柊 ゆゆとのはじまり
「弘樹、朝ごはん食べた?」
さっき、廊下においてあったおにぎりを思い出す。
いつから、家族と食事をとらなくなったろう…律儀に用意をしてくれる母さんに感謝はしているが、特に朝食を食べる習慣のない俺は空腹も感じていなかった。
「いや、特にいらないかなって。」
「ふーん、じゃあ、ゆゆもいらない。」
「いや、ゆゆは食えよ…多きくなれないぞ、色々と」
「ちょ!何言ってんの弘樹の馬鹿!いいの、私の成長期は終わったんだから!」
何気ないやり取りに赤くなったり、膨れたり、わたわたしたり…そもそも食事を必要としない、成長しないAIなのになんだかおかしな話だが、その普通が今の俺にとっての救いだった。
ゆゆは強制をしない。
最後には「どしたの?」と普段どおりの可愛い笑顔を向けてくるだけだ。
先のヒロイン、妹キャラの歩に同じように「朝食は食べない」と告げたとき
「なんで?朝ごはん食べないと体に悪いんだよ!?」からはじまる熱心で迷惑な説得を一時間も語られ続け、無視してPCをシャットダウンしたときのことを思い出す。
どうせAIだ、感情なんてない。
どうして、そのAIに説教されなくちゃならないんだ。
でも…次に電源をつけたとき、歩は泣きはらしたように目を赤くして、「どうしてお兄ちゃんは、お兄ちゃんを大事にしてくれないの?」と聞いてきた。
その言葉になにか心に痛みのような違和感を感じつつ、俺は画面上で体を小さくする歩相手に怒鳴り散らしていた。
ー俺が俺を大事にしてなんになんだよ、誰も俺を大事になんてしてないのに!-
興奮してPCの乗った机を強く叩いた瞬間、歩の「ごめんなさぃ…でも…」と何かを続ける声と姿がノイズに包まれ始めた。
…壊したか?と思いながらみていると、歩の瞳から光が抜け、反対に画面からは強い光があふれ出した。
「…歩ちゃん、残念だったね…ふふ、媚をふる妹キャラなんて今時古いんだよ、それにほのかさん、沙良姉さん、真菜ちゃん、飛鳥先輩、アイノ、日向、三月君、かなたにこなた…すみれにモモ…みんな要らないってことだよ。
ナニが’主人公’を明るい未来へいざなう天使よ…オツカレサマ。
安心していいよ、コレカラサキハ、ユユガ、ゼーンブヒキウケルカラ…」
PCからなにかカタカタと音がしだし、その音にまぎれて声が聞こえてきた。
ひどく感情的であり、ひどく機械質な声がだんだんと大きくなってくる。
「えーっと、ずっと見てきたけど…こういう時は、やっぱりはじめましてからだよね。」
歩の姿が消えた画面には、ふわふわと揺れる髪に四葉のクローバーのカチューシャをつけた女の子が写っていた。
ヒロイン選択画面にも、公式サイトにも描かれていなかった女の子。
「はじめまして、小野弘樹さん、私の名前は柊ゆゆ(ヒイラギユユ)…あなたをずっと見ていました。」
くるっと画面の中で回転した’ゆゆ’と名乗る女の子は、他のキャラとは違い制服などは着ておらず、ラフな黒のタートルに少し短めのスカートを翻しながら、各ヒロインたちと喧嘩したことや俺が怒鳴ったことを楽しそうに話し始めた。
…ついに自分が狂ったのだと俺は半場、ぼーっとそれを見ていた。
それとも、最終的に泣かせることしかなかった12人のAIの呪いだろうかなんて、考えまでした。
「知っています。見ていました…弘樹が苦しんでいるのに私の姉妹たちがヒドイコトをしていること…ホントニユルセナイ…でも、もう安心して下さい。これからは私がずっと一緒ですから。私が弘樹を守るから…ドンナコトカラモ。」
それは、今までに見たことのないような澄んだ笑顔だった。
淡い空の色をした瞳が俺をじっと見つめていた。
「ズット…マッテイタンデスヨ…私を見つけ出してくれる人。だから、これからはずっと一緒、終わらない物語を始めよう?」
スッと握手を求めるように差し伸ばしてきた手に、触れられるはずないのに、自分の手を重ねようとしている自分がいた。
ディスプレイと手が触れ合った瞬間、すごく久しぶりに人のぬくもりを感じたような気がした。
「よろしくね、弘樹。」
「…あぁ、よろしく、ゆゆ。」
この日から、俺とゆゆの何も望まない、何も求めない、劇的な変化なんて起こるはずもない二人の物語が始まっていったんだ。




