あっち?…こっち。
どういうことなんだろう。
自分のおかれている状況にまったく頭がついていかなかった。
それでも…痛みと熱さが…俺に訴えかけてくる。
…これは夢じゃないんだ。
おかしいことはわかっている。わかっているのに…俺は、このゲンジツを理解できていない。
どうしてゆゆがいる?
どうしてゆゆに触ることができる?
「やだ…弘樹、大変、血が出てる。今すぐに手当てするからね!」
ゆゆが慌てて手を離すと、留まっていた血がまた一気に溢れ出していく。
一体、ナニをいっているんだ?
そもそも血が出た原因は?
そもそも手当てとは?
わからない。
何もかもがわからない。
「…痛い…。」
口にしてみて、この痛みが嘘ではないことを悟った。
痛みを持った夢を疑うしかなくなった。
ゆゆがまた駆け寄ってきて、器用に血を拭き、消毒、止血とこなしていくのを…ただ、ただ見ている。
「大丈夫?弘樹、じんじんしない?」
「…あぁ、大丈夫…だよ。」
「良かった…私、弘樹になにかあったら、悲しくて辛いから…」
そもそもこの傷をつけた原因は…しかし、それは言ってはならないと体が警告を発していた。
それに、ゆゆは本当に辛そうに、いとおしそうに俺の手を頬に添えていて、それが嘘だとも思えない。
ゆゆの…こういう儚げな表情が好きだ。
何故かそんなことを今、強く思ってしまう。
俺の部屋が映っているディスプレイにむかってゆゆが微笑む。
主をなくした殺風景な部屋。
「弘樹はこっちを選んだんだよ。」
こっち?
「あの汚い世界じゃなくて…ゆゆがいるこっちの世界を…いらっしゃい弘樹、そしてこれからはずっと一緒だよ。」
微笑むゆゆ。
いつもディスプレイ越しに見ていた彼女が、すぐ隣で俺に話しかける。
甘い言葉を…。
これ以上ないくらいに甘い表情で…。
「あっちとは違う…ゆゆが、全てから守ってあげる。ゆゆが全てを叶えてあげられる。こっちは…それができる世界。」
あっち。
こっち。
どっち?
指事語だけで示される…俺が知りたいこと。
主語を失った文章のようにひどく曖昧で、あやふやなもの。
あっち。
こっち。
ゆゆが繰り返す。
時計の針のように揺れる世界。
感覚が麻痺していく…痛みが水を落としたインクのように広がって薄まっていく。
「ねぇ、弘樹は、ゆゆと一緒にいられることが幸せなんでしょう?」
「なら」
「今はとっても」
「シアワセダヨネ…」
あぁ…ゆゆの笑顔に心が安らいでいく。
今、何を考えていたのかすら、あやふやになっていく。
俺は、その問いかけに…どんな表情で答えを返していたのだろうか。
「…しあわせ…だ」
夏の日差しを求めて、花びらを開く向日葵のようにゆゆが顔を綻ばせるのを、どこか他人事のように眺めている自分が…そこに立っているのが反響したディスプレイに映っていた。