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やんでれさんのほしいもの♡  作者: 橘 莉桜
その後の彼らのゲンジツ
133/137

木之元梓紗はそれでも教師である。

ゆうき君との出逢いから春が3度過ぎ、次で4度目の春を迎えるという時。

私ははじめて一年生の担任をすることが決まった。

どんな子たちが入ってくるんだろう…きっと緊張してくるんだろうな。自分の昔のことを思い出すと、大きなランドセルと母に繋がれた手のぬくもりを思い出した。自分がすごく大きくなったような…そんな誇らしい気持ちで恐々と学校に向かった日が私にもあったのだ。

今までは前任の先生からの引き継ぎでなんとなく子どもたちの特徴を知っていたけれど…今回は事前に幼稚園の先生と数回話し合いをすることになっていた。


そんなある日…私の恐れていたことが起こってしまった。


「…木之元先生、どういうことでしょうか?あなたは教師になるまで…このような場所に出入りをされていたのですか?」


「……はい。」


校長先生が私に見せたのはあの雑居ビルの写真…どうして、今…私はあの世界から足を洗ったのに。

この4年間だって必死に勉強して、子どもたちと向き合って…違う。これは言い訳なんだ。

自分の過去は必ず私についてくる…それを切り離すことなんてできないんだ…私がもう一度大学に通えたのだって…あの世界で稼いだお金を使ったから…誇れるものでは…ない。


「…親御さんの中で噂になっていたんです。木之元先生は…身体を売っていたと…。」


「!?…親御さんの…。」


あまり考えたくはないことだけど、出逢い喫茶には子どもたちのお父さんたちくらいの年齢のお客さんも多かった。そこで誰かと…それに通勤帰りの会社員も多かったあの路地…見られていたの?どうして今さらになってまで私を闇に引き込もうとするの?

まさか…相手をしたお客の中に…いや、疑っても仕方ない…だって覆せないんだ…この事実は。

噂が伝わる速さは…その怖さはよく知っている。

誤魔化そうとしたって違和感は絶対に不信感へと変わる。


「私は…あの場で…多くのものを失って………はじめて…大切なことに…」


なんとか言葉を紡ごうとするのに、校長先生のなんの表情も読み取れない顔を見たら…急速に身体が震えだして、涙があふれ出してきた。…怖い、きっと私自身を否定される。汚いと思われる。

なにより…教師を…辞めさせられる…。

悔しいなぁ…自分の過ちを自分で拭うこともできないなんて。


「校長先生、木之元先生は自らの過ちを踏まえたうえで生徒たちと向き合っているんです。昔がすべてではないはずです。私だって若いころにはたくさん失敗をしました…どうか、どうか今を見ていただけないでしょうか?」


「…学年主任…」


「木之元先生は私が見ている限り過去を乗り越えるために頑張っていました。未来に向かって頑張る若手の芽を潰すのは簡単ですが、その経験があってこそ、生徒たちに伝えられることもあるはずですら…。」


立っていられなくなりそうだった私の背中を、学年主任が支えてくれていた。

この人はずっと私を見て、時には叱ってくれて…なのにこんなことでまで迷惑を…。


「…木之元先生の仕事は評価されています。ですが、このまま親御さんたちの間にこの問題があるのは良いことではありません。…謹慎か退職か…いずれかの処分を取らせていただきます。」


…そこからのことは、覚えていない。

私は校長室から出され、学年主任が校長先生と話している声が聞こえていた。

…耐え切れずに…私は校舎を飛び出した。校庭のはじまで走って、涙と息切れでしゃがみこんだ。

昔の過ちは消せないの?

教師を辞めなくちゃいけないの?

せっかく、もう一度スタートできたのに…。


もういい…それならば、私は…このままここで死んでしまいたい!!


「…あずさ先生だー?どうしたの?」


しゃがみこんだ私の視線の中に、くせ毛の男の子が満面の笑みで近寄ってきた。

忘れもしない…ゆうき君だ!いけない、私は焦って、せめてもに涙を隠して見せた。


「ゆうき君、先生のこと覚えていてくれたんだね。」


「うん、だって、先生と約束したから!」


少しお兄さんになった姿…このくらいの年ごろの子どもたちの成長には驚かされる。

それでも、自慢げに小指を見せる姿と四葉のクローバーのヘアピンは変わらないで光っている。


「…今日はどうしたの?幼稚園は終わったの?」


「あのねー、柚希ゆずきがね、熱を出したからパパとママは病院に行ったの!僕はね、これからひろみお姉ちゃんのところでお留守番するんだ!お兄ちゃんだから一人で行けるよって言ったんだー!

えらいでしょ!」


「そうなんだ、すごいね、ゆうき君すっかりお兄ちゃんだね……って、あれ?柚希ゆずきちゃん?

あれ…確か妹さんの名前はゆきちゃんだったんじゃ?」


「先生、ちゃんとおぼえててくれたんだ!うん、はじめはね、『ゆきちゃん』だったんだけどね。

ママがね、大切なおともだちのお名前をいれたくって、ずっとかんがえてたんだって!

ママをね、守ってくれたんだって、だからきっと…えっとママの名前の『ゆ』とパパの名前の『き』そのあいだにお友達の『ず』をいれたら『ゆずき』は3人から守ってもらえるって!

それでね、ゆずきはみんなの希望だからゆずきなんだって!」


ゆずき…三人に守られる…大切な二人の間に挟まれた私の名前の一部。

諦めることばかりになれてしまった大人の私たちへの希望。


「あずさ先生?どうしたの?ぼく、先生のことかなしくさせたの?」


「ちが…違うの…ゆうき君、先生…嬉しくて…嬉しくてごめんね…泣いちゃって…」


いけないと思っても涙が止まってくれなった。大切な人に大切だと思ってもらえていた…その事実がたまらなく嬉しくて……。


「え…ゆうき君?」


「あのね、ぼくやゆずきが泣くと…ママはこうしてぎゅーってしてくれるから。あずさ先生はぼくがぎゅーってするね。」


守ると決めた小さな命が私を抱き留めてくれている。

私は…もうずっとあの日夕菜と別れてから貯めてきていた涙をすべて流した。

小さな手は…ずっと私のことをぎゅーっとしていてくれた。





4回目の春、私は謹慎処分を抜けて、学年主任の強い支えもあって晴れて教師に復帰する。

黒板いっぱいに新しいぴかぴかの一年生たちを迎えるメッセージを書きながら、ほころび始めた桜に願いをかける。

教壇に置いた生徒の名簿の中には「金野ゆうき」の名前もあった。


「ちゃんと、先生、待ってたよ…ゆうき君。」


きっともうすぐ…ゆうき君は両親に手を引かれてこの校舎の門をくぐる。

小さな妹もついてくるんだろう。

そして…私の大切な友人の一部を引き継いだあの子が…奇跡に奇跡を重ねて、私にも前に進む勇気と奇跡を分けてくれたあの子が幸せそうに笑っているんだろう。

なんて声をかけようか…ううん、たぶん、なにもいらない。私はその姿を見られるだけで充分だ。


「…夕菜…同窓会でお話しすること、また増えるよ。」


胸を張って、あなたの紡いだ物語の続きに私も友情出演させてもらったことを話そう。

……ほろ苦いコーヒーに…今度は甘い桜餅でも添えながら…。

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