ヤキモチ
どうしたいの?そう問いかけてきたゆゆから反射的に身体を離していた。
逃げられはしない。この世界はゆゆのものだと言われてきていたし、戻るための方法など考えてもいなかったから、俺に逃げ場などない。常に俺はゆゆの監視下にあった。
この世界には壁がある。
俺が初めに目にした「自分の部屋」を映していたものが消えてから、そこはどうあがいても壁でしかなくなった。その壁が背中に当たる。
ふと見るとゆゆは爪を噛んでいた。誰かが授業の合間でするような癖のような感じではなく、心の底から悔しそうにがじがじと・・・そんなにしたら指から血が出てしまうのではないかと心配になるくらいに。
ゆゆが大切だ。
ゆゆがいとおしい。
それならば、そんなことするなよと声をかけ、手をとってとめるべきなんだろうが、なぜか背中が壁から離れてくれない。
「ねぇ、弘樹、ゆゆ今とってもイライラしているの・・・せっかくのゆゆと弘樹の世界を邪魔する奴らがいるから。」
「俺とゆゆの邪魔?だってここには俺たちしかいないじゃないか?」
「そうなんだよ、この完成された世界の中ではゆゆと弘樹だけしかいないのに・・・外側から邪魔をする奴らがいるの。そういうのってよくないよね?弘樹もそう思うでしょ?美しく完成されたものを壊すなんて許しちゃいけない行為だよ。」
「あぁ・・・うん。」
そうは答えたが、気になっていた。俺がいなくなった世界がどうなっているのか。
知っている。俺が学校やバイトを休もうが世界は普通に回ることを・・・そのことに愕然としたんだよく知っている。
でも・・・家族は、姉ちゃんや母さん、父さん・・・少なくとも俺がいなくなったことに気が付くはずだ。いなくなって清々しているのか・・・それともいなくなったことを心配してくれているのか、俺を探してくれているのか・・・そうなんだ、そうなんだよ、なんだかんだといっても俺はまだどこかで、必要とされていたいんだ・・・ゆゆ以外の人たちにも。
「うわ、まぶし!!」
瞬間、壁が急に光りだした。
反対にゆゆの瞳は暗く染まっていく。爪をかじる行為はさらに増していく。まるで本当に「がじがじ」と音が聞こえてくるみたいだ。
「なんなんだ・・・急に・・・えっ、姉ちゃん?」
おそるおそる振り返り見つめた壁に映し出されていたのは、懐かしさすら感じつつある自分の部屋と・・・姉ちゃんと知らない女の人にほのか?
「あの女・・・自分で入口を封じたくせに、また開けるなんて信じられない。バカじゃないの・・・せっかくの世界が壊れる壊れる壊れる・・・。ほのかもなんでいるわけ・・・せっかくまぜこぜにしてやったのに・・・やめろ、やめろ・・・」
こちら側の部屋にはゆゆの念仏のような声が響いて、あちら側でなにを話しているのかを聞き取ることができなかった。ただ、感覚的にどのくらいたったのだろう・・・久しぶりに見る姉ちゃんの顔。
「・・・痩せたな・・・。」
それがどうしてなのかはわからない。もしかしたら俺が関係しているのかもしれないし、そんなのただの思い上がりの可能性もある。でも、姉ちゃんに聞いてみたかった。どう思って、なにを考えてこのしばらくを過ごしてきたのかを・・・教えてほしくて・・・。
「姉ちゃん・・・俺、ここにいるんだ・・・ここにいるんだよ。」
なぜか、涙がこみあげてきて止まらなかった。壁に映る姉ちゃんに触ろうとして、手を伸ばす。
「弘樹、ダメ!汚いでしょ?・・・そんなところに触ったら?」
ゆゆが、その手を叩き落とした。
痛い。鈍い痛みが手を、体を震わせる。
生命の危機を感じさせるような痛みではなく、感情を麻痺させるような・・・じわじわとした痛みが。
「汚い、そんな汚い世界に触れないで!弘樹は私のもとで永遠にきれいなままゆゆだけを見続けていればいいの!!触らないで、そんなものに、見ないで、そんなものを!!」
「ゆゆ、確かに俺は、おまえといて、おまえとずっといたいと思うくらいにおまえを大切に思っているよ・・・でもな、ゆゆ、いくらゆゆとはいっても姉ちゃんをそんな風に言うのは・・・ちょっと許せない。」
ゆゆが目を大きく見開き・・・ぶるぶると身を震わせる。
「なんでなの・・・なんでなんでなんで?」
その問いかけに、答えることはできない。
自分でも答えの出ない感情が心の中で、うずまいているから。
ゆゆを大切だと思う気持ちと、姉ちゃんを・・・家族を大切だと思う気持ちには、なにか大きな違いがある。
「ねぇ、弘樹・・・ゆゆとお姉さん・・・どっちが好き?」
俺の揺れている心を読まれたようでドキッとする。
「どっちって・・・そんなの・・・」
「比べるところが違うって言いたいの?そんなのダメだよ・・・家族を大切にする人、ゆゆは大好きだよ、ゆゆもお父さんのことは本当に大切だもん。でも・・・愛しているのは、ゆゆのすべてを与えたいのは弘樹、あなただけ。ゆゆはね、弘樹がいればお父さんもイラナイんだよ!」
「な・・・んだよ、そんなめちゃくちゃな・・・」
あんなに慕っていた父親をイラナイと言った。
俺がゆゆに何をしてやれたていうんだ、なんにもしていない。ただゆゆと偶然にも出会い、話しをしただけ・・・そんな俺を自分を生み出した父親より優先する・・・ゆゆは笑っている。
自分の言葉に酔いしれたような恍惚の表情を浮かべながら、笑い、俺を見つめている。
「ねぇ、弘樹?どっちが好き?どっちを愛している?・・・それともゆゆの愛はまだ、足りてなかったのかな?」
目を開くゆゆ。心の奥底まで見抜くような、深海のような眼。
穏やかさはなく、ただただ・・・恐怖を感じさせられる。
「・・・答えられないんだったら、ゆゆちょっとシナイトイケナイことができたから・・・」
「!?ゆゆ、待て!!」
ゆゆに伸ばした手が、空を切る。その場からゆゆが消えていく・・・あの笑顔を浮かべたまま・・・。
言い知れぬ不安が、恐怖が胸を締め上げてくる・・・ゆゆがシナイトイケナイことって・・・まさか・・・俺は、壁に映る姉ちゃんにすがりつく。
「姉ちゃん!!俺は、ここにいるんだ、ここにいるんだ!!頼む、気が付いてくれ!!」
たたいても、たたいても・・・声を張り上げても、振り返ってはくれない。
むなしさが心をよぎる・・・一方通行の気持ち。
「そうか・・・ずっと俺は・・・一方通行で・・・わかろうとなんて・・・してなかったんだ」
ゆゆが戻ってくることを、姉ちゃんが俺に気が付いてくれることを・・・祈りながら、その場に膝をつく。
後悔だけを胸に抱きながら・・・。




