だってゆゆは世界一のヤンデレだから
「弘樹、おはよう。」
「…姉ちゃん、あ、俺も寝てたんだ。どう?ゆっくり休めた?気分は…姉ちゃん?」
ベットから身を起こして俺を見つめている瞳に起こされた。
現実を受け入れるまでにまだ多少の時間を必要とする。
俺が姉ちゃんを自分の部屋に軟禁しているという現実を。
それでも普通に夜は明けて、朝が来て、こんな風に姉ちゃんと会話をする…望んだ生活のはず。
「弘樹ー私、着替えてくるから…覗いちゃダメだよ?」
「はいはい、覗かないから安心しろって。」
…あれ、俺と姉ちゃんってこんな風に話をしたことがあったっけ?
ひどく懐かしいやり取りに胸が熱くなった。思わず口とは反対に目で姉ちゃんのことを追ってしまっていた。広くはない部屋の端っこでパジャマの上だけを着ている姉ちゃん。
「え…く、くま?」
「ちょ、弘樹!?私、着替えるって言ったよね!?とにかく今すぐ、何も見ないで反対むいてー!」
真っ赤になった姉ちゃんが、こちらにパジャマのズボンを投げつけてきた。
…パジャマの…ズボン…と言うことはやはりさっきのくまさんは…。やはり。
「くまさんパンツなんて意外なの履いてるんだな…。」
でも、本当は意外ではない。だって彼女はそれを前から愛用していたから。
いつも大人びていて、何でも知っているようなそぶりを見せているけれど、内心では子供っぽいものが好きで、ぬいぐるみとかも大好きで…そうなんだ、きっと彼女は見当はずれなことを言っている俺に「馬鹿ー!」と怒鳴りつけてくるはずだ。
でも、その声は聞こえてこない。
聞こえてくるのは、着替えを続ける衣擦れの音。
「もうこっち見てもいいよ。」
いつもの姉ちゃんなら着ないようなラフな黒のタートルに少し短めのスカートを翻しながら微笑む。
「はじめまして、小野弘樹さん、私の名前は柊ゆゆ(ヒイラギユユ)…あなたをずっと見ていました。」
「姉ちゃん…ナニ言っているんだ?姉ちゃんは金野弘美だろ、柊ゆゆ(ヒイラギユユ)って一体なんだよ?ナニふざけているの?」
「うん、弘樹が覚えていないのは仕方がないの。私が望んで記憶を改ざんしたんだから。もっと近くで、現実の世界で生きることを選んだ弘樹の近くにいるために、金野弘美となることを望んで…あなたのお姉さんの身体を乗っ取ったの。」
妖艶に微笑む。
その笑顔に背筋がぞくりとするのを感じた…この感覚、どこかで感じた。
「乗っ取った…って姉ちゃんは、姉ちゃんで…。」
「思い出してみて…弘樹のお姉さんは本当にこんなお姉さんだった?弘樹が部屋に閉じこもる前にどんな会話をして、どんなことを二人でしていた?よーく心の底を覗いてみて…どうして弘樹とお姉さんは苗字が違うの?」
「どんなって…姉ちゃんは大学生だから…忙しくて…え…だって…それは…俺が閉じこもるようになって…父さんと母さんが…で…俺たちはそれぞれに引き取られて…」
「…うん、そうして弘樹は小野弘樹になった。そこから先は、小野弘樹と金野弘美は…違う日々を歩んでいるよ。私と出逢ったのはそこからもう少しだけ先の未来…。」
覚えている。
姉ちゃんが父さんと家を出ていくことになったのを部屋の窓から見送ったのを。
あの日から、俺たちは別々に暮らしていた。
たまに姉ちゃんが母さんと俺を心配して様子を見に来てくれることはあったけれど…一緒に住んではいなかったんだ。
なのに、俺の記憶では、ずっと姉ちゃんと一緒にいて、姉ちゃんがずっと寄り添ってくれていた。
「どう…して?」
思い出す、カーテンが引かれた暗い部屋。テレビから流れるのは無機質なBGM。青白い光。
ドアの前に置かれた食事。声をかけてこない母さん。いないことにされた日々、最低限の生活だけが保障された安全でなにもない日々。
そうだ…ゲームばかりしていた俺に姉ちゃんがある日ナニかを持ってきたんだ。
すごく話題になっているというゲーム…確かユーザーが社会復帰をするとかなんとか噂になった政府が作り上げた…ギャルゲー。
「365×12…そうだ、俺は暇つぶしにそのゲームをやったんだ。でも、どのヒロインとも折が合わなくて結局………結局?」
そこから先の記憶がない。
まるで穴が開いたバケツみたいに、思い出そうとするとするするとそこから先が零れ落ちていくのを感じる。
頭が痛いと思った…。
ふぁっと姉ちゃんが俺の頭を胸元に抱きしめてくれた。そして、優しい手でさすりながらあやすように話してくる。
「…ゆっくりでいいよ…だってその呪いをかけたのは私だから…私はね、世界一のヤンデレだから、弘樹専用の世界一のヤンデレ…その私がかけた呪いなんだから、そう簡単には解けないんだ…ごめんね…でも、この苦しみも痛みも全部私からの愛なの…。
柊ゆゆは弘樹を誰よりも愛しているから…だから、私からの愛を一滴残らず受け取って、受け入れて…私を思い出して。」
呪いをかけたと姉ちゃんが言う。
呪いをかけたから、俺は今、大切な何かを忘れてしまって、そして姉ちゃんの…ゆゆのわがままでそれを思い出すように仕向けられている。
「…愛し方が…めちゃくちゃだよ、ゆゆ。」
「うん…ごめんね、わがままで。でも弘樹を一番愛せるのはこの身体じゃない…金野弘美としての私じゃダメ…弘樹に忘れられるなんてタエラレナイモノ。
気が付いてしまったの、誰かの身体を通じて弘樹を愛するなんてやっぱり愛じゃない。
弘樹を愛せるのは、愛していいのは、弘樹に愛されるのは、愛してもらえるのは私、柊ゆゆだけの!」
くちゃくちゃの顔をして笑う姉ちゃん。
でも、そうだよ…俺はこのめちゃくちゃで、はちゃめちゃな愛し方しかできない不器用で…でも、とても繊細な女の子を知っている。
「…本当の姉ちゃんはどうなっているんだ?」
「んー、今、二代目柊ゆゆとして漂っているよ。」
「それは…勘弁してやってくれないかな…姉ちゃんはちょっとそういうの向いてない。」
「だってジャマだったし、それにあの人の根底には私と似たものが流れているよ。」
キョトンとした顔ですごく残酷な事実を告げる姉ちゃんの姿をしたゆゆ。
「柊ゆゆは、君だけだ。」
「…っ、うん!柊ゆゆは世界で私だけ!」
小麦色のふわふわの髪の毛を揺らして、小柄な女の子が涙を流しながら俺に抱き着いてくる。
力が強すぎてちょっと苦しいくらいだけど、我慢してそのまま抱き留めている。
久しぶりに会えたのだ…また会えたのだから…今度は離してはいけない。
「大丈夫だよ、弘樹、ゆゆは何度でも、弘樹のためになら奇跡を起こすから!」
天使のように軽やかに、華やかに、潔白に…柊ゆゆはAIも人間も超えて世界そのものをその色に塗り替えていく。
これが、間違いなく俺を盲目に愛する柊ゆゆだと俺は…確信した。