閑話休題:もものお時間
「お兄さんのうそつき…大人はみんな、うそつき…だいきらい、だいきらい。」
大泣きするももかを前にしても、お父さんとお母さんは、自分の娘を抱きしめてあげることができない。
抱きしめてあげたいとは心があるとしたらそこから思っているし、泣き止ませてあげたい、娘には笑っていてほしいと思う。
一般的な親と同じようにしてあげたいのに、彼らにはそれができない。
ももかの本当の親は、母親は病気で、父親は「365×12」の開発中に生じた事故でもうこの世にいないから。ここにいる二人は、技術によって生み出されたAIでしかない。
心のようなものはあっても、それは、娘の記憶から作られたプログラムであって、映し出される身体はあっても、それはホログラムでしかない。体温もなく、脈拍もない。
なんにも不都合なく普通の生活に戻ったように見えた安東ももかだったが、彼女の周りにはりめぐらされていた大人たちの嘘は、純粋な子どもたちの声によって無残にも壊された。
事業参観にやってきたももかの両親への反応は子どもたちからは好奇で、親たちからは嫌悪だった。
「お父さんとお母さんに触れないなんておかしいよー!私知ってるんだ、ももかちゃんのお母さんたち死んじゃったってママ言ってたもん!ももかちゃんはかわいそうなんだって!かわいそうだからちかよったらいけないんだって!」
「違うもん、お父さんもお母さんもももかの大事な家族だもん、ここにちゃんといるもん!ね、お父さん!」
「ももか、お父さんたちはちゃんとももかを見ているから、お友達と喧嘩しちゃだめだよ。」
「ほら、お父さんはちゃんと…」
「ももかパパ、教室から出ていってください!子どもたちに悪影響なんです!今までももかちゃんのために黙っていましたが、やはりAIが子どもを育てるなんて間違っています!人間に作られた存在が子どもを育てられるはずがない。」
子どもたちの言い合いに見ていられなくなり、ひとりの母親がそう口にした瞬間に、今まで親たちが我慢してきたものがあふれ出した。あふれ出すと悪意というものは止まらなくなり、容易に加速していく。
異質なものを嫌う社会において、ももかの家族の在り方はあまりにも常識から離れすぎていた。
「そうだ、こんなことを許していた方が悪いんだ、ももかちゃんは施設に預けられるべきだったんだ!」「いつまでもこんな嘘は可哀想よ、早く現実に気が付かせてあげなくちゃ!」
「誘拐犯がお兄さんとして暮らしているんだろ?警察は何をしているんだ…。」
「早く出ていけよ、正直見ていたくない…。」
自分の家族に向けられる心無い声に、ももかはどうしてこんなことを言われているのかが分からなかった。でも、きっとお父さんがいつだって正しいお父さんが、ちゃんと答えてくれるはずだと信じていた。
お父さんはしっかりとした視線を周囲に向けていた。
「…申し訳ありません。」
なのにお父さんの口から出たのは、謝罪の言葉で、ももかは唖然とした。
ヒドイことを言っているのは周りのお父さんやお母さんたちなのに、なんでももかのお父さんが謝るのかが分からない。
足元から、幸せだったここしばらくの生活が崩れていく。
「なんで、なんでお父さんがごめんなさいするの?なにも悪いことしていないのに?なんで?みんなももかのおうちのことひどく言うの?ひどいよ…。」
大人はみんな哀れんだ顔でももかを見つめた。
子どもたちは不思議そうに、好奇の瞳でももかを見つめた。
「…やめてよ…ももかのことを見ないで…なんでみんな…ももかを見るの?」
「365×12」という国が作ったゲームによって家族を失い、自らも誘拐されたのにそのことをうまくごまかされ、心理療法という名の実験のためにAIの両親と誘拐犯だった兄と家族ごっこをしている女の子。
誰もがももかの周りの環境を異常だと思っていたけれど、そのことを口にすることを政府の研究所がとどめていた。さらにはももかすらもその研究員に任命された。
全てを失い研究員という国家公務員の職を得た子どものももかというアンバランスさ。
先生がももかと両親を囲む輪に入り込んで言う。
「みなさん、ももかちゃんが可哀想だと思うのでしたら、もうやめてあげてください。安易な同情で関わってはいけないんです。私たちには彼女を導くことはできないと判断されたのですから…いつか自分の力で真実と向き合える日まで、静観してあげないと…。」
その言葉の意味は難しくてわからなかったけれど、自分が可哀想だと先生にも思われていたことにももかは悲しくなった。
我慢できずに、その場から飛び出して、部屋に帰ってももかはずっと泣いていた。
みんながなにを言っていたのかわからなかったけど、自分たちが普通じゃないってことだけはよく小さな心に刻み込まれてしまったから。
「ももかちゃん、お兄ちゃんだよ、今日大変だったんだよね…。」
部屋の外からお兄ちゃんだと信じた声が聞こえてくるけれど
「誘拐犯がお兄ちゃんとして暮らしている」
と言われた言葉がひっかかって消えない。
確かに自分はこの男性に一度、おうちから連れていかれた。でも、悪い人ではなく、自分を気づかってくれているから家族として迎え入れたのに、どうして他の人からひどいことを言われるんだろう。
「…お兄ちゃんは、ももかのことかわいそうだから家族になったの?」
「違うよ、俺はももかちゃんに…謝りたくて…俺が、ももかちゃんのことを大好きだって思ってしまったから、ももかちゃんのことを苦しめてしまったから…。」
「…それって、ごめんなさいで家族になってくれたってこと?」
「ちが…ごめん…。」
違わないとは言い切れない。これは贖罪だ。
あの日ももかを誘拐しなければ、ももかの父親は狂わず、研究所での事件は起こらなかった。
そうであれば、帰りは遅くともももかはまだ本当の人間の父親と生活をできたはずだ。
例え罪がなくても、ももかの家族になりたいという気持ちはあるが、どうしても罪は消えない。
「…もう…いいですよ。大人は、みんなうそつきなんだ…。」
ゆったりとした声で、ももかが何かを口ずさんでいる。
壊れたオルゴールのように何度も何度も同じフレーズを口にする。
昔、夜が怖かったももかにお母さんが歌って聞かせた歌。
ベットに横たわり、天井を見つめる瞳には、もうなにも映っていなかった。
ただ、ただ、日が落ちていくとともに闇が増していくだけ…。
これから、ももの時間が始まっていく…。




