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3章 リアルの充実と夢への疑惑

 台風が直撃しないか心配だった週末だが、沙羅の執念が天に通じたのか直前で進路がそれたため、デート当日は余波で少々風は強いものの、まあまあのお天気だった。

 待ち合わせ場所の駅に五分前に到着すると、木下はそれより早く来ていたようで、沙羅に軽く手を振りながらもキョロキョロと周囲を窺っている。

 誰を探しているかなんて、聞くまでもない。

 くふっといたずらに笑うと、沙羅は木下に駆け寄った。

 挨拶を交わして、まだ周囲を気にしている木下に種明かしをする。

「二人のことなら、大丈夫。お母さんに協力を頼んだから」

「え? おばさんに?」

「うん。二人の監視役を頼んだ。今頃は、三人でクッキー焼いてるはず。二人の携帯はお母さんが預かってるから、デートの途中で電話攻撃にあう心配もないし。安心してデートに集中できて、帰ったらクッキーでお茶が出来て、しばらくはおやつに困らない、一石三鳥のこの計画!」

 沙羅が、どうだとばかりの得意顔で木下を見上げる。木下は、ふはっと笑った。

「強力な助っ人だな。完璧な計画だと思います」

「でしょー? で、木下君の方は? 今日のデートプランを教えてよ」

 計画を褒められて沙羅は嬉しそうに笑う。いつもより生き生きとしていた。

 双樹と花恋の妨害活動阻止を沙羅が担当する代わりに、木下の方はデートのプランを考えてくれることになっていた。

 木下は少々気まずげに、斜め上に視線を外す。

「あー。沙羅ちゃんの完璧な計画に比べると、ありきたりなんだけど。映画見てお昼食べて、その後は花白公園リベンジとか、どうですか?」

「! いいと思う! リベンジ、したい! あれはないって思ってたんだ、わたしも。今日は土曜日だから屋台も出ているはずだし、花時計見ながらかき氷食べたいな」

 キラリと沙羅の目に光りが灯る。

 木下がほっと息をついた。

「ほんと? あー、よかった。そんなのつまんない、とか言われたらどうしようかと思った」

 茶化すように笑うが、半分くらいは本気で心配していた。

「そ、そんなこと言わないよ! それに、デート初心者なんだから、まずは定番デートコースからでいいんじゃないかな」

 繊細な男心の機微には気づかず、沙羅はただの冗談だと捉えて笑い飛ばす。

「映画は、何見るかもう決めてあるの?」

「んー、まだ。二人で決めようと思って。今からだと、ちょっとホラーなラブコメと、評判になってる探偵ものと、アクションものからお選びいただけます」

「なんで、タイトルじゃないの? んー、でもそうだな。せっかくデートだし、その中なら、やっぱりラブコメ? でもホラーか。怖いのは苦手なんだよね。どのくらい怖いんだろ?」

「んー、ホラーはおまけっていうか、そんなに怖いヤツではないらしいけど。苦手な人が観た場合にどうかは、分からないなあ」

 映画館は駅から歩いて数分の距離だ。

 何を観ようか選びながら、映画館に向かって歩き出す。

「むー。ちょっと怖いけど、挑戦してみる! ちょいホララブコメで!」

「了解。もし、怖いのが我慢できなかったら、遠慮なくオレの手を握ってもらって構わないから。むしろ、お待ちしてます」

「そ、その時は、お願いします」

 何でもない風を装いながらも、やはり少し照れがあるのか、木下の頬はほんのり赤い。

 つられたように赤面しながら、沙羅は軽く頭を下げる。

 じんわり手のひらが汗ばんでくる。

 たとえ怖いシーンがあったとしても。

 木下の手を握ろうかどうしようか迷っている内に、映画が終わってしまうかもしれないと沙羅は思った。


 土曜日ということもあって、映画館は賑わっていた。子連れのファミリー客が多く、甲高い声があちこちで響き渡っている。

 沙羅と木下が選んだ、ちょいホララブコメ「風の忘れ物」もそれなりに席が埋まっていた。二人は最後列の少々端よりに席を取り、ポップコーンと飲み物を用意する。

 準備は万端だ。

(あんまり怖くないといいなぁ)

 そんなことを考えながら、右隣に座る木下にチラリと視線を走らせる。木下の両手は、膝の上に置かれていた。

 怖くなったら手を握ってもいいと木下は言ったけれど、あの場所まで手を伸ばすのは、少々難易度が高い。せめて、ひじ掛けの上に手を置いてくれれば、グッと難易度も下がるのに。だが、沙羅の飲み物は右のドリンクホルダーに差してある。飲み物を取ろうとするたびに手と手が降れそうになるのは、それはそれで落ち着かない。

(もしかして、手を握ってもいいって、本当にただの冗談だったのかな?)

 冗談ではなかったからといって、本当に手が握れるかというと、それはまた話は別なのだが、沙羅としてはいざという時の備えだけは万全にしておきたかった。

 一人悶々としていると、アナウンスが入り、シアターの照明が落とされた。


 幸いにも、映画の内容はどちらかといえばコメディ寄りで、ホラーの色味は薄かった。

 ヒロインの相手役は成績優秀スポーツ万能な上に性格もよろしく、おまけに爽やかイケメンの速水君。ヒロインは、王子様な速水君のストーカー、真理子――の霊に憑りつかれた女子高生さやかだ。

 真理子に振り回されて、無理やり早坂君のストーカーをさせられてしまうさやか。最初は嫌々だったけど、つけまわしている内に、段々さやかも早坂君のことが気になってきて。

 物陰に隠れて早坂君を見つめながら、「早坂君……」と熱い吐息を零すさやかと真理子。

(あれ? なんか、似たようなドラマか何かを、最近どこかで観たような? どこだっけ?)

 画面の中で惜しみなくキラキラした笑顔を振りまく早坂君の顔に、なぜか双樹の顔がオーバーラップした。

 胸の奥がざわっとした。もうすぐ台風が来るみたいに、ざわついた。

 ざわざわ。ざわざわ。ざわざわ。

 夢の中で。こんな風にエンも、ハヤを見つめて胸をざわつかせていた。

 冷房が効いているはずなのに、体がじっとりと汗ばんできた。

 映画館の暗闇も相まって、自分が今、夢の中にいるのか現実の世界にいるのか、分からなくなってくる。現実が遠ざかっていき、夢が押し寄せてくる。

 スクリーンの中から沙羅に微笑みかけてくるのは、早坂君でも双樹でもなく、ハヤだった。

 自分が誰なのか、分からなくなる。

 ざわめきに。自分ではない自分に。飲まれそうになる。

 少しでも現実を取り戻したくて、ドリンクホルダーに伸ばした手が、温かいものに触れた。

(!)

 ビクリと震えて離れていこうとしたそれを、逃さず捉えてきゅっと握りしめる。考えるよりも先に、なぜか手が動いていた。

 手の中の温もりを感じていると、不思議とざわざわが遠ざかっていく。

 大丈夫。これがわたしの現実。あれは、わたしじゃない。

 大丈夫、と繰り返すうちに、ざわざわは完全にどこかへ消え去っていった。

 沙羅はほっと息をつく。

 ――のもつかの間。

 うひゃあ、と飛び上がりそうになった。辛うじて思いとどまったが、体中に沸騰した血液が駆け巡った。

 握りしめていた木下の手が、温もりを通り越して熱くなっていることに気が付いたのだ。

(べ、別に、怖いシーンでも何でもなかったのに、だ、大胆すぎたかな!? で、でも、わたしたち、一応、付き合ってるんだし。い、いいよね、このくらい!? 握っていいって言ってたんだし。お待ちしてますって言ってたし。あー、でも、どうしよう!? 放した方がいいのかな? でも、行き成り離すのも不自然な気がするし。それに……)

 重ねた手のひらが汗ばんできた気がして、それも気になるのだが、手を離した後に怖いシーンがやって来たら、次はもう木下の手を握ったりなんてとても出来そうにない。あくまで、偶然で無意識だったから出来たことなのだ。

(つまり、これは。き、来るべく恐怖心に対する、安全対策、予防、ききききき危機管理!!)

 どうしていいか分からずに、頭に血を上らせたままグルグルしている内に。

 いつの間にか映画は終わっていた。

 おかげで、怖い思いはしなくて済んだ。というより、そんなシーンがあったのかどうかさえ分からなかった。

 生身と霊体のストーカーにつけまわされる速水君がどうなったのか。ちゃんとラブ的な展開はあったのか。そもそも、タイトルの「風の忘れ物」とはどういう意味だったのか。

 その辺のことは、分からないままだった。


 映画を見ただけなのに、何だかやたらと疲れてしまった。

 汗を掻いたせいで、下着がしっとり濡れていて、ちょっとだけ気持ち悪い。

 でも。

 もう帰りたい、とは思わなかった。

 成り行きで、手を繋いだまま映画館の外に出る。

 なんだか、一気に仲が縮まった気がする。

(これが、吊り橋効果っていうヤツなのかな?)

 なんだか、とても恐ろしいものから守ってもらったような気がしていた。物凄く、ドキドキしている。

 街を歩いていると、ショーウインドーに映る、自分たちの姿が目に入る。

 頬を染めてぎこちなく手を繋いでいる二人は、どう見ても付き合いたての初々しいカップルだった。

 その後は、予定通りイタリアンのお店でお昼を済ませ、因縁の花白公園へと向かう。

 天気が回復してきたこともあって、休日の花白公園はカップルで賑わっていた。

 商店街のある通りを抜けるだけで汗だくになっていた二人は、花時計には目もくれず、かき氷の屋台に直行した。ビールを売っている屋台もあったが、未成年の沙羅たちには関係がなかった。

 かき氷の屋台は、イチゴやメロン、ブルーハワイなどの定番ばかりを置いてある店と、珈琲やミルクティー、マンゴーといった少々個性的なラインナップが並ぶお店の二種類があった。

 沙羅は定番のお店でカルピスのかかったかき氷。木下は個性的な方の屋台でコーヒー味のかき氷を選んだ。

 公園内にはいくつかベンチが設置されているが、木陰にあるベンチはすべて埋まっていたため、食べながらそぞろ歩く。

「コーヒー味って、他ではあんまり見ないよね。どんな味なの?」

「んー。かき氷に、ミルクと砂糖入りの缶コーヒーぶっかけたみたいな感じ?」

「一口!」

 スプーンを握りしめて沙羅が目をキラッとさせると、木下は笑ってかき氷のカップを沙羅の方に差し出した。

「どーぞ」

 遠慮なく掬って、口に含む。

「あ。ホントだ。説明通りの味。うん、でも美味しい。あ、わたしのも食べる? 味はまあ、説明するまでもないと思うけど」

「んじゃ、遠慮なく」

 カルピスのかかったかき氷を差し出すと、木下のスプーンが伸びてくる。

(さすがにまだ、あーんとかは出来ないなぁ。ちょっと、恥ずかしすぎる。あれ? でも、これって、一応間接キスってことになる……?)

 カルピスのかかった氷を一掬いして、木下の口の中に吸い込まれていくスプーンを見つめながら、ぼぼっと点火する。

 慌てて視線を逸らし、誤魔化すように手の中のかき氷を凝視する。

 直接口を付けたわけでもない。

 別に。このくらい。どうということはないはずなのに。木下は平気な顔でかき氷を食べているというのに。何を一人で意識しているのか。だが、気づいてしまったのだから、しょうがない。しょうがないのだ。

 動揺を押し隠すように。そして、木下のスプーンの跡を誤魔化すために。

 沙羅は闇雲にかき氷を掬い上げては、口の中に放り込んでいく。

「え? 沙羅ちゃん? そんなにしたら……」

「ん~~~~~~!!!!」

 案の定。

 定番の「キーン」がやってきた。


 かき氷を食べている間は少しは涼しかったのだが、食べ終わると途端に汗が噴き出してきた。食べている間は雲の間に隠れていた太陽が、タイミングを計ったかのように顔を出してきたせいもある。

 昼下がり。

 一日の内で、最も暑い時間帯だ。

 ジリジリと直射日光に炙られては、流石に堪らない。

 空になったかき氷の容器をゴミ箱に捨てると、沙羅たちは木陰へと避難した。むしむししているせいでそこまで涼しくはないが、直接太陽に晒されるのに比べれば、少しはましだった。

 ハンカチで額の汗を拭いながら、沙羅は先ほどのかき氷事件を思い出して、ぽわぽわとした。更にそこから映画館で大胆にも木下の手を握りしめてしまったことを連想して、赤面する。どうしてあんなことしちゃったんだろう、と考えて、サーッと顔を青褪めさせた。

「き、木下君」

「ん? どうかした? あ、やっぱり、どっか冷房効いてるとこに行こうか?」

 沙羅が、暑さに閉口しているのだと思ったのだろう。

 木下の提案に、沙羅は首を横に振って答えた。

「ううん、大丈夫。そうじゃ、なくて……」

 さっきまでは汗を拭うほどの暑さを感じていたのに、いつの間にか沙羅の両腕には鳥肌が立っていた。

「ん? もしかして、寒い? かき氷で冷えたのかな。日向の方、行こうか?」

 腕をさすり始めた沙羅に気付いて、木下が気遣ってくれる。沙羅はまた首を横に振った。

「う、ううん。大丈夫。その、映画のことを思い出して、それで……」

「………………映画? えっと、その、沙羅ちゃん? もしかしたら、あんまり思い出したくないかもしれないけど、あの映画、どこがそんなに怖かった? あ! もしかして、さやかと真理子のストーカー行為に双樹たちを重ね合わせて、とか?」

 物凄く聞きづらそうに、木下は視線をウロウロさせながら、頬のあたりを人差し指で掻いている。

 無理もないかも知れない。映画には、怖いと感じるところは一切なかった。少なくとも、始まってから沙羅が木下の手を握りしめるまでの間には。

 ホラー要素は登場人物の一人、真理子が幽霊だということだけだし、その真理子もおどろおどろしいタイプの幽霊ではなく、ただのちょっと透け感のある女子高生だ。真理子とヒロインさやかのストーカー行為も、ただ速水君をつけまわしてうっとりしたり、うっとりしつつある自分を否定しているくらいで、笑いを誘うコミカルな演出だ。

 誰かの手を握って紛らわせなければならないほどの恐怖シーンはどこにもなかった。

(……あれ? もしかして、わたし。とんでもないレベルの怖がりか、若しくは。ただ、木下君の手を握りたかっただけとか思われてる?)

 気まずそうな木下の態度にふと我に返り、それから一気に、体温が上昇した。

 誤解を解くべく慌てて捲し立てる。

「ち、違うの!? あれは、あれは、速水君の顔が双樹の顔に見えてきて、そうしたら胸の奥が意味不明にざわざわしてきて。それが、なんか気持ち悪くて、ジュースでも飲んで気を落ち着けようとして、手を伸ばしたら木下君の手だったっていうか、その後握りしめちゃったのは、もしも映画が怖くなってきた時の安全対策というかなんというか、兎に角それだけなの!」

 “その可能性”を思いついた時は、一気に寒気が押し寄せてきたけれど、一度体が沸騰したおかげで、鳥肌はすっかり消えていた。“それ”に対する恐怖が完全になくなったわけではないけれど、少しは落ち着いてきた。

「あー、ああ? なんか、分かった……ような? えーと、じゃあ。さっきの鳥肌は映画を思い出して、またざわざわしてきたってことか? それとも、双樹を思い出して?」

「鳥肌は、そうじゃなくて。映画を思い出したら、怖いことを思いついちゃって……」

 映画の中のストーカー行為に重ね合わせたのは、双樹たちのことではない。夢の中の自分、エンだ。さやかと真理子に、自分とエンを重ね合わせて、怖くなった。

 思い付いてしまったのだ。

 あの時、沙羅がおかしくなったのは、つまり――。

 それを話そうとして、沙羅は少し躊躇った。

 こんなことを真面目に話したら、笑われるかもしれない。そう思えるくらいに、理性が戻ってきていた。

 でも、思い付いてしまった以上は、誰かに話してしまいたかった。一人で悶々としているのは嫌だ。今はまだいいけれど、夜中に思い出したら、怖くて眠れなくなるかもしれない。

 葛藤の末、沙羅は覚悟を決めた。

 笑われる覚悟を。

 旅の恥はかき捨て。デートの恥はかき捨てだ。

 それに、笑い飛ばされた方が、怖さが吹き飛ぶような気がした。夜中に怖くなったら、笑い飛ばされた時のセリフをお守り代わりに脳内リピートすれば、怖さも薄らぐかもしれない。

「木下君。わたし、ううん。わたしたち、霊に憑りつかれたのかもしれない……」

「………………は?」

 木下は不思議そうに聞き返した。

 しばし、二人で見つめ合う。

 パチパチと瞬きをしている木下を、沙羅は無言で見上げた。

 笑い飛ばされる覚悟しかしていなかったので、普通に聞き返されて、どうしていいか分からなくなっていた。

 その内に、じわじわと羞恥が押し寄せてきた。

 高校生にもなって、何を言っているんだろう?

 そう思ったら耐え切れなくなって、ギュッと目を閉じて、両手を激しくワイパーのように動かす。

「ご、ごめん! 今のなし! な、何でもない! 何でもないから、忘れて!」

「え、いやいや、オレこそごめん! え、と、ちょっとびっくりして固まっちゃっただけだから! じょ、冗談で言ってるんじゃないんだよね? さっき、本気で鳥肌立ててたし。映画の影響なのかなー、とは思うけど。んー、どうしてそう思うに至ったのか、とりあえず言ってみ?」

 てっきり、愛想をつかされたのかと思ったのだが、どうやら沙羅のヨタ話に付き合ってくれる気があるようだった。

「呆れてない……?」

 上目遣いに見上げてくる沙羅が可愛くて、木下は緩みそうな口元を隠そうと、真面目な顔を取り繕った。

「大丈夫、呆れてないって。だから、話してみ? 確かに映画の主人公も霊に憑りつかれてはいたけど、そこからなんで沙羅ちゃんたち三人が憑りつかれてるって考えに至ったのか、ちょっと興味あるし。ね?」

 どうやら半分、面白がられているようだ。

 沙羅はむぅとむくれて見せたが、本心では特に気を悪くしたわけではなかった。このくらいの方が話しやすいと思った。

 真面目すぎず、軽すぎない。

 沙羅の話を鵜呑みにするのではなく、かと言って頭から否定するのでもない。丁度いい、スタンス。

 木下ならば、いい感じの答えをくれるのではないかと沙羅は思った。

 沙羅だって、出来れば信じたくはないのだ。自分たちが霊に憑りつかれたなんて。でも、思い付いてしまった以上、恐怖は簡単には消せない。

 だから、出来れば。

 頭ごなしの否定ではなく、沙羅が納得できるように。沙羅が安心できるように。

 いい感じに否定して欲しかった。


「双樹たちの話していた夢の話。実はわたしも、あれ、見てるの。言ったら双樹たちが調子に乗りそうだから、黙ってたけど」

「…………え? 夢って、エンとかハヤとか言ってた、アレ? ちょっと、昼ドラっぽい展開になってきた……?」

「うん。そう」

 ここで、例の夢の話が来るとは思わなかったのだろう。木下はポカンと沙羅を見下ろした。

 呆れられただろうかと心配になりつつも、沙羅は話を続けた。

「同じ夢を見るのは、わたしたちがエンたちの霊に憑りつかれてるからなんじゃないかって……思い付いて。それで、気づいたことがあるんだけど、わたしたちの夢、全く同じじゃないんだよ。微妙に違ってるところがあって。わたしの見る夢は、エン視点っていうか。たぶん、わたしならエン、双樹ならハヤ、花恋はライの視点での夢を見てるんじゃないかと思うんだ。それって、つまり、わたしたちはエンたち三人の霊にそれぞれ憑りつかれていて、エンたちの過去を夢で見させられてるんじゃないかって思って」

「あー。なるほど、そういうことか」

 ポンと木下が手を鳴らして、蘇りつつあった沙羅の鳥肌は吹き飛んだ。

 目をパチクリさせながら木下を見上げる。

「そういうこと、って?」

「沙羅ちゃん、ずっと夢のことが気になってたんだろ? 三人揃って似たような夢を続けて見るなんて、偶然にしては出来過ぎてるし。そんな時に、映画を観て、ストーカー行為とか現実に被るようなシーンもあったから、変な風に自分たちと重ね合わせて、あんな夢を見るのは霊に憑りつかれたからに違いないという結論に至ったと」

 ストーカー行為が被ったのは、現実よりは夢の方なのだけれど、大筋としてはその通りなので、沙羅はコクコクと頷いた。

「つまり、夢の問題が解決すれば、霊の問題も解決すると。流石に、三人揃って突然、霊に憑りつかれるとか、無理があるし」

 更に激しくコクコクと頷いた。

 沙羅の瞳に希望の光が灯る。

 それこそが、沙羅の望んでいたものだ。

(わたし、木下君と付き合っていて、よかった……!)

 心の底からそう思った。

「んー………………あ!」

 腕組みをしながら唸っていた木下が、突然目を見開いた。

「いやいやいや、流石にそれはないか。いや、でも、あいつならあり得る。ってか、これ、本当なら、霊とは違った方向性で怖すぎるだろ……」

「え? 何々? 何を思いついたの?」

 視線を忙しなく動かしながらぶつぶつ言い始めた木下の腕を掴んで揺すぶると、木下は一度沙羅と視線を合わせた後、気まずそうに逸らした。

「…………一つ、思い付いたことがある」

「うん」

「流石にそれはないだろうという思いと、あいつらならやりかねないという思いがせめぎ合って、後者に軍配が上がりつつある」

「うん。いいよ、言って。覚悟は出来てる」

 木下の言う“あいつら”が誰なのかは、聞くまでもなかった。

 きっと、碌でもないことなのだろうとは思ったが、霊の仕業かと怯えるよりはマシだろう。沙羅は先を促す。

 木下はチラリと沙羅を見て、また目を逸らした。

「夢のことは、全部、あいつらの仕込みなんじゃないかなーと。あいつらは、自分たちの作った物語の通りに口裏を合わせればいいだけだし。沙羅ちゃんの夢は…………双樹が沙羅ちゃんの部屋に忍び込んで、寝ている沙羅ちゃんの耳元で、花恋ちゃんと自作した物語を話して聞かせている、とか? 睡眠学習的な感じで。眠りの浅いときなら、同じような夢を見るかもしれない。夢を見るまではいかなくても、記憶には残るだろうし、二人の話を聞いて、自分もその話を知ってる、同じ夢を見たかもって、思い込んじゃったりすることはありそうじゃん?」

 大分手が込んでいるし、寝ている妹の寝室に入り込むとかどうかと思うが、確かにあの二人ならやりかねないと沙羅は思った。

 思って。

 全身の毛が逆立った。

「その可能性はある。とてつもなくある」

「あー、沙羅ちゃんもそう思うんだ」

 木下は気まずそうに視線を彷徨わせた。

 自分だって二人を疑っていたのだが、沙羅にまでこんなにあっさりと同意されると、何か居た堪れない。自業自得とはいえ、信用のない親友が少し気の毒になった。

「ふ、ふふ。そうだよね、霊なんているわけないもんね。そっか、双樹のせいか。双樹のせいででわたしはこんな怖い思いをする羽目に……」

 沙羅の体から、次第に不穏なものが立ち昇っていく。

「えっと、沙羅ちゃんの気が晴れたなら、よかった、けど。えーと、ほら、まだあいつの仕業だと確定したわけじゃないし?」

 限りなくクロに近いが、今のところはまだ木下の思い付きにすぎない。同じタイミングで三人揃って似たような夢を続けて見るなんて、あり得ないだろうから、何某かの関与はしているのだとは思う。だが、その手段として妹の寝室に侵入したかどうかは、まだ不確定だ。親友としては、流石にそれは外れていて欲しい。だが、沙羅はすっかりそれが真実だと思い込んでいるようだ。

「何言ってるの? 霊なんているわけないんだから、双樹の仕業に決まってるじゃない! 木下君、ありがとう。木下君に相談してよかった」

「あー……。どういたし、まして?」

 部屋に侵入されたかもしれないことへの怒りとかよりも、ただ単に霊の恐怖から逃れたいだけなのだな、と理解して木下は反論を止めた。

 寝室に侵入したかどうかは兎も角、結果として沙羅を怖がらせたのだ。

 せいぜい怒られておけと思った。

 木下は双樹を見捨てることにした。




 尋問は、大量のクッキーと紅茶と共に行われた。

 花恋はお土産分のクッキーを持って帰ってしまったのでここにはいない。

 沙羅の様子から、何かを察したらしく、双樹を見捨ててさっさと帰ってしまったのだ。

 悪事を暴かれることを恐れたのか、デートがうまくいった惚気話を聞かされるのが怖かったのかは分からない。

 どちらにせよ、沙羅的には好都合だった。

 花恋がいると、双樹の擁護に回ったりして、追及を引っ掻き回される恐れがある。それに、母は昔から花恋に甘いので、追及がなあなあで終わってしまう可能性があった。

「で、どうなの?」

 沙羅が疑惑を語り終えて双樹に詰め寄ると、リビングの温度が急激に下がった。

「正直におっしゃい? 双樹」

 同席している双子の母美智子が、雪女のように冷気を漂わせている。

 美智子の手の中の紅茶が凍り付いてしまったのではと心配になるほどだった。

「な!? いや!? するわけないだろう、そんなこと!」

 古賀山家の女二人に冷たく詰め寄られ、双樹は疑惑を否定する。

 デートの話を聞かされるのかと身構えていたら、沙羅もどうやら自分たちと同じ夢を見ていたらしいと告げられて喜んでいたのに。話が終わって見れば、なぜだか自分が容疑者にされていた。夜中に妹の部屋に入り込んだとか、不名誉極まりない事件の容疑者に。動揺のあまり、思わず紅茶のカップの中にクッキーを取り落としてしまった。

 最愛の妹にそんな変質者まがいのことをしていると疑われていることがショックだったし、怒っている母は普通に怖かった。

「本当に?」

「本当なの?」

 女性陣の疑いは晴れない。

 双樹は少し泣きたくなった。

「本当だ。いくら何でも寝ている妹の部屋に忍び込むとか、そんな変質者みたいな真似、するわけないだろう!?」

 必死で無実を訴える。

「双樹ならやりかねないと思って」

「そうね。否定はできないわね」

「なんで、そんなに信用されていないんだ!」

「双樹だし」

「双樹だしね」

「なっ!?」

 心外だった。

 古賀山家長男として信頼されていると思っていたのに。頼りにされていると思っていたのに。

 現実を思い知った双樹の中から、長男の気概とか、そんなような何かがしゅるしゅると抜け出していく。

 しおしおと情けなく眉尻を下げる双樹の姿に、さすがに何か思うところがあるのか、双樹の向かいで並んで座っている女性陣は顔を寄せてこそこそと話し出す。

「どう思う?」

「そうねぇ。本当にやっていないのかもしれないわね。双樹の性格からして、もしクロだったのだとしたら、下手に誤魔化すよりも、認めたうえで言い訳をする……というか自らの行動の正当性を主張するような気がするのよね」

「あー…………」

 ヒソヒソコソコソしているが、二人の会話はすべて丸聞こえだった。本気で隠すつもりもないのだろう。

「本当に、やっていないのね?」

 母が念を押してきた。

「やってない。夜中に沙羅の部屋に入り込んだりしてないし、そもそも、夢が作り話だってこと自体、濡れ衣だ。俺も花恋も、本当にあの夢を見た。それは嘘じゃない」

「分かったわ。とりあえずは、双樹の無実を認めましょう」

 背筋を伸ばし、真剣な顔で無実を主張する双樹をじっと見つめた後、母美智子が厳かに判決を下した。

 双樹はホッとした顔で頷いたが、内心釈然としなかった。

 とりあえず、ってなんだ? と思う。

「あー! でも、双樹の仕業じゃないとしたら、やっぱり霊の仕業ってことになるの!? そんなのヤダ! やっぱり、双樹の仕業ってことにしとこうよ!」

 突然、沙羅が叫び始めた。

 両手で頭を鷲掴んで、イヤイヤをしている。

「は? 霊?」

「え? 急にどうしたの? 沙羅」

 霊の話など寝耳に水の二人は、沙羅の奇行にぎょっとしつつ、クエスチョンマークを盛大にまき散らす。

「だって! 三人が同じタイミングで同じ夢を見るなんて! それも、一度じゃないし! そんなの、普通ありえないじゃない!? 霊の仕業としか思えないじゃない!? 一体、いつどこで憑りつかれちゃったの?」

 沙羅は半泣きで震えている。

 無条件で木下説に飛びついたのは、双樹ならやりかねないと思っていたのもあるが、霊の仕業という可能性を兎に角、排除したかったからだ。それなのに、こんなにあっさりと否定されてしまうとは。

「どこから霊が出てきたんだ……? あ、もしかして、映画か? 一体、何の映画を観てきたんだ。木下の奴め、沙羅に変な映画を観せやがって。……あー。あのな、沙羅。霊の仕業にしても、いろいろと説明がつかないところがあると思うぞ? なんで霊が俺たち三人に同じ夢を見せなきゃならないんだ? いいか、これは霊のせいなんかじゃない。俺には断言できる。これはつまり、俺たち三人が魂レベルで結びついているという証であり、三人で末永く幸せに暮らせという神のお告げに違いないんだ」

「………………」

 キリリと顔を引き締めた双樹は、セリフさえ聞こえなければ、妹の贔屓目を抜きにしてもカッコいいと思えた。

 セリフさえ聞こえなければ。

 妹の恐怖を和らげようとしての発言なのか、本当にそう思っているのか、それとも両方なのか。

 だが、霊の恐怖から逃れたい沙羅は、真剣に検討し始めていた。

 霊の仕業と、神のお告げ。

 どっちが、マシなんだろう?

 悩みに悩んだ挙句、我に返った。霊の仕業は怖いけれど、だからと言って神のお告げもあり得ないだろうと、さっきまでの自分にツッコミを入れる。

(あ! 木下君に相談してみようかな)

 木下なら神のお告げよりはマシな案を考えてくれそうだった。双樹犯人説は外れてしまったが、信憑性はあった。それは、沙羅にとって大事なポイントだった。今度は事実を確認しようとしたりせず、それをそっくりそのまま信じようと、沙羅は微妙に後ろ向きな決意をした。

 部屋に戻って、電話してみよう!

 よし早速、と腰を浮かしかけたところで、美智子から待ったがかかった。

「うーん。ところで、その夢ってどんな内容だったの?」

 そう言えば、夢の内容までは話していなかった。

 もしかしたら、母ならば何か元ネタになるような話を知っているかもしれない。元ネタが分かれば、霊以外の説の信憑性が増すかもしれない。木下がいい案を考えるための助けになるかもしれない。

 沙羅は椅子に座り直した。

 ほんの一縷の望みをかけて、母に夢の内容を話し始める。沙羅の夢の話に、双樹が自分の見た夢を補完する形で話は進められた。

 話を終えた沙羅は、双樹と目配せを交わし合いながら、様子がおかしい母を心配そうに窺った。

(お母さん、どうしちゃったんだろう?)

 美智子は、言葉もなくただ茫然としていた。見開かれた瞳は、何も映してはいないようだった。ただ、ユラユラと揺れている。

「母さん?」

 双樹が恐る恐る声をかけると、美智子はハッとして、双樹に視線を向けた。

 パチパチと瞬きを繰り返しながら、双樹を見つめる。

「…………双樹。一つ聞きたいことがあるの。夢のことは置いておいて。あなた、沙羅と花恋ちゃんのことを、どう思っているの? 一人の男として」

 この間の説教の時よりも、真剣な口調だった。

 母の心配の理由を理解して、沙羅は緊張を解き、双樹は慌てた。

 婚約者の花恋よりも沙羅の方が気になるなんていう夢を見たのだ。母親として心配にもなるだろう。しかも、ついさっきまで双樹には、夜中に妹の部屋に入り込んでいた疑いが掛けられていたのだ。

「え? いや! 沙羅のことは最愛の妹だと思っているが、結婚したいとか寝込みを襲いたいとかそういうことは思ってないから! それだけは断言できるから! それに、俺と沙羅には双子の兄妹という深い結びつきがあるからな。結婚する必要も、養子縁組をする必要もない。つまり、俺と花恋が結婚して、花恋と沙羅が養子縁組をすれば、完璧」

「もういいから。黙って。……いろいろと言いたいことはあるけれど、とりあえず、結婚対象が花恋ちゃんだってことには安心したわ。いろいろ中間をすっ飛ばしている気がするけど、まあいいとしましょう」

 双樹はまだ何か言いたそうだが美智子は視線だけでそれを黙らせて、今度は沙羅に向き直った。

「その夢の話だけれど。霊の仕業じゃなくて、前世の記憶が夢として蘇った……っていうのは、どうかしら?」

「「前世の記憶!?」

 意外すぎる母の発言に、沙羅と双樹の声が被る。

「えーと。母さんが若い頃に、そういう漫画か何かが流行っていたのか?」

 躊躇いがちな双樹の質問に、沙羅も追従してコクコクと頷く。

「そ、そういうわけじゃありません! もう、失礼ね。沙羅の安眠のために、お母さんが知恵を働かせてあげたっていうのに」

 美智子はカップに残っていたぬるい紅茶を一気に飲み干すと、頬を膨らませた。

「な、なるほど! そうか、そうだよね。あの三人がわたしたちの前世なら、三人で似たような夢を見てもおかしくないってことか。うん。きっと、そう。そういうことにしよう。間違いない。異論は認めない」

「前世だからって、同じタイミングで夢を見始めた問題は解決していないと思うが。やはり、神の……」

「ありがとう、お母さん。問題はすべて解決したよ」

 双樹の反論を沙羅は黙殺した。

 神のお告げなんて、論外。

 夢の原因は前世!

 それ以外の理由を受け付ける気はなかった。

 霊は怖いけれど、前世は怖くない。

 沙羅は足取りも軽くリビングを後にした。

 もちろん、話の顛末を木下に電話で伝えるためだ。

 何だか、全てが解決したような気になっていた。



★★★


 屋敷の裏手の人目につかない場所へ、その人はエンを呼び出した。

 ハヤの母親、ネツ。

 エンの実の父親である長の妻。

 ただし、妾の娘であるエンとは血は繋がっていない。

 ネツからすれば、エンは夫を惑わした憎い女の娘にすぎない。

 戻ってきてから知ったのだが、里では秘かに、エンの母親はネツが雇った呪い師に殺されたのだと噂されていた。

 証拠は何もない。ただの噂だ。

 だが、否定もし切れない。

 小柄なエンより背が高いネツは、冷たい瞳でエンを見下ろしている。怒りを含んだ冷たい瞳。口元は笑っているが、目は笑っていない。底冷えするような冷たい光を湛えていた。

 恨む、というよりは、ただネツが恐ろしかった。

 いつか自分も母と同じ目にあわされるのではと、エンはただネツを恐れていた。

 辺りに誰もいないことを確認すると、ネツは懐から包みを取り出した。エンの目の前で包みを開く。中から出てきたのは、羽の首飾りだった。

 エンが村を出た後、エンと母親が暮らしていた離れから見つかったのだという。母の形見だから受け取るように、とネツは言った。

 有無を言わさぬ、それは命令だった。

 本当かも知れない。嘘かも知れない。

 躊躇ったが、結局エンは首飾りを受け取った。

 どのみち、エンには拒否権はないのだ。

 あの目に見降ろされては、逆らえるはずもなかった。

 母の形見だから常に身に着けておくように、そう言い残してネツはその場を去っていった。

 一人残されたエンは、手の中の羽を無言で見下ろす。

 諦めたようにため息をつくと、それを首にかけた。そのまま、服の中に仕舞おうとして、思いとどまる。

 常に身に着けていると、分かるようにしておかなくてはならなかった。

 そう、命じられたのだから。

 服の下には、かつてエンが自分で作った首飾りが隠されていた。

 ハヤとライとお揃いの、首飾り。

 羽のお守りの首飾りの作り方を教えてくれたのは、母だった。


 本当かも知れない。嘘かも知れない。

 本当に母の形見かも知れないし、エンを罠にかけるための呪具なのかも知れなかった。



★★★


 カーテン越しに射し込んでくる朝日を感じながら、沙羅はベッドの上でぼんやりと目を開けた。右手の甲を、額に押し当てる。

 嫌な夢だった。

 とても、とても嫌な夢。

 しかも、その夢には。


(どうして、お母さんが……?)


 夢の中で。

 怒りを含んだ氷のような眼差しでエンを見下ろしていたネツは、沙羅の母、美智子と同じ顔をしていた。


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