働いてみよう
何度も言うけれど、人間というものには制約が多すぎると私は思う。
その中でも一番メンドクサイのはお金だ。
お金がなくても幸せになれると人は言う。でも、ゆゆはある程度のお金がないと幸せにはなれないと知っている。お金があることは心に余裕を持つことができる大切な要因である。お金がないとできないことも多い。食べるにも遊ぶにもある程度のお金というものは必要で、まったくもって厄介な代物だと思う。
そして、今まではそんなものイラナイ、弘樹だけいればいいと言ってきた私だけど、現実世界にやってきて弘樹を幸せにするにはお金が必要だと強く思った。
私の将来は弘樹のお嫁さん以外にないけれど、弘樹よりも年上のゆゆが先に安定を手にしておいてあげた方がいいに決まっている。
「…御社を希望した理由は、地元における地域密着型のサービスが非常に私の理想とする形で行われており、なおかつ歴史の…」
だから、弘美は就職活動を始めた。
今はおじさん二人に、スマホをいじりながらやる気なさそうに座っているお局様と言った雰囲気の女性の三人を前にして120パーセントの営業スマイルで熱弁をふるっている。
他の学生からしたら少し遅いくらいだった。
永久就職が決まっていたから別に焦ってなかったし、もともとの弘美自身がカウンセラーを目指していたらしく、そうするならば大学院に行かなくては国家資格の臨床心理士にはなれない。
大学院に行くことに抵抗はなかったが、時間と今以上のお金がかかる。奨学金と実家暮らしという利点を生かして生きているけれど、弘樹との時間を大切にしたいからバイトなどはしていなかった。
大学で心理学の学士をとっただけでもカウンセラーを名乗ることはできるが、学校などでスクールカウンセラーをするには実績が足りない。
さらに言うならば、大学を出たての20歳そこそこの女に自分の悩みを解決してもらえると思う人間は少ないだろう。そうしたことを加味しても、カウンセラーとして食べていくのならば大学院で修士程度はとるべきだろう。
…心理学部は意外とつぶしの効かない学部だ。
大体聞かれるのは
「へー、心理学部なの?じゃぁ、今私が何を考えているか分かったりするの?」
…分かったら怖くないのだろうかと思う。
勿論、相手の動きや語尾、姿勢などから今の気分を想像することはできる。さらに私が学んできたことを活かせばより正確に思いを当てることは可能だ。
でも、別に私は、弘樹以外の心を癒してあげたいわけでもないし、超能力者を気取りたいわけでもないのでその必要性はないと踏んでいる。これは、弘樹の為のスキルである。
だから当たり障りなく返事をしておく。
「そうですね…今、あなたはこんな面接早く終わればいいなって思っていたりして。」
スマホをいじっていた女性からの質問にそう答えた。
ちょっと嫌味を交えて答えたら空気が凍った。
仮にも面接中だったことを思い出す…ちょっと的を得すぎたかもしれない。
しまった、しまった。
「なんちゃって、私が緊張していたので、そんな風に思っていたりして、ごめんなさい、意味の分からないことを言ってしまいました。」
とびっきりの笑顔でしまったというようにしたら、おじさまたちは笑顔になった。
まぁ、お局様は苦笑いですよね。知ってました。
そんなどこかで爆発しそうな危険性を孕みながらも、私の面接はそつなく終わったと言える。
まずまずのできだろう。
少なくともあのお局様とうまくやっていけるかどうかはともかくとして、相手からはおおむね好印象しか感じない。
会社から出て、スマホを見ると心配したのか弘樹からラインが入っていた。
これも人間になって初めての行動だけど、離れていてもお互いのことを考えているっていうのは嬉しいもので、私はSNSが大好きだ。なによりこうした端末に触れていると懐かしい気分になる。
以前は私もこの中で繋がっていたのだ。
ー姉ちゃん、面接どうだった?ー
ーたぶん大丈夫じゃないかなって思うよー
ー姉ちゃん何でもできるもんなぁ、きっとうまくいったよー
ーそうでもないのよ、お姉ちゃんができるのは弘樹に関わることだけー
ーなんだよそれー
ピロン、ピロンと既読がすぐについていくのが嬉しい。
今どこかで、弘樹もこうしてスマホをいじっているんだ。
ーでも、なんで急に進学じゃなくて就職にしたの?-
お姉ちゃんのことを知りたいって思ってくれる気持ちが可愛くて、私は笑顔になってしまう。
ー弘樹をお嫁さんにするには経済力がなくちゃね!!-
少しの間スマホが黙り込んだので、私は通勤経路になるかもしれない銀杏並木を歩いた。
交差点に差し掛かったあたりでまたスマホが震える。
ーなんで俺がお嫁さんなの?俺、お婿さんになるんだよー
お婿さん…弘樹のその表記が面白くて可愛くてまた笑ってしまった。
お嫁さんをもらうんだよではなくて、お婿さんになってしまうという発想がいかにも弘樹らしい。
弘樹は私が弘樹と結婚しようとしているなんて思ってもいないんだろう。
ここで人間のメンドクサイ部分がまた出てくる。
弘美になったのはいいけれど、弘美と弘樹は血のつながった姉弟だ。
一般社会では近親相姦はタブーとされている。
なんでだろう。神話をたどればそのほとんどが、近親相姦ともいえるのに。
産まれてから死ぬまでずっと一緒に離れない絆なんてすごーーーく素敵なものなのに。
わかってないなとため息が出てくる。
本当にメンドクサイ。
私は他人の目なんか気にしないけれど、弘樹はそういうわけにはいかない。
弘樹には、他の人が憧れるようなシアワセを手にしてもらわなければならないのだから。
だから…弘樹には私の気持ちを知られてはいけない。
私の幸せ家族計画なんだから。
今度は少し、私が返信を考えて間があく。
ー花嫁道具は、いろいろと必要なんだって考えたからだよ、新しい夢を追うシアワセがあったのー
そうなんだ、私の夢は弘美の夢とはチガウ。
私の幸せは弘美の望んだものとはチガウ。
「だから…進む未来が変わったのは自然なことなんだよ。」
私はもしかしたら入社するかもしれない会社を振り返りながらそう呟く。
ここで、得られるものが私と弘樹の幸せを作ってくれるのならば、私はスマホのお局様ともやっていこう。
風に揺れる葉は爽やかで綺麗だった。
ピロンと音がしてメッセージが来る。
ー姉ちゃんって強い女の人だと思ったいたけど、意外と乙女チックだったりするよねー
私はふふっとどこまでも愛らしい弘樹のことを考える。
乙女チック…乙女はふわふわ可愛らしいものかもしれないけれど…本当はその願望をかなえるためになら何でもする強さを持っている。
「それこそが’乙女’なんだよ。」
だから私は社会人というものを目指そうと一歩を踏み出した。




