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1章 告白と自覚と夢のはじまり

 古賀山沙羅こがやまさらは、腕組みをして、真剣な顔でメニューを睨み付けていた。

 甘くて幸せな悩みが、沙羅の脳内を占めている。

 メニューには、心躍るデコレーションが施されたパンケーキが並んでいた。

 キュッと絞られた生クリームとバニラアイス。綺麗に飾りつけられたフルーツの上を、繊細に彩るソースの模様。


 やっぱり、チョコバナナ?

 いや、マンゴーやミックスベリーにも心惹かれる。こちらには、バニラアイスの他にシャーベットも載っているのだ。

 だが、プレーンタイプについてくる塩キャラメルソースも捨てがたい。お値段的には、これが一番魅力的だ。


 どれもおいしそうだが、これにしよう! という決定打には欠けていた。

(よし! やっぱり、花恋が来てから一緒に選ぼう)

 メニューを決めることを一旦諦め、顔を上げる。

 顔を上げて、首を傾げた。

 四人掛けテーブルの向かいに座っている、木下陽きのしたようの様子が何だかおかしいのだ。

 頬を赤く染め、何やらソワソワと落ち着きがない。あちらこちらに視線を彷徨わせながら、時折、チラチラと沙羅の様子を窺い見ている。

(…………トイレを我慢してるのかなぁ?)

 だったら、遠慮しないで行ってきていいよ、と言おうとしたところで、木下が奇声を発した。

「さ、さささささ、沙羅ちゃん!!」

「う、うん?」

 奇声は言い過ぎかもしれなかったが、完全に声が裏返っていた。

 先を促すが、木下は口をはくはくさせながら沙羅を見つめているだけで、なかなか後が続かない。

(あ! もしかして、大きい方とか? それは、確かに女子には言いづらいよね。えーと、何て言ってあげればいいかな。我慢しないで行ってきてもらっていいんだけど、あんまりストレートにそう言っちゃったら、男心を傷つけちゃうかもしれないよね。うーん、どうしよう……)

 見当違いの心配をしていると、木下は水の入ったグラスを掴み、一気に中身を飲み干した。

 そして、何かを決意した顔で、沙羅を真っすぐに見つめる。

「沙羅ちゃん。その、話があるんだ。突然だから、びっくりさせるかもしれないけど、でも。沙羅ちゃんと二人きりになれるチャンスが、今後いつ訪れるか分からないし、だから、今! 言わせてほしい……」

 そう言えば、4月から半年近い付き合いになるのに、木下とこんなに長い間二人きりになるのはこれが初めて……のような気がする。

 今更のように、沙羅はその事実に思い至った。

 双子の兄の双樹そうじゅと、幼馴染の矢沢花恋やざわかれん。それから、双樹のクラスメートで出席番号が近い縁で仲良くなったという木下と、沙羅。

 高校に入ってからは、大抵いつも、この四人で行動していた。

 合間に、双樹や花恋と二人になることはあったけれど、思い返してみれば木下とだけは、たとえ一瞬たりとも二人きりになったことはないような気がする。必ず、双樹か花恋のどちらかが、沙羅の近くにいた。

 今まで、気にしたことはなかったけれど。

 でも、なぜだろう?

 こんな偶然が半年間も続くことってあるのだろうかと疑問に思いながら、目の前に座る木の下に目をやって、沙羅は慌てて居住まいを正した。

 木下は、今にも頭の天辺から湯気を吹き出しそうなほど真っ赤になって、手の中の空のグラスを見つめている。

 ようやく。沙羅にも、これから何が始まろうとしているのかが理解できた。

 思い違いでなければ、これは、たぶん、所謂……。

(う、うわあ)

 瞬時に大量の血液が顔まで昇りつめた。

「オレは、沙羅ちゃんのことが、好きです。もしよければ、オレと、告白を前提としたお付き合いをしてください!」

 木下はギュッと目を閉じて、一気に言い募った。目を閉じたまま、沙羅の返事を待っている。

 動揺のあまり、内容が若干おかしいことには気が付かなかった。

 赤面したまま、俯く。

 男の子から告白されるなんて、初めての経験だった。

 女の子として認められたようで。

 嬉しいし恥ずかしいし照れくさい。

 その一方で。

 なぜか脳裏には、今ここで全然関係ないはずの、双子の兄である双樹の顔が浮かんでいた。

 双樹のキリリとした精悍な顔立ち。所謂イケメンというヤツだが、チャラい感じは一切ない。

 ざわり。

 胸の奥が騒めいて、沙羅は咄嗟に胸元を押さえた。

 片思いの相手とかなら兎も角、どうしてここで、双樹の顔が浮かんでくるのだろうか? どうして、胸がざわめくのだろうか?

 自分のもののような、そうではないような、ざわめき。

 なんだろう、これは。

 初恋は確かに、双樹だったかもしれない。

 でも、それは幼い日の甘酸っぱい思い出なわけで。思い出だから美しいわけで。

(こ、高校生にもなって、告白されて兄の顔が思い浮かぶとか、どうなの? もしかして、わたし、ブラコン患ってる? それも、かなりヤバめの……?)

 思い返してみると、誰か他の男の子を好きになったことはなかった気がする。バレンタインの時にも、父親には普通の義理チョコだったのに、双樹には、いかにもな本命チョコを渡していた。父親と双樹以外には義理チョコすら渡したことがない。

(今年は双樹にもお父さんと同じチョコを渡そう)

 沙羅は固く心に誓った。もちろん、両方義理チョコだ。

 大丈夫。まだ、間に合う。

 まだ、引き返せる。

 過去のわたしは、別のわたし。別人みたいなもの!

 言い聞かせていると、胸の中のざわざわは遠ざかっていった。

 ほっと息をついたところで、木下の声が聞こえてきた。

「あ、あの? 沙羅ちゃん? その、突然だったと思うし、もしすぐに答えが出ないようなら、返事は今すぐでなくても……」

「へ? い、いや、え、えと、あの。わ、わたしでよければ、よろしくお願いします」

 すっかり思考が脇道にそれていた沙羅は、木下に返事を催促されたのだと思って、動揺のあまりついうっかりお付き合い了承の返事をしていた。

 直ぐに、あ! と思ったが、一度口から出た言葉はもう元には戻らない。

「え? ホ、ホントにいいのか? あ、もし、断ったら今まで通り四人で遊べなくなるかもとか考えてるなら、それは気にしなくていいから! どのみち、双樹と花恋ちゃんがガッチリ沙羅ちゃんをガードしてるから、結果的に今までと変わらない感じになると思うし。もしも、もうオレとは遊びたくないって思ってるなら、沙羅ちゃんが何も言わなくてもその意思を勝手に読み取った双樹と花恋ちゃんが容赦なくオレを排斥すると思うから。だから、気にしなくて、いい、よ……?」

 そんな未来を想像してしまったのか、最初は勢いよく喋っていた木下は、次第に生気を失くしていった。なんだか、目がウロウロしている。

 そんなことはない、と言ってあげることは出来なかった。

 たぶん、その通りになるだろうな、と沙羅にも予想できからだ。

 沙羅がブラコンなら、双樹も大概シスコンだったからだ。おまけに花恋は幼馴染コンだ。

 もう一度頭を抱えたくなったけれど、それよりも、今は返事をしなければならなかった。

 告白を了承したのは勢いからだったし、今ならまだ、お言葉に甘えてなかったことに出来るかもしれない。とても言いづらくはあるけれど、断るなら今だ。

 だが。

 これを断ったら、自分はこのまま一生、彼氏も出来ないし結婚も出来ないのでは、という気がした。

 ここは、勇気を出して、一歩足を踏み出すべきかもしれない。

 知らない相手なら躊躇うが、木下とならうまくいくような気がする。

 沙羅はテーブルの下でグッと拳を握りしめた。

「あ、あの、わたし。今までずっと、木下君は友達だと思ってたし、急に言われてもその、好きとかよく分からないんだけど、でも、木下君に告白されて、その、全然嫌じゃなかったし、だから、その。こ、こんな中途半端でよければ、木下君さえ、よければ、その……」

 こんな理由でもいいのだろうかと、段々尻すぼみになって、俯いてしまう沙羅だったが、木下は破顔した。

「いいです! それでいいです! 全然いいです! 沙羅ちゃんに本気で好きになってもらえるように、これから死ぬ気でがんばります!」

 ストレートな言動に、沙羅は赤面した。

 こんな風に言ってもらえて、悪い気はしない。

 意外と、うまくいくのではないかと思えてきた。

「その、よろしく、です……」

「こちらこそ!」

 元気よく答えた後、木下はふーっと息をついて、背もたれに寄りかかる。

「あー、よかった。緊張した。せっかくのチャンスを無駄にしてはならないと、清水から飛び降りてみてよかったー。やー、最初は沙羅ちゃんに世の中の男は双樹だけじゃない、どころか攻略対象なのは双樹以外の男だってことを認識してもらうだけで十分だって、自分に言い聞かせてたからさー。まさか、本当にお付き合いができるとは……」

「え゛? 木下君の目から見ても、わたしってそんなイメージ?」

 緊張から解き放たれて、つい本音が零れて仕舞ったのだろう。口元を引きつらせている沙羅を見て、木下はしまったというように視線を逸らす。

 沙羅はガクリと肩を落とした。

「や。でも、自分でもそうと気づいて何とかしようと思ったから、OKしてくれたんだよね? だったら、問題ないんじゃないかな? 前向きでいいと思う」

「そう、思う?」

 慌ててフォローに走る木下をチロリと見上げると、木下はドンと胸を叩いた。

「もっちろん! この後は、オレの頑張り次第だと肝に銘じてます」

 おどけて言う木下に、沙羅は笑ってしまった。

 結構、本気で想ってくれているらしきことが感じられて、胸の奥がほわっと温かくなる。

 女子として認められたようで、沙羅の中の女の子の部分が、満たされたような気がした。

(だから、きっと、大丈夫)

 なぜだか、そんな風に思った。



 四人そろったテーブルは、重苦しい雰囲気に包まれていた。

 正確には、重苦しいのは遅れてやってきた双樹と花恋の二人だけなのだが。

「夏休みの間は間違いがないようにあんなに気を付けていたのに。まさか、ここへ来てこんなことになるとは。油断した・・・・・。こんなことなら、用事があるからって話自体を断ればよかった。今後、二度とこんなことが起きないように、俺にとって一番大事な女の子は沙羅だから、他の女と付き合うつもりはないって、はっきり公言しておくべきか? いーや、そもそも、木下となんか友達になったのが間違いだったんだよ。出席番号が近かったばかりに、俺の沙羅が、こんなことに……」

「あー、もー。どうして、寄りにもよって日直の日を選んじゃったの~。もー、先生が帰り際に余計な仕事を頼んだりしなければ……。まさか、双樹も女子たちに捕まっていたなんて。そうと知っていたら、遠慮しないで沙羅にも手伝ってもらったのに。木下なんて、一人で放っておいたってよかったのに。お店も思ったよりも込んでないし、一体、私は何のために…………」

 二人とも、テーブルの上で頭を抱え込んで、さっきからずっとかなり残念なことをぶつぶつと呟き続けている。

 自分の兄と幼馴染は、こんなに残念な生き物だったろうか?

 シスコン、長馴染みコンだとは分かっていたけれど、ここまで酷いとは思っていなかった。

 元からこうだったのに、ただ沙羅が気づいていないだけだったのか。それとも、沙羅の初めての男女交際を切っ掛けとして、二人の中に潜在化していた何かが噴出してしまっただけなのか。

(どうして、こんなのが初恋の相手とか思っていたんだろう? わたし)

 二人にこんなに想われて嬉しい、とは流石に思えない。

 思ったよりも、沙羅の兄離れは簡単に進みそうだった。

 木下と交際することになったと伝える前に、注文を済ませて正解だったなと沙羅は遠い目をした。先に伝えていたら、おそらく注文どころではなかっただろう。


 駅前に新しく出来たパンケーキの専門店に行ってみたいと言い出したのは、花恋だった。

 いつもなら、遊びに行く時は、四人そろってから学校を出るのだが、今回は出来たばかりのお店で混んでいるかもしれないからと、女子チーム・男子チームに別れて、先に店についた方が席をとっておくことにしたのだ。沙羅と花恋は同じクラスだったので、クラスごとの班分けともいえる。授業が早く終わったチームが、先に席をとっておく作戦だ。

 作戦だったのだが。

 女子チームの方は、日直だった花恋が帰り際に担任に用事を頼まれてしまったので、沙羅だけ先に店に向かうことになり。男子チームの方は、双樹が同じ一年の女子生徒に話があるからと(所謂、愛の告白というヤツなのだが)連れ出されたので、木下一人で先に行くことになった。

 結果的に。

 沙羅と木下の二人で先に店に入って、ほんの二、三十分とはいえ、二人きりの時間を過ごすことになった。

 頭を抱えていつまでもグダグダ言っている双樹と花恋を冷めた目で見つめながら、沙羅はため息をついた。二人にこんな視線を向けるのは、これが初めてかも知れなかった。

 遅れてやってきた双樹と花恋に、木下と付き合うことになったと告げたとたん、二人は店員の目が気になるくらいに取り乱し始めたのだ。二人とも美男美女で元々人目を引いてただけに、ダメージが大きい。怖くて周囲の様子を確認する勇気はないが、さっきからチラチラと視線を感じてはいた。その居たたまれなさに比例して、視線に籠る冷気も強くなる。

 なぜだか知らないが、双樹ばかりでなく花恋まで、小さい頃から沙羅に対して、やたらと過保護だった。小学校の頃まではいつも三人で遊んでいたのだが、他の男子が少しでも沙羅のことをからかったりしようものなら、相手が泣き出すまで徹底的に反撃していたことを思い出す。いつだって、何よりも沙羅のことを優先してくれて、守ってくれる、優しくて頼りになる兄と幼馴染だと思っていた。全幅の信頼を寄せていた。

 だが、今は。

(流石に、これはちょっとどうかと思う)

 二人の発言というか呟きは、兄、そして幼馴染としての、過保護とか心配のレベルを超えている。

 ――てっきり、祝福してもらえるものだとばかり思っていたのに。

 何だろう、これは?

 大体、木下に対して失礼だと思った。

 二人がいない間に、ガラの悪そうな男たちにナンパされたとか、いかにも女癖が悪そうな男に騙されて付き合うことになったとかいうなら、この反応もまあ分からないでもない。

 でも。相手は木下なのだ。

 ずっと、友人として仲良くやってきた木下なのだ。

 普通に考えて、ここは祝福すべきところだと思った。

 ちらりと前に座っている木下を窺うと、酒も飲んでいないのに管を巻いている二人を見て苦笑いを浮かべている。呆れてはいるが、怒ってはいないようだ。恐らく、こんな二人を相手にするのは、今に始まったことではないのだろう。今まで木下と二人きりになったことがなかったのも、偶然なんかではなく、双樹たちが裏で暗躍していたせいなのだ。たぶん、間違いない。

 そのことに、全然、気づいていなかった自分に頭痛を覚える。

 いや、もしかしたら。今までの自分なら、たとえ気づいても、“二人にこんなにも守られているわたし”に陶酔していたかもしれない。

 痛々しいし、寒々しい。

(よかった。正気に戻って)

 本当に、夢から醒めたかのような心地だった。

 思い切って、一歩足を踏み出してみて正解だったかもしれない。今ならまだ、傷は浅い気がする。二人からの行き過ぎた愛情を当たり前に受け止めていたら、自分もまた引き返せないところまで染まり切ってしまったかもしれない。ドロドロとした沼に足を絡めとられて、抜け出せなくなっていたかもしれない。

 沙羅はぶるりと身を震わせた。

(今こそ、自立しないと! 行き過ぎたブラコンを断ち切らないと!)

 冷静に自分を見つめ直している沙羅の傍らで、兄と幼馴染の方は暗黒のオーラを放出しまくりながら、間違った方向への反省を続けている。

(……行き過ぎたシスコンと幼馴染コン? も断ち切らせないといけないよね。このまま放っておくと、絶対に面倒くさいことになる気がする)

 長い付き合いである。

 このまま、恨み言だけで終わるはずがないと、沙羅には分かっていた。

 きっと、何か妨害を仕掛けてくるはずだ。

(最初に付き合う相手が木下君でよかったかもしれない。二人への対抗策を一緒に考えてくれそうだし。そういう意味では頼もしいかも)

 チロリとテーブルの向かいに席に座る木下に視線を走らせる。木下は隣に座っている双樹と小声で言い合いをしながら、テーブルの下でお互いの足を蹴り合っているようだった。

 見ていてハラハラするような喧嘩ではなくて、微笑ましいと言えないこともない、男子高校生同士のじゃれ合いといった感じだ。

(結構、仲いいくせに。木下君であの反応なら、別の男の人と付き合いたいとかいったら、どうなっちゃうんだろう? もしかして、木下君とうまくいかなかったら。わたし、本当に一生男の人とのお付き合いなんて出来ないかもしれない)

 背筋を冷たいものが駆け抜けていった。

 グッと水の入ったグラスを握る手に力を入れる。

 沙羅は恐ろしい考えに蓋をして、とりあえず遠くへと押しやった。


 そうこうしている内に、注文したパンケーキが運ばれてきた。

 沙羅がチョコバナナで、花恋はミックスベリー。男たち二人はプレーンを選んだ。

 テーブルの上に置かれた甘い芸術品を前にして女子二人から歓声が上がる。さっきまでの、じっとり重い雰囲気は、甘い匂いに吹き飛ばされた。目前の甘味よりも重要なことなど、女子にとってあるわけがない。

 沙羅と花恋は、甘い幸せの前に笑み崩れた。木下は嬉しそうな沙羅を見て相好を崩している。

 そんな中で、双樹だけが一人真剣な顔で腕組みをして、何やら考え込んでいた。

 三人は双樹の様子には気が付かずに、いただきますの声と共に、ナイフとフォークを取り上げる。

 その時。

 パンケーキを切り分けようとした木下の腕を、双樹ががしりと掴んで止めた。

「木下、話があるんだ」

「は?」

「木下。俺たち、別れよう」

「は!?」

 ナイフとフォークを握りしめたままの木下の顔に、冷や汗と共に「何言ってんだこいつ?」というテロップが流れる。そして、その手があったか! とでもいうかのように顔を輝かせる花恋。

 沙羅は、一人パンケーキを切り分けながら、フッと冷たく鼻で笑った。

 ごく自然に冷たい表情が浮かんできた。

「双樹と木下君が友達じゃなくなっても、わたしは木下君と別れたりしないよ?」

「「反抗期!?」」

「大人への一歩を踏み出したんだよ」

 妹離れ、長馴染み離れが出来ない二人に、沙羅はにべもなく答える。

 木下は頬を紅潮させて俯き、双樹と花恋は愕然とした表情で固まった。すっかり血の気が引いてしまっている二人が、悪い意味で痛々しい。

 沙羅は構わずに、切り分けたパンケーキを口に運んだ。

「んー! チョコバナナ、正解。生地もふわっふわ」

 バナナの風味が移った生クリームとチョコソースが、何とも言えないハーモニーを奏でている。

 楽し気にパンケーキを攻略している沙羅の姿に、木下は見とれていた。パンケーキは手つかずのままだったが、甘く蕩けそうな顔をしている。

 双樹と花恋は、血の涙を流しそうな表情でギリギリと奥歯を噛みしめていた。

「沙羅。一つだけ、おまえに言っておきたいことがある」

「ん?」

 口をもぐもぐさせたまま、沙羅は双樹へ顔を向けた。

「たとえ、結婚したとしても、離婚する人たちは世の中に大勢いる。おまえはまだ高校生で、木下とは付き合っているだけだ。だから、別れたいと思ったら遠慮なく、むしろ今すぐにでも、いてっ」

 最後まで言えなかったのは、隣に座る木下に脛を蹴られたからだ。

「何をする!? 大体、おまえのせいで」

「黙れ! おまえこそ、いい加減妹離れしろ!」

 テーブルの下からガツガツと見苦しい小競り合いの音が聞こえてくる。

 沙羅は半眼で双樹を見つめた。

 これはない、と思った。

 早急に、何とかしなければ。

 二人にも早く、妹離れ、幼馴染離れをしてもらわなければ。

 その方法を考えて、一つ思い付いた。

 早速、実行に移すことにする。

「ねえ、木下君。明日、デートしよう?」

「も、ももももも、もちろん!」

 いたずらっぽく沙羅が笑いかけると、木下は前のめりでドモりつつも、即答した。木下の反応に気をよくし、沙羅は満足げな笑みを浮かべる。

「あ。二人とも、ついてこないでね?」

「な、ななななな、何を言っているんだ、沙羅? 二人きりなんて、まだ早すぎる!」

「そうだよ! あ、そうだ! まずは、ダブルデートってことで、四人で遊びに行こうよ!」

 動揺のあまり椅子から立ち上がって説得らしきものを試み始めた二人に、沙羅は努めて冷たい視線を投げつける。

「それじゃ、いつもと一緒でしょ。ついてこないでね? っていうか、二人は二人でデートしたらいいんじゃない?」

 そっけない沙羅の言葉。双樹と花恋はしょんぼりと肩を落としかけ、ハッとしたようにお互い見つめ合う。示し合わせたわけでもないのに、同じタイミングでストンと座り直すと、無言で手つかずのままだったパンケーキを攻略し始めた。心なしか、頬が赤らんでいる。

(これを切っ掛けに、二人も付き合っちゃえばいいのに)

 花恋が双樹を好きなことには気が付いていた。双樹の気持ちは、今一つ分からなかったけれど、この様子だと満更でもないのだろう。

 花恋の気持ちは応援していた。

 いくらブラコンを募らせていたとはいえ、自分と双樹がどうなるわけでもないことはちゃんと頭では分かっているのだ。

 分かってはいたけれど、二人が恋人同士になったら、自分だけが取り残されてしまうようで、積極的に二人の中を取り持ったりはしてこなかった。子供のころから続いてきた、今の三人の関係を壊したくなかった。

 でも。

 沙羅たちも、もう高校生なのだ。いつまでも、子供のままではいられない。

 三人とも、そろそろ新しい一歩を踏み出すべき時が来たのだ。

 沙羅はにっこり笑って、最後にもう一度念を押した。

「ついてこないでね?」




 その夜。

 沙羅は夢を見た。

 とても幸せで。

 とても悲しい夢だった。

 知らないはずなのに、知っている夢だった。

 目が覚めると、夢は切れ端すら残さず、スルリと朝の光の中に逃げ込んでいった。

 満月を見上げていた。

 それだけは、覚えている。

 満月と、そして。

 そして――?

 切れ端を追いかけようとしたけれど、既に尻尾すら見つからない。

 諦めて身支度を始める。

 朝食の席に着くころには、夢のことはすっかり忘れていた。



 昔はお城があったという花白公園は、沙羅たちが通う中央高校から一駅向こうで降りた、そこそこ賑わっている商店街を抜けた先にあった。高台になっていて見晴らしもいいし、公園の中央には大きな噴水、そして北側には、直径二メートルほどの花時計があったりして、学生たちに人気のデートスポットだった。それなりに雰囲気があり、何といってもあまりお金がかからない。

 昨日のパンケーキのせいで、あまり懐に余裕のない沙羅と木下は、商店街で買った飲み物を手に、噴水の傍のベンチに座っていた。

 初デートだというのに、二人の表情は晴れない。

 木下の方は苦笑い程度なのだが、沙羅はミルクティーのペットボトルをギリギリと握り締め、糖分ゼロのチョコレートでも食べたかのような苦々しい顔をしている。

 原因は、さっきから噴水の周りをグルグルと回っている、帽子にサングラスにマスクの怪しいカップルにある。カップルは、沙羅たちの通う中央高校の紺色のブレザーを着ていた。

 双樹と花恋だ。

 キリリと精悍な顔立ちの双樹と、ゆるふわ天然パーマを腰のあたりまで棚引かせている、甘く華やかな顔立ちの花恋。

 美男美女の二人なのに、今はただの変質者で不審者だ。

 直接的な妨害があるわけではないが、保護者に監視されている状況で甘い雰囲気になれるはずもない。そこをあえて見せつけてやろうと考えるには、二人とも恋愛経験値が低すぎた。

 ついてくるなとは釘を刺したものの、物陰からこっそり様子を窺うくらいのことはするんだろうな、とは思っていた。されなかったら、それはそれで寂しい気がしたかもしれない。だが、こうくるとは思わなかった。

 公園内には中央高生だっているのに。二人はもう少し、自分たちの評判を大事にするべきだと沙羅は思った。

「まあ、予想はしてたけどさ。双樹は兎も角、花恋ちゃんは初デートがあんなんで、本当にいいのかね?」

「全くだけど。ああいう時の二人は、息バッチリだから。全然、気にしてないと思う。残念なことに。そんなことよりも、木下君はもっと怒ってもいいと思うよ?」

 ミルクティーの甘さで苦々しさを洗い流しながらそっと隣を窺うと、木下はいやーと片手で頭を掻いた。

「まあ、こんなことになるんじゃないかとは思っていたからさ。ごめんなー、せっかくの初デートがこんなことになって。オレが言うことじゃないかもしれないけど」

「うん。むしろ、それはわたしのセリフだね。わたしの身内がごめんなさい」

 沙羅が神妙な顔で頭を下げると、木下は吹き出した。

 変質者兼不審者たちからの視線がチラチラと鬱陶しいが、沙羅も木下もあえて無視した。

「まあ、あいつらがああなのは分かったうえで、それでも沙羅ちゃんと付き合いたいって思ったから告白したわけだし、オレは全然気にしてないから。だから、沙羅ちゃんさえよければ、これに懲りずに、またデートして欲しいな」

「こ、こちらこそ! えっと、その、ぜひ! よろしくお願いします!」

 照れたように笑う木下に、ほわっと胸の奥が温かくなる。釣られて沙羅まで照れてしまい、二人ははにかみながら膝の上で手をもじもじと動かす。

 ようやく、デートらしい雰囲気になってきた。

 ねっとりと絡みつくように注がれる濃密な視線も、今は気にならなかった。




「はー。それにしても、あの二人……。まさか、わたしと木下君が別れるまで、あんなことを続けるつもりじゃないよね……?」

 肩まで湯船に浸かって体から力を抜きながら、沙羅は呟いた。

 木下でなかったら、たぶん。数日中には別れを切り出されていただろうと思う。いや、場合によっては、最初のデートの最中に「やっぱり、この話はなかったことに」などと言われていたかもしれない。厄介なこぶの存在を承知で沙羅と付き合おうなどと言ってくれる人は、木下だけなのでは、とも思う。

 怪しい出で立ちで公園内を徘徊していた二人を思い出して、沙羅は眉間に皺を寄せた。

 一体、あの帽子とサングラスは、いつどこで調達してきたのか。

 あの公園には、沙羅たちと同じ中央高校の生徒もいたのに。明日には、何か変な噂になっているのではないかと思うと、正直、頭が痛い。

「ふー……」

 湯船の中で体育座りをして、ブクブクと口元まで湯につかる。

 二人の変質者に初デートを台無しにされたけれど、最終的にはいい雰囲気になったと思う。木下の、こぶつきでも付き合いたいというセリフを思い出すと、つい口元がにやけてくる。

 所謂、イケメンに分類される双樹とは違い、木下の外見は可もなく不可もなくといったところだが、小ざっぱりとした感じで、沙羅は嫌いではなかった。華やかな花恋に比べれば、自分だって地味で大人しい外見(木下に言わせれば、清楚で可憐なのだが)なのだし、普通なくらいの方が丁度いいとも思っていた。

 明るくて話しやすく、沙羅の意見を気にしてくれつつも、かと言って何でも言いなりというわけでもなく、ちゃんと言うべきことは言ってくれる。

 そして、何よりも、双樹と花恋の扱いに長けている。

 最重要ポイントだった。

 やはり。木下を逃したら、自分は一生男の人とお付き合いなんてできないのではなかろうか?

 蓋をしていた恐ろしい考えが、再び頭を過る。

「次のデートは、何としても成功させないと」

 自分の未来のためにも。

 湯船から顔を上げると、沙羅は誰にともなく宣言した。



 沙羅がお風呂から上がると、リビングでは双樹が正座で母親に説教されていた。

 夕飯の最中に沙羅が今日のデートの顛末を話したところ、母美智子はたいそうお怒りになった。

 妹の初デートを台無しにしたこと、木下への非礼、それから花恋への扱いについて。

 沙羅としてはそういうつもりで話をしたわけではなかったのだが、説教の内容を聞いたところ母の言い分ももっともだと思ったので、放置して先にお風呂に入ることにしたのだが、まだ話は終わっていなかったようだ。

 そろそろ、止めてあげるべきだろうか。

 沙羅は母の後ろで話を聞きながら、介入のタイミングを計る。

「大体、双樹。あんたは花恋ちゃんに甘えすぎよ。あの子もちょっとアレなところがあるから、喜んであんたの奇行に付き合ってくれているんだろうとは思うけど、それに甘えてちゃ駄目でしょ! たとえ花恋ちゃんがいいって言ったのだとしても、いつまでも妹の尻を追いかけていないで、男の子としてちゃんと花恋ちゃんをエスコートしなさい! 花恋ちゃんが普通の女の子だったら、速攻でフラれているところよ?」

 腰に手を当てて、分かっているのとでもいうように双樹を睨み付ける美智子。双樹は顔を上げて真顔で反論した。

「別に構わない。たとえ花恋であっても、沙羅の幸せを優先できないような相手に、付き合う価値はない。そんな相手は、むしろ、こちらから願い下げだ」

「双樹!!!」

 きりきりと眦を吊り上げた母親に怒鳴られて身を竦める双樹だが、意見を翻す気はないようだった。

 沙羅の中の何かのゲージがマイナスへ振り切った。

 あの兄はもう、手遅れかも知れない。

 腐れ縁過ぎるせいかちゃんと付き合っているわけではないものの、二人ともお互いに好き合っているのだと思ったのに。沙羅と木下のことをきっかけに、双樹たちの仲も進展するのではと思っていたのに。

 なんだか、自信がなくなってきた。

 母の説教は当分、終わりそうにない。

 だが、助けてあげようなどという気は微塵もなくなっていた。

 苦情を言うだけで終わりにせず、自分ももっとちゃんと怒っておくべきだったかもしれないと、沙羅は反省した。

 二人を放って、沙羅は自室へと引き上げた。



★★ ★


 昔話に出てくるような、質素な身なりをした小さな女の子が河原でしゃがみ込んでいた。

 満月を映し込み仄かな光を放つ川の水で、鳥の羽らしきものを洗っているようだ。洗っていると言っても、水の中に羽をつけて、ただ流れに任せているだけなのだが。

 流れに持っていかれないように気を付けながら、同じような羽を三つ、洗い清める。それから、綺麗なった羽を一枚ずつ月明かりに翳して、大事に懐に仕舞いこんだ。

 満足げな笑みを零すと、女の子は水際を離れ、暗い森の中へと駆けて行く。

 女の子は、幼い頃の沙羅と瓜二つだった。


 月光で清められた羽は、紐を結び付けて、三つの首飾りとなった。

 一つを自分の首にかけると、残りの二つは双樹と花恋によく似た子供に手渡す。

 沙羅似の女の子よりも上等な服を着た二人は、笑顔でそれを受け取り、首にかける。喜んでいる二人を見て、沙羅似の子も嬉しそうに微笑んだ。


 顔に白い布をかけられて横たわる女の人に取りすがって泣いていた。

 やがて、知らない男がやって来た。

 男に手を引かれて、沙羅似の女の子は諦めた様に歩き出す。

 何処に向かうのかは分からない。

 分かるのは、ただ。

 双樹と花恋に似た子供たちとは、これでお別れなのだということだけだった。



 戻ってきた。

 また、二人に会える。

 わたしのことを、まだ覚えているだろうか?

 期待と不安がない交ぜになった、少々落ち着かない気持ちで、少女は茂みを掻き分けていた。

 近道をするためなのか、単に童心に帰っただけなのか。

 どうだったのだろう?

 兎に角。年頃に成長した沙羅そっくりの少女は、腰をかがめて両手で茂みを掻き分けながら、足を進める。

 ガサリと大きな音を立てて、茂みから顔を突き出すと、驚いた顔で少女の顔を見下ろしている、双樹によく似た人と目が合った。

 精悍な顔立ち。逞しい体躯。

 双樹によく似ているけれど、双樹よりもずっと大人びている。双樹にはない、落ち着きが感じられた。

 少女は慌てて茂みから抜け出すと、顔を赤くしながら驚かせたことを誤った。

 怒ってはいないようだった。

 節だった長い指がの髪に伸びてきて、少女の鼓動が跳ねあがった。

 指は少女の髪に絡まった葉っぱを摘み上げ、ゆっくりと戻っていく。

 取り除いた葉を手にしたまま、その人は優しく微笑んだ。

 風が吹いて、手の中の葉を揺らす。

 ざわりざわり。

 風は、少女の胸の中の、何かをも揺らしていった。

 ざわざわ。ざわざわ。

 聞こえる音は、外からもたらされたものなのか。それとも、少女の中から湧き上がってくるものなのか。

 胸の奥が、甘く痺れた。

 じわりじわりと、指の先にまで広がっていく。

 ざわざわ。ざわざわ。

 音とともに、甘い痺れは全身を駆け巡っていった。


 かつて、母と暮らしていた粗末な離れ小屋で、少女は一人佇んでいた。

 思い出すのは、自分とよく似た容貌をした母と、二人の幼馴染。

 腹違いの兄と、兄の遠縁にあたる女の子。母方の遠縁なので、少女とは血のつながりはない。

 首筋に手をやり、首飾りの紐を手繰り寄せる。服の中に隠していた、すっかりボロボロになった羽飾りを取り出す。

 あの二人は、今もまだこれとお揃いの首飾りを持っていてくれるだろうか?

 自分のことを、覚えていてくれるだろうか?

 じっと羽を見つめていると、外から声が聞こえてきた。

 エン、と自分を呼ぶ男女の声。

 少女、エンは顔を上げると、外へと飛び出して行った。

 ハヤ――。ライ――。

 二人の名を呼ぶ。

 まず、華やかな美貌の少女と目が合った。ライだ。

 ライは零れんばかりの笑みで、エンを迎えた。

 エンの胸にかかっている羽の首飾りに気付くと、ライもまたさっきのエンのように、服の中から羽飾りを取り出して、胸の前で揺らした。

 嬉しくて、泣きそうになった。

 ちゃんと持っていてくれたのだ。

 忘れずにいてくれたのだ。

 それから、ライの隣に立つ男に視線を移し、エンは笑顔のまま固まった。

 ライの隣で同じように服の中から羽飾りを取り出したのは、さっき茂みで出会ったあの男だった。エンの髪に絡まった葉っぱを取ってくれた、あの男だった。

 ハヤ――。

 エンが呼びかけると、男は、ハヤは困ったような笑顔で頷きを返した。

 冷たさを伴う甘い痺れが、再びエンの全身を駆け巡る。

 エンは切なく笑った。

 全身を巡る甘い痺れ。

 自分は、そうとは知らずに毒に侵されてしまったのだと、エンは理解した。



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