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やんでれさんのほしいもの♡  作者: 橘 莉桜
現実世界と非現実的存在
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恋は短し、流せよ血潮

バレンタイン。

今まで単語を聞くだけで、浮かれた街を見るのも嫌だった行事がこんなにも心を躍らせてくれるなんて、思ってもみなかった。お父さんにあげていたものとは違う。

私は、生まれて初めて男の子にチョコレートをあげようとしているんだと思うと心が躍った。

弘樹君。

私の初めてをあげる人。

地味で何のとりえもない私を、知っていてくれた人。

困っている私に手を差し伸べてくれて、道筋を作ってくれた人。


初めて感じた。

この人のそばにいたいって。

この人のことを思うだけで、心がすごく暖かくなるのを。

この人の声が聞きたい、話を聞いてほしいって。

・・・この人がいる家に「ただいま」って帰りたいって。


だから私は、立ち上がらなくちゃいけない。ずっとこのままでは、弘樹君は確実に誰かのものになってしまうから。そうなってしまってからじゃ遅いから。


「・・・逃げない。私は負けないって決めたんだから!」


バレンタインを目前にして、私は弘樹君に渡された地図を目印に弘樹君の家も目前にしていた。

少しだけ勇気を出して、いつも三つ編みにしていた髪をゆるくほどいて、カチューシャなんてしてみた。

服は迷ったけれど、ニットのカーディガン・・・制服以外で学校の人に会うのなんて初めて。

ここにくるまでにおかしくないか、何度も鏡に映る自分を確認してしまった。

なんだか初めて、自分の顔をちゃんと見たような気がする。


「私って・・・こんなに柔らかい顔してたっけ・・・。」


がちがちに緊張しているのに、なぜか表情はいつもよりも柔らかくて、なんだか不思議な気分。

とりあえず、弘樹君に会う前に、笑顔の練習をしておこうとほっぺたをひっぱる。

ねーねーねこのめ、ぐるっとまわってにゃんこのめ。

よし、これでちょっとはマシだよね。

私は、渾身の笑顔で震える指をごまかしながらチャイムを押した。


「はーい、今開けます!」


ガチャッとドアが開く音がして、私は思いっきり頭を下げた。


「あの、今日は本当に・・・ありがとうございます!」


そして、おそるおそる顔をあげると、そこには満面の笑みを浮かべたお姉さんが立っていた。

一瞬、唖然としてしまう。なんで?私の想定では弘樹君が出迎えてくれるはずだったのに?

いや、頼んだのはお姉さんに教えてほしいだからいいとしても、せめて二人で玄関で出迎えてほしかった。

動揺から次の行動が思いつかないでいると、お姉さんが家に招いてくれた。


「あなたが相沢さん?弟がいつもお世話になっててありがとう。」


「あ、はい!相沢みどりと申します。・・・お世話になんて・・・その、私・・・。」


お姉さんは噂にきいている通りの隙のない美人だ。

こんなかっこわるい姿をさらしてしまって、恥ずかしくて仕方がない。


「さぁ、こっちがキッチンだから・・・。」


「あ、あの、弘樹君は・・・?」


その言葉に先導していたお姉さんの動きが止まった。

なんだろう、振り返ったお姉さんは変わりなく笑顔なのに、なにか違和感を感じる。


「ごめんなさいね、弘樹、ちょっと夜更かししたみたいで、部屋でまだ寝ているの。」


「夜更かし・・・ですか?」


「そうなの、夜更かしなんてワルイコよね。」


仄暗い・・・光がささないからだろうか、なんでだかその表情に影を感じてしまう。

いつもの昇降口で見るお姉さんの明るい笑顔とは何かが違う・・・でも、その違いを明確に口にできるほど私はお姉さんとも弘樹君とも親しくはないのが悔しかった。

それよりも、弘樹君、夜更かしをするようなイメージではないけれどなにか面白い本でもあったのかな?

寝ているんだったら・・・起きてくるよね。寝起きを見ることなんてできないから貴重かもしれない。


「・・・かわりに女の子同士、内緒のお話しできるから宜しくね、みどりちゃん。」


女の子同士の内緒のお話し・・・ガールズトークというものに私は縁がなかったからその言葉と「みどりちゃん」と呼ばれたことにドキッとしてしまった。


「さて、じゃあまずエプロンに着替えて、手を洗ってもらおうかな。」


「は、はい!」


私は持参したエプロンの紐を肩にかける。気持ち調理実習で使うものより女の子らしいフリルのついたものを準備してみた。


「あら、可愛いエプロンね。」


「そ、そうですか?」


「えぇ・・・とってもカワイイ。・・・男に媚びるにはぴったりね!」


「え・・・?」


「どうしたの?ほら、早く手を洗って!」


媚びるって聞こえた気がしたけれど、お姉さんは変わらない笑顔のまま。

何かの聞き間違いだよね・・・そう手を洗わなくちゃ。


「っつ!?しみる・・・なにこれ」


手に出されたハンドソープが異常なほどに熱く、手の皮を焼くような痛みを伴って、私は思わず声をあげてしまう。

お姉さんは特に驚いた様子もなく、淡々と私を見ている。


「あら?ダメよ、ちゃんと雑菌をコロサナクチャ。」


背後にお姉さんが立っていて、私はなんだかわからない恐怖にかられた。

手を洗うというだけ・・・ちょっと石鹸がしみて驚いただけ。

言いようのない不安を押し込めて、私はもう一度手を洗う。

今度はなんてことなく洗うことができてほっとした・・・きっとさっきは過敏になっていたんだ。


「はい、次はチョコレートを薄く、細かく削いで粉々にしていくのよ、溶けたときに荒くなってしまうから、きちんとスリツブスヨウニシテネ?」


そう言ってお姉さんは私の前にいくつかの機材をだしてくれた。

チョコレートを作るというよりも工作をするみたい・・・図工室で見るような風景が広がった。


「手を削っちゃわないように気を付けてね。」


「はい、やってみます!」


少し大きめの塊を渡されて、私は大根おろしのようにチョコレートを削っていく。

思っていたよりも力を使う作業で、でもいれすぎたら折れてしまいそうで、慎重になる。


「そうそういい感じよ。いろんな思いをこめながら・・・削っていくのよ。」


「思いを・・・こめながら・・・。」


そうだ、弘樹君に喜んでほしい。美味しいって思ってほしい。


「恋する乙女の顔しているね、みどりちゃん・・・好きな人に渡したいのね。」


「そんなんじゃ・・・」


「ウソハダメ。隠したって無駄よ、全部ワカッテイルカラ。」


全てを見通したような眼。

そしてからめとられそうになる。


「みどりちゃんには好きな人がいる。・・・きっとそれは私のよく知っている人。隠そうとしたってわかるの。わかっちゃうんだよ。だから、ココニキタンデショ?」


「わた・・・痛っ!!」


なにを言ったらいいのかわからなかったけれど、何かを言おうとして、私はチョコレートを削っていたおろし金で自分指を削ってしまった。

強くはないけれど、じんじんとした痛みと赤いものがじんわりと広がっていく。

それとともに言いようのない恐怖が心にあふれていく。


「あははは、よかったわね、チョコレートの一番の隠し味がとれたじゃない。そのままどんどん削って、消えちゃえばいいの・・・キエチャエ。」


「ひぃ・・・!」


怖い怖い怖い・・・弘樹君助けて。

私は、お姉さんから逃げるようにキッチンを飛び出した。

家の構造なんてわからないけれど、とにかくここにいてはいけない。


「玄関・・・玄関!」


手がひりひりして泣きたくなってきた。

なんで、ただバレンタインをしてみたかっただけなのに。

今年のバレンタインは「トクベツ」なはずだったのに。

焦ってドアノブをまわすけれど、内側からなのになぜかドアが開いてくれない。


「なんで、どうして・・・」


ひたひたと足音が私を追ってきた。

指先がじんじんとする。

心臓がドキドキと異様なテンポを刻む。


「まだ、チョコレート出来上がってないから・・・帰っちゃだめよ?」


その声が私を、その声の主が私を・・・抱きとめていた。

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