
「え? 何? 今の?」
満月と、双樹をもっと大人っぽく落ち着いた感じにした男の人、ハヤの泣き顔と、何やらごちゃごちゃと考えていた自分……ではなくてエン、の最期。
今もまだ、月明かりの下にいるような感覚に襲われて、沙羅は慌てて頭を振る。
(違う。あれは、ただの夢。そう、あれは、ただの“前世夢劇場”。現実じゃない。……あれは、わたしじゃない)
自分に言い聞かせる。
そうしないと、自分の中から夢が溢れ出て、現実を侵してしまいそうだった。
――ピピピピピ。
目覚ましの音が聞こえてくる。沙羅は反射的に手を伸ばして、音を止めた。
(そうだ。今は朝なんだから。夢は終わったんだよ。満月なんて、どこにもない)
証明するように、遮光性のあるカーテンを思い切りよく引き開けた。
幸いにも外はいい天気で、眩しい日差しが一気に部屋の中に射し込んでくる。
眩しさに目を細めながらも、沙羅はほっと息をついた。
(お日様って、すごい)
部屋の中に残っていた夢の名残は、すっかり日の光に追い払われた。
日差しを受けながら、ふと頬に冷たいものを感じて、指の先で拭う。
どうやら、夢を見て泣いていたらしい。
(うわあ。夢見て泣くとか……)
その事実に、沙羅はむしろ冷静さを取り戻した。
パンと両手で頬を叩くと、気持ちを切り替える。
「よし! 着替えるか! 夢がどうだろうと、学校は休みにはならないもんね」
大きく伸びをしてからベッドを下りて、制服に着替え始める。着替え終わったころには、すっかりいつも通りの沙羅だった。
きゅるきゅると催促を繰り返すお腹をさすって宥めながら、部屋のドアを開けると、ガツンといい音がして、確かな手ごたえを感じた。
「え?」
慌てて隙間から部屋の外へ滑り出ると、双樹が額を押さえて呻いていた。
「双樹? 大丈……夫って、あ。双樹も、あの夢見たんだ」
ぶつけて赤くなったおでこ以上に、双樹の目は真っ赤に腫れあがっていた。
「沙羅、おまえも、見たんだな?」
声が掠れていた。
「うん……」
双樹の口元がわなわなと震える。額を擦っていた手を口元に移してきつく押さえる。
しばらくそうして何かをやり過ごしてから、双樹は手を離した。
「どうして、おまえは、そんなに、平気な顔を、していられるんだ?」
腫れあがった眼尻に涙が盛り上がっていく。
沙羅は、自分の方がお姉さんになったような気がした。そっと手を伸ばして、赤くなった額を撫でてやる。
「双樹。あれは、ただの夢だから。ただの“前世夢劇場”! 死んだのはエンであって、わたしじゃない。それに前世なんだから、エンだけじゃなくてハヤもライもネツも、どっちにしろみんな死んじゃってるんだよ。あれは、わたしたちの過去じゃなくて、誰かの過去。夢で映画を観てるようなものなんだよ。ほら、いつまでも寝ぼけてないで、しゃっきりして!」
「それは、まあ、そうなんだが……。それにしても、沙羅は少しサバサバしすぎじゃないか? 俺は沙羅が怯えてるんじゃないかと心配して居ても立ってもいられず……」
「いいから! 早く顔を洗ってきて。ひどい顔してる。洗面所、先に使っていいから」
ようやく少しは調子を取り戻してきたらしい双樹の背中を、沙羅は思い切りよく叩いた。
夢に引きずられている双樹を何とかしなくてはと話している内に、沙羅の方は完全に立ち直っていた。
(夢なんかに、いつまでも現実を引っ掻き回されたらたまんないよね。双樹も花恋も、なんかずるずるしてるっぽいし、ここはわたしがしっかりしないと!)
顔を洗いながらも、まだ、ぐずぐずと鼻を鳴らしている双樹の背中を見ながら、沙羅は自分に気合を入れた。
残念ながら、双樹の目の腫れは、洗ったくらいでは治まってくれなかった。双樹の顔を見た母は目を見開いて驚いたが、「沙羅が死んだ夢を見た」という説明をすると、何も言わずに蒸しタオルを用意してくれた。レンジで温めたタオルと、氷水で冷やしたタオルだ。温冷二つの蒸しタオルを交互に目元に当てていると、少しは腫れがマシになってきたようだ。
そんな双樹を尻目に、沙羅がいつも通りの食欲を見せつけていると、母は「あなたは大丈夫だったの?」と尋ねてきた。質問の意味が分からずに、首を傾げながらもうんと頷くと、母はホッとしたように笑った。不思議に思ったが時間は待ってくれないので、何とか味噌汁だけ飲み干した双樹を急き立てて家を出る。
門の前には、やっぱり泣きはらした目をした花恋が立っていた。沙羅の顔を見るなり、飛びついてきて泣き出した。
優しく髪と背中を撫でながら、双樹にしたのと同じ話をもう少し丁寧にしてやると、ようやく花恋は泣き止んだ。
教室に入ると、クラスメートたちが遠慮がちかつ不躾な視線をチラチラと送ってくる。心配と、好奇心が入り混じった視線。母にしたのと全く同じ説明をすると、みんなあっさりと納得して、あっという間に関心をなくし、いつも通りの教室に戻っていった。それはそれで助かるのだが、あまりにあっさりしすぎていて、沙羅は少し複雑な気分になった。
「で。具体的にどんな夢だったんだ? 死んだのは沙羅ちゃんじゃなくて、エンなんだろ?」
双樹の方も「沙羅が死んだ夢」を理由に使ったのだろう。木下はそれが例の夢だと当然気が付いていた。不穏な単語が含まれているだけに内容が気になって仕方がなかったが、四人揃うまで追及を待っていたのだ。
「うん、そう。それがね、結構、急展開っていうか。エン的には完結? これが最終回な感じ?」
「え? そ、そうなの?」
沙羅は昨日のドラマの内容を話すようなノリなのだが、沙羅に諭されて一度は立ち直ったはずの双樹と花恋は既に涙ぐみ始めている。二人があまりにもぐずぐずなので、沙羅は努めて明るく振る舞うようにしていた。
「えっとね。ネツさんの策略でならず者に襲われそうになったところをハヤが助けてくれて、二人で村から逃げ出すの。だけど途中で、ネツさんが雇ったらしい呪い師とやらのせいで、ハヤの腕に抱かれて命を落としちゃんだよ。満月がやたらと綺麗だったのは、割とはっきり覚えてる」
「え? 命? え? ええ!?」
木下はオロオロと、いつも通りの様子の沙羅と、目元を押さえて俯いている双樹たちを見比べる。
「いや、双樹たちの反応もどうかと思うけど、沙羅ちゃんもちょっとさっぱりしすぎなような? 前世の自分が死んじゃったっていうか、殺されたってことなんだよね?」
「んー、うん。わたし、あんまりエンには感情移入してなかったからなぁ。起き抜けはちょっと混乱したけど、今は割と平気かな。泣き腫らした双樹たちの顔見て、いろんな意味で目が覚めたし。エンのことは気の毒だなぁとは思うけど、映画とかドラマを観たのと一緒くらいの感覚かな。まあ、死んじゃったってことは、きっともう、これで夢も終わりなんだろうし、これでようやく夢から解放されると思うと、むしろ清々しい気分?」
さっぱりと沙羅は言い切った。
双樹たちの手前、あえてそういう言い方をしたのだが、半分くらいは本音だ。
正直、夢に母美智子が出てきた時の方が、引きづっていた。
たぶん。夢の中で死んだのが自分……エンではなくて、双樹や花恋によく似た、ハヤやライだったなら、沙羅も思い返して涙ぐんだりしてしまったかもしれないと思う。
「あー。なるほどー。まあ、双樹たちがグダグダなのも、夢の中のエンが沙羅ちゃんそっくりだから、重ね合わせてるだけなんだろうしな。エンの見た目が違っていたら、こいつらも、もっとあっさりしてたよな」
納得している木下の隣で、双樹が盛大に鼻をかみ始めた。花恋は一応、乙女としての恥じらいが残っているのか、躊躇いがちに小さくかんでいる。
「そう言えば、エンが死んだあと、ハヤとライはどうなったの? 予定通り結婚して、めでたしめでたしな感じで終わり?」
まだ鼻をグズグスさせている二人に、沙羅はドラマの続きでも聞くみたいに話を振った。
それはふと思いついただけの、何気ない質問のつもりだったのだが、花恋は沈んだ顔でフルフルと首を横に振った。
緩くウェーブのかかった長い髪が揺れる。
「ううん。二人は、結婚してない。出来なかった。…………エンとハヤの二人は、夜中に村を抜け出して、それで、二人とも山の中で死体で見つかったの。だから、ライとハヤは結婚してない」
「え?」
「は?」
言い終わると花恋は、ハンカチで強く目元を押さえ、また鼻を啜りだす。
花恋にはもう、これ以上は話を聞けそうもないと判断して、沙羅と木下は双樹へと視線を移した。
双樹は迷っているようにしばらく視線をウロウロさせていたが、やがて観念して口を割った。
「あー……。ハヤは、エンの跡を追って、その、自ら……」
言いづらそうに、口ごもる。
沙羅は無言で双樹を見つめた。
ざわり。
胸の奥に風が吹いた。
胸元に、手を当てる。
ハヤがエンの跡を追ったと聞いて、喜んでいるような、悲しんでいるような……。
(あれ? 何、これ。なんで……)
最近はすっかり影を潜めていたざわめきは、沙羅の心を不穏に揺らして、けれど直ぐに大人しく引いていった。
(このざわざわするの、夢の中でも感じていたような。そうだ、夢の中のざわざわだ。ということは、つまり? このざわざわは……。いや、止めよう。これ以上考えると、何か、怖いところに辿り着いちゃう気がする。大丈夫。夢はもう終わったんだから)
胸を押さえたまま、沙羅は一人自分に言い聞かせる。
木下と双樹は、沙羅の様子には気づかずに会話を続けていた。
「ってゆーか、それ。状況だけ見ると、駆け落ちの末の心中みたいじゃね? エンも可哀想だけど、ライも気の毒っつーか」
「心中か、確かに、そうだな。ハヤはライではなくて、エンを愛していた……。なあ、沙羅。もしかして、エンもハヤが好きだったんじゃないのか? おまえも、本当は……。今、俺がすべきことは、三人で幸せに暮らす方法を探すことではなくて、兄妹でも結婚できる国を探すことなんじゃないのか?」
双樹も段々いつもの調子を取り戻してきたようだった。いや、いつも以上に思える。真面目な顔で、間違った方向に現実を考え始めている。
頭のねじが吹き飛んだことを言って、胸ポケットの中のスマホへ伸ばしかけた双樹の手を、沙羅はがしっと掴んだ。夢のことなど、気にしている場合ではなかった。夢よりも今、現実が確実にヤバイ。
「エンはどうだかしらないけど、わたしはそんな未来は望んでないから。わたしとエンを一緒にしないで」
「沙羅……。私のことなら気にしなくていいから。沙羅が望むなら、私は身を引くから。二人がうまくいくように、協力するから。世間体なんて、気にしなくていい。私には、何でも相談していいから」
「え?」
沙羅は顔を引きつらせて固まった。
勝手に身を引かれても困る。沙羅は別に、実の兄とどうこうする気はまるでないのだ。
夢の内容が衝撃的過ぎて、二人とも本気でおかしくなってしまったのだろうか?
いつもだって真面目な顔でおかしなことを言っている二人だが、あれはやはり半分くらいは冗談だったのだなと沙羅は今更のように実感した。今日の二人からは、冗談では済まない真剣さを感じる。
夢と現実が、一緒になってしまっている。
早く、目を覚まさせなければならない。
なので、見当はずれの花恋の気遣い……らしきものは、遠慮なくバッサリと切り捨てることにした。スタッカートを効かせた感じで。
「だから!! わ・た・し・は! 望んでないから! 一切! 微塵も! わたしはエンじゃないし! エンとは違うから! エンとハヤと違って、生き別れになったわけでもなんでもないし! 生まれた時から今の今まで、ずっと兄妹として一緒に暮らしてきたし! 兄妹だから! 家族だから! あり得ないから!」
花恋が目をパチパチさせた。半分、怒鳴りつけられるようにされて、ようやく本当に目が覚めてきたようだ。
「沙羅……」
「そう。私は沙羅。エンじゃないから。夢はもう、終わったんだよ」
「うん。分かってる……」
少し落ち着いた口調で言い諭すようにすると、花恋はそう言って頷いたものの、沙羅から視線を外して俯き加減になる。
どうやら、まだダメなようだ。
エンがハヤを好きなのはエンの勝手だが、それを沙羅に当てはめるのは、やめて欲しいと思った。
双樹のことは兄として好きだし、家族として大切に思っている。だが、それだけだ。別に、花恋を押しのけて付き合いたいとか、結婚したいとかは思ってない。
それに、沙羅は今、木下と付き合っているのだ。
今までは、ちゃんと二人もそれを分かっていたはずなのに。今の二人は、その点において、完全に夢と現を混同しているように見える。
「これ、ちゃんと元に戻るんだよね?」
「た、たぶん。夢が衝撃的過ぎておかしくなってるだけじゃないか? このまま夢を見なくなれば、そのうち忘れるんじゃないのかな。……たぶん」
「たぶん!? そこは、断言してよ」
沙羅と木下がコソコソと話しているのも気づかずに、双樹と花恋はそれぞれ物思いに耽っている。何を考えているのかは分からないが、聞いたら後悔する類のことだということだけは分かる。
夢を見なくなったら、次第に妙な考えを忘れてくれることを祈るしかない。
「まあ、でもさ。あいつら、夢を気にするあまり、オレたちにあんまり注意を払ってないみたいだし、この隙にオレたちがもっと親密になっちゃうってのはどう? というわけで、早速明日、二人でどっか遊びに行かない?」
「う、え、あ、は、はい。喜んで……」
耳元に手を当てて囁かれ、沙羅はぼぼっと点火した。
(あ、誘われたの、初めてだ)
最初のデートもその次も、沙羅の方から誘いをかけていた。
木下から誘われたのは、これが初めてだ。
気づいた途端に、鼓動が早くなった。
夢は終わったのだから、木下との現実を充実させよう。その姿を見せつければ、嫌でも双樹たちも目を覚ますだろう。
少々、浮かれながら、沙羅は前向きにそう信じた。
でも。
残念ながら。
夢はこれで終わりではなかった。
むしろ。
これからが本番だった。
★★★
部屋の窓から満月を見上げている少女が見えた。
自分と同じ顔をした少女。
でも、あれは知らない女の子だと沙羅には分かっていた。
自分でもない。
エンでもない。
知らない女の子。
少女の声が聞こえてくる――。
――兄さんに愛してもらえれば、わたしは命を失う。
兄さんに、妹としてではなく、一人の女の子として愛してもらえれば。
わたしは。
わたしは、死んでしまう。
でも、それでいい。
だって、それは。
わたしが一人の女の子として、兄さんに愛された証だから。
生きていても、どうせ結ばれないのなら。
兄さんの愛に包まれて死にたい。
少女は、ゆっくりと目を閉じていく。
声が聞こえてきた――。
――嘘でもいい。
一瞬でもいい。
ハヤの愛を感じる、その一瞬のために。
そのためだけに。
何度でも。何度でも。何度、生まれ変わっても。
永遠にこの一瞬を繰り返す。
エンの声だ。
あの子だけじゃない。
これまでにも何度も同じことが繰り返されてきた。
何人もの女の子が、兄の愛に殉じて命を落としてきた。
その身に、エンの心を宿した女の子たちが。
何人も。何人も。
説明されたわけでもないのに、沙羅にはそれが分かった。
そして、これからも、それは繰り返されていくのだ。
これからも。
これからも――?




