ありがとう、ごめんなさい
時間の流れを感じない空間の中で、私はだんだんと私としての意識を失っていった。
それは残酷なことのようであったが、裏を返せば全く残酷ではなかった。
私としての意識が薄まれば、薄まるほど、現世への思いは薄れていき…大切なもの…大切だったものへのこだわりもなくなり…私は「柊ゆゆ」という概念へと変化していた。
いつここから見つけてもらえるかわからない。
もしかしたら…この先途方もない時間を一人で過ごし、誰にも見つけてもらえないかもしれない。
飽きるほどの時間をここで過ごすことへの不安よりも、なぜか私は安心していたのです。
もう…悩まなくても、頑張らなくてもいいのなら…それはシアワセなことなのかもしれない。
ここは何の光もない暗い部屋。誰かが見つけてくれない限り、スポットライトがあたることはなく、私は物語には登場できないし、ヒロインにもなれない…。でも、それでももうかまわない。
「…見つけました…弘樹のお姉さん。」
「…あなたは柊ゆゆ…違うか、今の私。どうして…?」
「…こんなに深く潜らなくてもよかったはずなのに…。」
「…私の自由でしょ、私は…もう疲れたの、今なら本当に弘樹の気持ちがよくわかる…あの子に私のエゴで
外に出るように、出るようにってひどいこと…したわ。」
二度と会わないと思っていた。二度と会いたくもなかった。
私の思いが屈した相手。私のことをここに追いやった相手。
…悔しいけれど、この子の純粋な黒さにはかなわないと思った。
どんな色も塗りつぶして、光を通さなくする黒さ…この子はすべてを黒に、オセロなら完璧な勝利を勝ち取ることができる。
「…私、正直お姉さんのこと嫌いです。」
なんの悪びれもなく柊ゆゆが笑う。見惚れてしまいそうになるくらいに可愛らしい顔で。
「…私だってあなたのことが嫌い、大嫌いよ。」
私は、顔を伏せて言葉をひねり出す。好きなわけがない…私からすべてを奪ったこの子が…憎い。
なんでまた私の前に現れたの…もう二度と会いたくなかったのに、今更何を…これ以上私から何を奪おうとしているの…私にはもうなにも、身体すらないというのに…。
「でも、弘樹のために一生懸命だったのは知っていますし…弘樹と私を逢せてくれたのは…お姉さんだから、嫌いだけど…大好きです。
私は…できるなら弘樹と自力で出逢いたかった。
それに弘樹にとって一番最初に力になれる存在でありたかった。
…でも、それは全部お姉さんのものだから…だから嫌いなんです。」
「意味が…分からないよ。」
「別に、好きになってもらおうなんて思ってません。
…私の都合です。お姉さんの身体を、弘樹のお姉さんという立場をお返しします。
私は…ゆゆとして弘樹を愛したいから。」
「勝手に私のこと身体奪って、いきなり返すとか…意味分からないよ。」
本当に嫌気がさす。
今更、ここから出ていけというなんて…もう私は、疲れたって言っているのに。
うずくまった私の身体を小柄な身体が抱きしめてきた。
熱いくらいに、身体の熱が高いその体は、生意気にも私を慰めるように、背中をさすってきた。
その手の熱が上下するたびに、涙がこみあげてくる。
「どうせ…戻ったって…弘樹は私より、あなたみたいなお姉ちゃんを望んでいるのよ…。
私、知っているもの…あなたが私としてふるまって生活していた方が…すごく、なにもかもうまくいっていたって…私にはあなたみたいになることは無理なのよ、ほっといて!!
もう金野弘美なんて…いなくてもいいの!!」
「………弘樹は、お姉さんにありがとうって伝えたいって言っていました。
………もとの姉弟に戻りたいって言っていました。
私は…金野弘美…弘樹のお姉さんとしては落第です。
弘樹を追い詰めてしまった…それに、もっともっとと欲が出てしまった。
弘樹は、お姉さんを求めています…私が中にいるお姉さんではなくて、小さいころから一緒に、いろんなことをしてきたあなたが中にいるお姉さんを…です。
クヤシイですけど、ネ。」
「なんで…なんであなたがそんなことを言うの…私のこと嫌いなくせに…。」
零れ落ちる熱い涙に、頬が妬けそうになる。
ボロボロになった私に…一番嫌いだった…分かり合えるはずのなかったはずの人物が寄り添う。
「知りませんか?好きと嫌いは紙一重…私、お姉さんのこと大嫌いだから大好きになれたんです。」
柊ゆゆが立ち上がって、私に手を差し伸べてくる。
私は…ちょっと戸惑いながら…その手に自分の手を重ねる。
「…私は…やっぱり大嫌い…でも…弟を助けてくれたあなたなら…大好きになれるのかもしれない。」
「それで充分です!私を私として意識してくれているだけで…ゆゆにはシアワセなんです。
お姉さん…ありがとう…そして、ごめんなさい…。
きっと忘れてしまうと思うけれど…本当に出逢わせてくれてありがとう。
勝手に身体を借りてごめんなさい…でもおかげで大切なこと、知れたの…本当にありがとう…」
嬉しそうに私の両手を掴んで、満面の笑みを浮かべる柊ゆゆを見て…やはり、この子にはかなわないと心底から思った。
薄れていく記憶と意識の中で…その子の声が心地よく響いていた。
大嫌いでもいいけれど…
できれば、次にお姉さんとして目を覚ました時には…
私のことも好きになってほしい…
そうしてできれば…姉妹となって…いろんなことをしてみたい…
これは本当に…私のわがままだけれども…弘樹のお姉さんが弘樹を思う気持ち羨ましかった
だから…できるならば…私も、家族の一人として…受け入れてもらえたならば…ウレシイな
本当にワガママで、自分勝手な独り言…
その独り言にあえて答えるというならば…私も弟の可愛い彼女として、あなたと出逢えたらよかったのにって思っているよ…わがままだけど、ネ。
本当に…可愛いけれど…困った弟と妹をもったものね。
この子たちをほっとけないから…戻るしかないみたい。