ゆゆエンド
「お別れだね、弘樹・・・。」
その一言を聞いてから、急激に身体を構成しているものがこの世界から失われていく感覚がした。強い眠気というのだろうか・・・ゆゆを前にしているのに、視点が定まらずぐらぐらする。
存在そのものを剥奪されるのではないかという恐怖が身体を支配していく。
「約束だよ、約束・・・ゆゆのことは忘れても、ちゃんと学校へ行くこと・・・。大丈夫、もう大丈夫だよ、弘樹には楽しいって思い出、それはちゃんと残っているから。それが必ず背中を押してくれる。いつでもゆゆがついているから。」
ゆゆの輪郭がぼやけていく。
それとともに、俺の中での「ゆゆ」という存在への認識もぼやけていく。
段々と体の感覚が薄れていくのを・・・どうすることもできずに、ただ受け入れるしかない。
今さらだ・・・まだ、ゆゆとやりたいことがあった。
ゆゆと過ごした日々はすべてが俺の過去を塗り替えるために使われたのだ・・・俺とゆゆの思い出・・・すべてがゆゆが俺のためにしてくれたこと。
俺はゆゆのために、何もしていない。
ゆゆの望みを叶えてやることが出来なかった。
一時的な感情に飲まれて、ゆゆを見失ったり、自分を見失ったり・・・そればかりだ。
そして、最終的にはゆゆを裏切ったのだ。
「そんな顔をしないで・・・はじめっから言っていたんだよ・・・弘樹が私を見つけてくれなかったら、私はこの世界からずっと弾かれていた・・・ありがとう、弘樹、弘樹にとってはとても辛いことだったと思うけど・・・私まで誰にも攻略されずに・・・柊ゆゆまでのフラグをたててくれて、ちゃんとゆゆに攻略されてくれてありがとう。」
俺に、お礼を言われる価値なんかない。
ゆゆが受け止めてくれなければ、俺はずっと一人のまま、なにとも向き合うことなく過ごしていたのだから。
それなのに、俺がゆゆにできることはないのか?
こうしている間にも、意識が零れ落ちていく。自分が「0」と「1」になったようにバラバラになっていく。
この思いも、ここで感じたこともすべてなくしてしまうのだろうか。
「不安そうにしないで・・・大丈夫、忘れるのは少しだけ・・・うん、エピソード記憶だけ。でも代わりに弘樹の一部となったものは絶対に消えないから。あなたの中で、私を永遠にして。」
「でも・・・こうしている間にも俺はゆゆのことを・・・」
その一言をゆゆの唇で遮られた。
触れたゆゆは、やはり暖かくて、柔らかくて・・・とてもゲームとは思えなかった。
「奇跡的にまた会うとかじゃなくて、このキスは忘れても感触は残る・・・そういう汚い形で、ずっと残り続けるから・・・あはは、ごめんね、すべて忘れさせるのはさ簡単なんだけど、やっぱりゆゆはヤンデレだから。弘樹からもらった感情・・・奪ったままにしておきたいんだ。」
「ヤンデレなら・・・どうして俺を帰すこと許しているんだよ!」
ここには永遠があったはずだ。本当にヤンデレだったのなら、俺を縛りつけて、もっと痛めつけて、依存させて・・・永遠にすればよかったのに。
どうして・・・泣きながら、俺を・・・俺の背中を押すんだ・・・。
「知っているはずだよ、ゆゆは手段を選ばない。どんな手を使ってでも愛する者のために生きるの。・・・今、弘樹はゆゆに絶望したり怒ったりいろいろしていると思う。その負の感情すら根底にゆゆがいると思うと・・・すごくぞくぞくする・・・あははは。弘樹のタノシイにもウレシイにもカナシイにもイライラにも全部にゆゆがいる!弘樹と完全に同化するの。もうどこにも逃げられないんだよ!こんなにあなたを独占できてゆゆはシアワセだよ!」
ならなんで・・・ならなんで
「ならなんで・・・なんで泣いているんだよ!」
言われて初めて気が付いたように、涙のつけた痕を指で確かめる。
そして、切なそうに、なのにおかしそうに笑う。
「あはは、なんだろ、うれし泣きかな・・・それともやっぱり作りかけのプログラムだったからどこかおかしいのかな。ゆゆの望む形でずっといられるのに・・・やっと目的が叶うのに、なんで泣いているんだろうね。あはははは・・・本当おかしい・・・」
無理して笑うゆゆの顔を見て、自分も泣いていることに気が付いた。
でも、涙さえもう俺の身体から離されて記号化されていく。
せめて涙をぬぐってあげようとして、自分の手がゆゆをすり抜けていくことに気が付いた。
俺がゆゆのためにすることは・・・そんな些細なことさえ許されないのか?
「・・・うん、時間だね。あー楽しかったな、やっぱり楽しくなくちゃゲームじゃないよね!」
ゆゆがウインクをする。
楽しかった・・・この世界に来る前、「365×12」をプレイ中にゆゆが出てきてから、ゆゆとなんてことない話をするのが楽しかった。AIとは思えないくらいに表情豊かなゆゆが可愛かった。
日常が変化した。
そして、この世界にとりこまれてから、混乱もしたけど、本当にゆゆと触れ合いながら生活ができて、つまらないことで喧嘩したり、たまに本領のヤンデレを発揮するゆゆにドキドキしながらも、きっと生きてきた中で一番楽しい日々を過ごした。
大嫌いだったものの大切さ、楽しさに気が付けた。
「・・・すごく、楽しいゲームだったよ・・・」
「まだまだ、続くけどね・・・ざっと70年くらい。」
「一人では・・・楽しさ半減だって。」
「何言ってんの?ゆゆはもう弘樹なんだよ。そして弘樹はもうゆゆなんだから・・・リセット押したり、摘んだまま放置するのなんて許さないよ・・・たまに中断セーブはありかな!」
「なかなか厳しいな。」
「でも、無理ゲーでもバカゲーでもない名作だよ、一緒にクリアしよう!」
「ゆゆ・・・愛してる。」
「ゆゆも、弘樹以上に愛しているよ。」
足がアルゴリズムとなっていく。
この世界においては、俺の方がプログラムだったのか。
今更過ぎて、笑いがこみあげてくる。
世の中って本当に自分の見たり感じたりしていることだけじゃわからないものなんだ。
最後の最後まで教えられてばっかりだ。
「自信をもって、下を向かないで、弘樹はこのゲームを初めてクリアしたんだから、ゆゆが保障する大丈夫だよ。胸を張って、前を向いて・・・さぁ、目覚めよう?」
消えるのが怖い。
このまま無意味な数字になって、この世界に何も残せないままいなくなるなんてイヤだ。
ふわっと身体が包み込まれた。
俺を怖がらせないようにゆゆが抱きしめてくれている。
泣いているゆゆの手の中で、俺の体はバラバラとほどけていく。
記憶もバラバラとほどけだす。
止めようにも、もう身体のどこも動かせないし、身体がどこにあるのかすらわからない。
「・・・・・・、ね。」
泣きはらした顔の中央に、ゆゆの目がある。
その目は真っ黒い海の底のように光を一切受け付けていない。
ただ、口元だけが楽しげに笑っている。
どうして?
今、そんな表情をしているのかを聞きたかったけれど、それは声にならず・・・そして、ゆゆが最後に口元でつぶやいた言葉を聞き取ることもできないまま
俺はこの世界にとけきった。
「365×12・・・柊ゆゆ、ハッピーエンド。残すはエピローグだね。」
誰もいない空間で、柊ゆゆは笑う。
光をともさない瞳のまま、とても楽しげに笑う。
ひとしきり笑うと彼が溶けていった世界に、自分の身もゆだね、気持ちよさそうに瞳を閉じる。




