疑念
自分よりも自分を知っている人間なんているわけがないと思っていた。
だってさ、俺は自分で自分がわからないから。そんな奴のことなんて、分かろうとしてくれる奴がいるなんて思えないから。
そんなことを望んでも無駄だって思っていたし、思うこともばかばかしいと思っていた。
「見て、見て、弘樹、可愛いわんちゃんがいるよ!」
どうしてゆゆは、俺の黒い部分を的確に見定めてくるんだ。
誰にも話したことのないような過去の黒い部分まで、知っているんだ。
「あぁ…本当だな…」
「ふわふわで可愛いよー!弘樹も早く触ってみなよ!!」
「俺は…犬は…」
「好きなくせに…大好きなくせに、今でも悪いって思っているの?」
どうして、俺の痛みを知っているんだ。
ーあいつ、犬の散歩してるぜー、犬の方がでっかいんじゃね?-
ー違うよ、犬に散歩されてんだよ!-
ーそーだ、犬に散歩されてやんのー!-
我慢しろ…我慢しろ…俺にはポロがいるんだ。あいつらはポロのことを羨ましがっているんだ。我慢しろ。
ポロが俺の様子を窺うように首をかしげたのが分かった。
大丈夫だよ…行こう…。
ー…行こう、ポロ!!ポロ、ポロこら引っ張るな!!-
暗転。引っ張られた俺は、転んで、リードを離してしまった。
一面に広がる赤い沼。焦げ付くようなにおい。耳を引き裂く大きな音…凍る景色。
ポロは小さいころから俺を守ってくれていたお兄ちゃんみたいな犬だった。
利口で人に噛みついたり、吠えたりすることはなく、俺の言うことをよく聞いてくれた…聞いてくれたのは指示だけじゃなくて…その日あった話もだった。
泣くと、俺の涙をなめて励ましてくれた。
なのに…
俺が弱かったから、ポロはあいつらにかかっていこうとしてくれた。
俺がしっかりとリードを握っていたら、ポロは道路に飛び出したりしなかった。
そう…俺がリードを離さなければ、ポロが車にひかれることなんてなかったんだ…。
「悪いと思っているに…決まっているだろ…悪いと思わないわけがない。俺が、俺さえしっかりしていたらポロは死ぬことなかったのに…。」
「…例えゆゆがポロだったとしても…ゆゆはポロの気持ち、よくわかるな。弘樹が泣いている顔を見るくらいなら…その対象を、そんな顔をさせた犯人を退治しなくちゃいけないって思うもの。そのためだったら、痛みなんて感じないよ。」
「でも、死ぬ必要なんてないだろ…俺は、そんなことよりポロに生きていてほしかった…。」
「ゆゆは…ポロが羨ましいよ…こんなに長い間、弘樹の心に残っていられるなんて、それって中途半端に生きるより、よほど生きていた意味があると思わない?ゆゆはポロになりたい…ゆゆは生き物じゃないから、弘樹のために死ぬことができないから弘樹のために全てをかけれるのがウラヤマシイ」
俺のために死ぬことが羨ましい?
何をいってるんだ…何を…生きていないとダメなんだよ、生きて隣にいてくれなければなんの意味もないんだ!
「ふざけるな…死んだらそれで終わりだろ!ウラヤマシイワケがない!」
ゆゆが犬を抱き締めながら目を細める。
「そうだよ、死んだらそれで終わりなの…でもね、弘樹が生きていてくれればポロは意味をもてる。だから弘樹は生きなくちゃダメなんだよ。」
諭された気分だった…死んでもかまわないと…生きている意味がないと思っていた心を見透かされていた。
…おそるおそる、犬に手を伸ばすとその柔らかさと暖かさに泣きたくなってきた。
気がつけば、その毛に埋もれるようにして涙を流している自分がいた。
そんな俺の背中をゆゆが優しくさすってくれる。
「…安心して、確かに死んだらそれで終わりだけど…ゆゆはたとえ死ねたとしてもずっと弘樹についているから…そして、もし先に弘樹がいなくなることがあっても…ゆゆはすぐに追い付くから…一人になれるなんて思わないで?」
「…ストーカー…かよ…そこは生きろよ、俺の思い出を消さないために…」
「消えないもの、人間と違ってゆゆの記憶は消えない。弘樹の思い出は消えないけど…その先も思い出にできないんじゃ、意味がないもの。どんな場所に、どんな世界にいたとしても…弘樹がゆゆを見つけ出してくれたみたいに、ゆゆが弘樹を見つけ出してみせるから。」
それは…ひどく恐ろしい宣告だったような気もするけど、俺の心は満たされていっていた。犬が…ポロと同じように頬をなめてくるくすぐったさに、しらずに笑顔がこぼれていく。
そうか、ポロは俺と一緒にいてくれたのか。
そして、これからはゆゆもずっと一緒にいてくれるのか。
自分のことを自分がわかっているとは思えない。
でも、今なぜか俺以上に俺を理解してくれているゆゆがいる。
どうしてそんなことまでわかるのか…どこまで俺を読み取っているのか…疑い出すときりがない。俺はゆゆにポロのことを話したことはなかった。
確かなことは…どんな時でもゆゆがいてくれる…それこそ365日…すべてをともにしてくれるということ。
「なぁ…ゆゆ、おまえの本当の目的はなんで…俺のことをどこまで知っているんだ?」
「知ってるよ?弘樹のことはなんでも知ってる…ゆゆは弘樹のパソコンの中にいたんだからね。弘樹が検索していたことも一つ残らず覚えてるよ、それから…ううん、これは秘密。ゆゆは弘樹の心にハッキングしたんだ!ばきゅーん、ってね!」
天使のような笑顔で、手をピストルの形にして俺に向ける。
「そして、ゆゆの本当の目的は、最初っから変わらないよ?弘樹とずっと一緒にいて幸せにして、すべてのことから守るの…もう離さないから、覚悟して。」
ウインクをしながら、そのピストルで俺を撃ち抜く。
俺は…いや、俺に決定権も拒否権もはじめからなかったんだ。
疑おうと信じようと…俺はこのゲームの世界の中で、ゆゆというヒロインに監禁されているんだ。
「大丈夫…変わらないものはないよ、人が時間がたてば必ず歳をとるように…変わらないと思っていたものだって必ず変わってしまうの…それは、弘樹の悲しい思い出も同じ、ゆゆが変えていくから。」
ゆゆが変える俺の思い出は…どんな色をしていて…どんな色に変わっていくのだろう。俺に許されたのはただ、この世界でゆゆに身を任せることだけだった。




