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やんでれさんのほしいもの♡  作者: 橘 莉桜
現実世界と非現実的存在
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会社という名の檻

「本日よりお世話になります、金野弘美こんのひろみと申します。これまで社会人としての経験がありませんでしたので、ご迷惑をおかけするかと思いますがどうぞ宜しくお願いいたします。」


私がお辞儀をすると、拍手が起こる。

先日の面接の会社にとんとん拍子で採用が決まり、なんだかんだという間もなく私は今日からこの会社の総務部の一員となることになった。

まぁ、ちょうど総務部の庶務やら秘書やら受付やらの雑用一般を担当する方が抜けることになり、ちょうどよく私が受けたのでそのまま採用となったようだ。

ここの総務部は全体的に年齢層が高く、参事と呼ばれる人たちが集められているのではないかというくらいだ。20代は私しかおらず(20代とは言っても、AI「柊ゆゆ」として生まれてからも1年程度だし、「金野弘美」として生きたのなんて一か月程度なんだけど…)次に若い人との間にも干支一回り以上の差がある。

構成人数12人のうち女性人数が3人体制…そしてあの面接中のスマホいじりお局様がいる。


漠然と、これが檻かと感じた。


8時30分から17時30分まではこの空間で過ごさなくてはならないのだ。

弘樹がいないこの空間で、そんなに長い時間を過ごすというのはもはや罰に等しい。

今までみたいに一緒に学校に行くこともできない。帰りだってうまく迎えに行ってあげられるかもわからない。常にラインのチェックだってできないのだ。今のゆゆでは弘樹と繋がれない。

お金を稼ぐということはこんなにも苦痛を強いられることなのかと思うと、まだここについてほんの数分ではあるのだけど社会の厳しさをさっそく感じ始めている。

灰色のビルの中に定時に吸い込まれ、定時に排出されていく。

それが大人の仕事だというのならば、なかなかに酷なことをかすものだ。


「金野さん、コーヒーはねこうやって中心に円を描くように…」


金野さんという呼ばれ方にはなかなか慣れない。まぁ、弘美という名前にも愛着があるわけでもなく、やはりたまに「ゆゆ」と呼ばれたくなる。

名前というものは、アイデンティティとして非常に大切なものだ。

自分が何者であるかというものの根底にある。まぁ、自分ゆゆは弘樹のためのものであるのだけれども。


銀色のポットに顔が映り込み、それがぐにゃぐにゃと曲がったりする。

先輩社員の淹れるコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。ひどく懐かしい思いがする。

…つくづく’コーヒー’には縁がある。

社長や専務、来客へのお茶出しは私にとってこれからとても重要な仕事となるそうだ。


あずさの為だけに培ってきたものだったから…少しごめんねと思う。


私があまり言葉を返さないことを不安に感じたのか、先輩社員が色々と話してくれる。

その中には、やはり女三人体制というものの辛さと、お局様の存在がほのめかされた。

いわく、先輩は自分がコーヒーを淹れる立場であることを利用して、嫌なことがあったり、いじめられた時にはこっそりぞうきんでお局様のコップを拭いたりしていたそうだ。


「そういう人と関わっていかなくちゃならないんだから、あんまり何か言われても気にしなくていいからね。」


「そんなに色々言われるんですか?」


「…下手すればハンドクリームの香りさえ中傷のネタだから。私なんか、こっそり中身捨てられてたりもあったし。ほんとメンドクサイから。あの人たちのルールにのっとらなくちゃならない、のっとらないものは気に入らないって話。」


さらりと恐ろしい復讐劇を語ってそれを簡単に正当化してくる…これはなかなかに根が深いものがありそうだと悟った。

問題はお局様と親しくするか、無視されてもいいというスタンスをとるか…とにかく機嫌取りをしなくてはならないようだ。そして先輩社員はそのことに疲れてこの場を去ることを選択した。聞けば、先輩以前の人たちはみな一年程度で辞めていったそうだから、この人の5年の頑張りは大きい。

いい意味でも悪い意味でもこの人は次のお局様になれるだけの精神力を持っていたのだろう。


「私は7月にはいなくなるけれど、理解してくれる人に相談して我慢しないで頑張ってね。もちろん、私もいくらでも相談に乗るから。」


「ありがとうございます、頑張っていきます!」


理解してくれる人に相談して。

私が理解したい人間はいるけれど、果たして真の意味で

私のことを理解する人間などいるのだろうか?

私は理解されることを望んではいない。それはこんなにも愛している弘樹にすらもだ。


私のこの愛の形が理解されることはなくていい。

理解されるなんて、それは恐ろしいことだし、理解なんてされてたまるかとすら思う。

だって私の愛は弘樹にだけ与えられるものであって、私だけの感情で私だけの宝物なのだ。

この愛の深さを理解なんて言葉を使ってたやすく語ってほしくない。


コーヒーをカップにうつし終えると、この会社で言う「給湯室談義」は終了らしい。

部屋に戻れば、その心に蓋をして仕事をこなし、たまにこうしてお茶を淹れながら愚痴を話す。


理解されたくはない…とはいっても、この会社という名の檻において、ゆゆは「金野弘美」という名の姉でもなく、大学生でもなく、一社会人を演じていかなくてはならない。

さてさてと思う。

ただのAIが一般社会で働くなんてなんて近未来的、SFチックなんだろうか。


今から柊ゆゆは、誰もが夢物語として想像していたことを初めて実現していくのだ。

それは人間にとっては小さな一歩かもしれないけれど、AIにとっては革命的な一歩となったのだった。


                                     

                                      ……なんて、ね。

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