珈琲を入れる間に
気が付いたら、私は自分のうちの台所に座っていた。
なんだろう長い夢を見ていたような気がする・・・でも、その夢は冷めたくないくらい私にとっては幸せなもので、どうして今起きてしまったのか泣きたい気分だった。
コトコトとお湯が沸く音と、珈琲の粉をひくいい匂いがしてきた。
私は、こう見えて珈琲には少しうるさい。
自分でミルも買ったし、デカンタを使ってハンドドリップで淹れる。
インスタントはあまり好きじゃない。
その時の温度やお湯を注ぐスピードに合わせて変化する味を楽しみたいのだ。
なんとなく、その時の気持ちが表れているような気がするし、人が淹れるとその人の性格がよくわかる。
「・・・あずさは、珈琲は濃い方が好きだもんね。」
擦切り三杯、ゆうなが珈琲を図っている。横でお湯が沸騰する。流れるような動きで、ゆうながお湯でカップや器具を温めていく。その動きは見ていてとても心地がいい。
沸騰していたお湯はこの過程をへて大体85℃くらいの適温に冷めていく。
蒸らしはお湯が落ちない程度の熱湯できっちり30秒。キッチンタイマーの音がする。
「ごめんね、あずさ・・・私が勝手に呼んでおいて、用事がすんだら追い出しちゃって。」
銀色のポットからお湯を中心にむかって落としていく。
焦ってはいけないけれど、ここで粉が膨らんでくれるかどうかで味に大きな差が出る。
ドーナツのように中心が空洞になるのが理想的だ。
「ううん、ゆうなの本当に好きな人を紹介してもらえて嬉しかったよ、なによりまたゆうなと会えて話せて・・・本当に嬉しかった。」
「私も楽しかった。そうだな・・・できなかった青春を取り返した気分。」
くるくると、器用に500円玉が描かれていく。
不思議だ。お湯は細く、ゆっくりと、でもコーヒーが落ちきることはなく絶妙なスピードで注がれていく。ゆうならしいといえばゆうならしい。丁寧で模範的な淹れ方だ。
「あのね、あずさ・・・もう私の影を追って生きるのはやめて。あずさは何も悪くなかった。私、あずさのこと大好き、いまでも。あの時あずさがいなかったら、私はもっと早くに諦めていたよ。ありがとう、あずさ。」
デカンタのメモリを気にしながらゆうなが私に笑いかけてきた。
三杯入れていたからメモリも3までだ・・・まだ1になるかならないか・・・でも私はできれば3になってほしくないと願っていた。
3になったらすべてが終わりになる気がしたから。
「・・・ありがとうとか、違う・・・違うよ。私、ゆうなのそばにいたのに気が付いていたのに助けてあげられなかった・・・友達なのに、そっち危ないって気が付いていたのに・・・手を引いて引き戻せたはずなのに。」
「私は・・・壊れていたから、もう白か黒か、世界がすべて境界線で見えていた・・・でもね、その中であずさだけは、色を持ったまま見えていたんだ。白でも黒でもなく、あずさとして。私の大事な友達として。」
「私にとっては、ゆなだけが綺麗なままだったよ・・・汚いもの見たくないもの触れたくないものばかりの世界の中で、どんなに汚されてもゆうなはずっと綺麗でまぶしくて・・・。」
私がどんなにゆうなが綺麗だったのかを説明していると、我慢できなくなってゆうながメモリが2に迫ったコーヒーを淹れる手を少し休めて口を押えて笑い出した。
「あずさ、私ね、こういう話って『同窓会』とかでするんだって憧れてたんだ。そのころにはきっと今の悩みなんて小さなものになっていて・・・笑ってあんなことあったねって、私はこう思っていたんだよって言い合える日が来るんだって・・・。残念だけど、私にはもうその日は来ないけれど・・・でも、今こうして話せて・・・あぁきっとこういうかんじなんだろうなって。」
「いいね。『同窓会』しようよ・・・二人で、何年たってもずっと一緒でしょ?」
メモリが2を超えて、ゆうなはカップに入れていたお湯を捨て始める。
そして、母親のような強さを含んだ笑みを浮かべながら最後通牒をつきつけてきた。
「わかっているでしょう。「神木夕菜は死んだの。」今、こうしてここにいるのは「AIとして生まれた柊ゆゆ(ひいらぎゆゆ)。」また会えたことがすごい奇跡なんだよ。・・・そして、残念だけど奇跡はそんなに簡単に起こったら奇跡じゃないから。
ねぇ、あずさ・・・私がゆゆになったのに助けてくれてありがとう。
あのお店であずさが声をかけてくれたから私はいろんなことを知ったり、感じたり、思い出したりできた。
奇跡を起こしてくれてありがとう。
だから、私から・・・あずさには幸せになってほしいから、奇跡をお返しするね。」
気が付けばメモリは3・・・ゆうながカップにコーヒーを分けてくれる。
二つのカップから湯気がふわりふわりといい匂いをたててくれる。
それをお盆にのせて、私の前まで運んでくる。
「前に進め、あずさ。そして私が見れなかった景色を見て、私に自慢して。それが次の『同窓会』。」
カップを私に手渡そうとするのを、私は後ずさり避ける。
「イヤだ・・・私はこのままがいい、変わりたくない、ゆうなのいない世界で私だけゆうなを覚えていたい・・・あの場から離れたら私には何もなくなる。」
「・・・なくならないよ。なくならない。そしてあの店にもう私はいない。」
「イヤだ・・・それなら私もゆうなと!」
手を包み込まれていた。
暖かい手で安心するようにさすられる。
合わさった手に、どちらのものか分からない涙が落ちる。
「ダメ、あずさ・・・私が保証する。あずさにはもう道ができているから、歩き出して。」
大好きだったゆうなの笑顔が涙でにじんでよく見えない。
そっと背中を押されるように、バトンを渡されるように・・・カップが手の中に残った。
「・・・ずさ?あずさ、あなた何しているの?コーヒー淹れていたの?お湯も沸きっぱなしだし・・・。」
気が付くと私はカップを片手に台所に立っていた。
目の前には、最近あまりよく話していなかった母親が立っている。
お湯が沸騰している音がする。
なんだろう・・・頭がぼーっとしている。
気分を変えるためにも、手にしていたコーヒーに口をつける。
「・・・っ・・・にがぃ・・・にがすぎだよ・・・ゆうな・・・」
そのコーヒーは苦くて、濃くて、そのくせ心を温めてなんだか無性に泣けてきた。
「コーヒーの苦みをわかって飲むようになっただけ、あなたも大人になったのね。」
前へ。
進め。
「・・・お母さん、私・・・こんなこといきなり言って驚くと思うけど私、なりたいものがあって、もう一度大学に通おうと思うんだ・・・そのための費用はちゃんとためてあるから・・・少し寄り道してもいいかな・・・。」
怖くて向き合うことをやめていた自分の将来と、もう一度・・・苦くても向き合って、自分の居場所は自分で守れる力を・・・私はもちたい。
「・・・あずさ、お母さんはね、それを寄り道とは思わないわよ。やっと前に進んでくれたんだなって・・・あなたが抱えていたものを知らないし、それを教えてもらえなかった、相談できないダメな母親だけど・・・だからこそ、あなたがこうして話してくれたこと応援したいって思うかな。」
ごめんねと母が笑う。
こんな母親でごめんねと。
でも、私は思ったんだ・・・私の居場所はちゃんとあった。
私が目をつぶって通り過ぎていただけなんだって・・・もっと話せばよかった。
涙があふれてとまらないけれど、笑わなくちゃいけない。
今日という日をゆうなとの『同窓会』で笑いながら話すために。




