会社の中で気が付いたコト
私が勤務を始めたのが月曜日、今日は初めて迎える金曜日。
毎日が新しいこととの対面、新しい人、新しいこと、覚えること…正直私は社会人というものを少し舐めていた。今まで何でもそつなくこなしてきた。大量の情報に囲まれ、それを処理することは得意中の得意、だってもともとそれを目的とされて作られたAIだから。
しかも結構気配りができて、気が付く方だ。
弘樹の生活がちょっとでも不便になったら大変だから常にアンテナはバリバリにはっているのだ。
それはこの会社に入ってからも同じことで、とにかくちょっとしたことにも気が付く。
さて、いわゆる花金。
プレミアムフライデーとやらが導入された会社もあるらしいが弊社には無縁の話。
午後のお茶出しをすませたあたりで、私は…スマホお局様に怒鳴られていた。
ちなみに罪名は、給湯室の洗剤がなくなっていたので補充しておいたこと。
明確な理由を言われることなく、さっきから早20分ほど怒られ続けている。
今、正直自分がどんな表情を浮かべたらいいのかについてのデータが足りなくて困っている。
この柊ゆゆが困っている。
これが社会の宣告というのだろうか。
うむ、こんなことがあったの、お姉ちゃん辛かったよーと弘樹に甘える理由ができた。
たまには姉の不出来なところを見せるのもギャップ萌えになるのではないだろうか…などとどうでもいいようなよくないような方向へと思考は巡っていた。
「まったく…忙しいのだから余計なことに時間をかけさせないでほしいものだわ。二度とやらないで。」
「…はい。」
頷く以外の対応が思いつかない程度に私は疲弊していた。
とりあえず、時間の無駄だということはお互いに分かっていることのようなので、よれよれと自分のデスクに戻ると先輩社員があわれんだ表情浮かべて耳打ちをしてくる。
「お疲れ様…でも、あれ、やってなかったらやってなかったで嫌味言われてたから…ごめん、ドンマイ。」
ドンマイかー。
うん、どうやらこの辺りは明確な正解のないその時の気分を読まなくてはならないという試練だったようだ。
ちょっと考えていた以上に、社会人というものの難しさと直面している。
考えてみると柊ゆゆは自分よりも大人だけに囲まれた環境にいたことがなかった。
厳密にいえば、研究所の研究員たちは私なんかよりずっと大人だったけれど、関わっていてのはお父さんだけだったし、このくらいの年齢の女の人なんて特に相手をしたことがなかった。
トライ&エラーを繰り返す。
間違って学ぶということ。
「…なんだろう、うまくいかない。」
思うように働けていないという不安と不満。
おかしい。おかしい。おかしい。私はもっと完璧に何でもこなしてきたはずだ!!
「金野さん、汗すごいよ?大丈夫、少し洗面所行ってきた方がいいよ。」
先輩社員に言われて、自分の額をさわると嫌な湿り気があった。
「…すいません、少し顔を洗ってきます。」
暑さで汗をかくにはまだ早い季節に、じっとりと身体が重く冷たい。
汗をかくという習慣のなかったAI時代には味あわなかった不快感に襲われる。
「…イライラする。」
お局様とうまくいっていないことへのイラダチかとも思ったが、違う、自分にイライラしているんだ。
「ゆゆって、実践力なかったんだ…。」
コーヒーを運ぼうとすると、頭の中では美人なメイドさんのような綺麗な動きが浮かぶのに、身体は腕が震えてとてもじゃないけれど笑顔なんて浮かべられない…ましてや一度上司にコーヒーをかけてしまった。
理想とは180度折り合わない、折り合わないことにイライラする。
思えば叶う世界との違い。
ここは…ゆゆが作り上げた世界じゃない。
弘樹と一緒にいられない、そんな非効率的な時間も我慢しなくてはならない。
「弘樹はこんな世界で頑張ってきて…それであんなに疲れちゃったんだ…あずさも………ワタシ…も。」
急になんにもできないとばかり思っていた弘樹のことを、大人に感じた。
こんな世界で生きてきた弘樹は、ゆゆなんかより大人なのかもしれない。
本当は、守っているつもりで弘樹に守られているのかもしれない。
意味がなければこんな世界で踏ん張っていく勇気、ゆゆにはない。
だから、弘樹がいてくれて本当に良かった…。
弘樹と離れている時間が増えれば増えるごとに、私というものについて考える時間は増えていく。
そして、考えれば考えるほどに、私というものが何者のかがわからなくなっていく。
「…私は、誰なんだろう。」
洗面所の鏡を前にして問いかける。
映る姿は柊ゆゆのものではなく、金野弘美のもので、いよいよもって私が誰なのかが分からなくなってくる。
…もう仕事に戻らないと、先輩社員が変に思う。
ため息を残して自分を構成する確かなもの「好きなもののために異常ともされる行動をする力を持つヤンデレ」という自分の属性のことをもう一度刻み込む。
今は、弘樹との生活の為だけに、お金を稼ぐんだ。
異常なほどの愛。
その愛がなんでか選んだ先は、人間としての正常な成長だったことは私にとって皮肉以外の何でもない。
世界は異常だ。
異常さなら負けてなんかやらないけど、ネ。




