故意に恋する
「相沢さん、すごく話しやすくなったね。私ずっと相沢さんと話してみたかったんだ!」
休み時間、私の机の周りには女の子が数人集まるようになっていた。
今まで話したこともなかった子たちが親しげに話しかけてくるのが、私には信じられないし、所詮それは弘樹君のお姉さんのマネをした私への評価でしかない。
「相沢さんってすごく可愛いよねー、羨ましいな、私も髪の毛切ってみようかな。」
愛想笑いを浮かべる私の髪を触ってため息をつく。
…嘘だ。
この子たちは、そんなこと思ってもいない。ただ、私の変化に自分たちの居場所がとられるような危機を感じて私を自分たちの一部として取り込もうとしているのだ。
私はそこまでバカじゃない。
なによりも女の子たちのそういうやり取りを、ずっと観察してきたのだ。
黙って、席を立つ。こんなことをしていても何の意味もない。
「あれ?相沢さんトイレなら一緒に…」
「少し、図書室に用事があったのごめんなさい。」
話をさえぎるように私は歩き出す。
「…なにあれ、感じ悪いよね。」
「うん、せっかく話しかけて’あげている’のに。」
背後でそんなささやき声が聞こえてきたが、気にしない。
教室を出ると、弘樹君のクラスの中が見えた。窓際の方に人だかりができて、弘樹君が困ったように笑っている。
…お姉さんだったらどうするんだろう。きっとあの手を取って弘樹君を連れだすんだ。
可憐に、華麗に。
あのバレンタインの日から、私は変わった。髪を切り、制服は今時の雑誌を読んで少しでも女の子らしくなるように努力している。人から声をかけられても嫌な顔をしないようにした。人と関わることを過剰にさけないようにしている…つもりだ。
でも、お姉さんには近づけない。
いくら姿をまねしても、いくらお姉さんのようになろうとしても、お姉さんと私は同一化されてくれない。手を伸ばすとお姉さんの足の先に手が届きそうなのに、ガラスのようなものに遮断されている。
このままでは、絶対に相容れない。私はお姉さんと一つになれない。
こんなにも好きなのに。こんなにも思っているのに。
好きな人と一つになれない。
それどころか努力するほどに、足りない部分を知り、みじめさに心がつぶれそうになる。
理想と現実の自分との差につぶされてしまいそうだ。
ーみどりちゃんにはみどりちゃんの良いところがあるからそこを伸ばせばいいのよ?私になっても正直うまくいかないと思うけど。ー
違う。
私に良いところなんてない。今こうして人が話しかけてきているのも、お姉さんになろうとしたからだ。お姉さんになれたらなんでもうまくいく。お姉さんになりたい…お姉さんにならなくてはならない。
いったい私に何が足りないというんだろう…。
お姉さんにあって、私にないもの…。
その瞬間、教室から大きな笑い声が聞こえてきた。思わず覗き込むと弘樹君が無邪気に笑っている。
「弘樹…君?」
ー弘樹が、残さず食べれるようにお姉ちゃんが食べさせてあげるから。-
あの日私が見た光景が頭の中をよぎる。
暗い部屋の中で、弘樹君にチョコレートをたべさせるお姉さん。
その微笑みは、天使のように可憐で…悪魔のような妖艶さをもっていた。
あの表情は、弘樹君にだけに向けられたものだ。彼を愛するからこそ、あんなに美しい表情がうまれるのだ。
…そうか、私には悪魔のように美しい表情を浮かべられるほどの相手がいない。
お姉さんに届かない苦しみで私は今にも擦り切れてしまいそうなんだ。
苦しい、苦しい…苦しい…。
苦しさから解放されるには、お姉さんと同じになるしかない。
教室の中では、まだ弘樹君が笑っている。あぁ、お友達とふざけあっているんだ…可愛いな。
そうか、故意に…恋すればいいんだ。
すべての始まりとなった弘樹君への感情を思い出していく。
あのワクワクするような、じっとしていられないような、そわそわする気分…あの気持ちを思い出そう。
私は盲目的なまでに弘樹君と弘樹君のお姉さんを追いかけていけばいいのだ。
なにも悩む必要なんてなかった。
お姉さんがあんなにも愛する弘樹君…弘樹君を愛するということはお姉さんと同じになるということじゃないか。
この苦しみも、故意に恋するゆえの苦しみなんだ。
そう考えれば、なにも怖くなんてない。
私は、無言でまた教室の中、弘樹君の前へと向かって静かに歩き出す。
私に気が付いたのか、教室の中は急に静かになる。
弘樹君の席の前に立つと私はとびっきりの笑顔を浮かべた…お姉さんのように。
「弘樹君、図書館に新しい本が入ったの、一緒に行こう?」
「あ…相沢さん?急にどうしたの?」
弘樹君が困ったような声で私に聞き返す。
大丈夫だよ、学校にはお姉さんはいないけれど…かわりに私がお姉さんとして守ってあげるから。
無言で手を取り、歩き出す。
周囲のざわめきなんて気にしない。気にならない。
だって、お姉さんは弘樹君の共有を認めていないから。なら、私がお姉さんの弘樹君を守らなくちゃ。
「相沢さん、本当にどうしたの?」
慌ててついてくる弘樹君が問いかけてくる。
私は答える。
「ねぇ、弘樹君…恋する女の子は強いんだよ。」
弘樹君は困ったように固まってしまった。
私の微笑は、少しはお姉さんに近づくことができただろうか。
今、この瞬間から私は弘樹君に故意に恋することを心に決めたのだ。
「ダイスキ…だよ?」




