病まない少女のありかた
誕生日はすぐにやってきた。
私は、初めはもう渡すつもりなんてなかったから気にしないつもりでいようとしていた。でも、その日は同じ部署に同じ誕生日の人がいたこともあっていやでも頭から離れなかった。
…無駄だとは分かっていたし、無視すべきだとも思ったけれど、以前に誕生日が話題になったこともあって「知ってしまった以上は無視できない」自分の悪い癖もあった。
あまり負担にならない…捨てられるもの…いつもの少し高級なチョコレートと、本を読む人だからブックマークを準備して、鞄に忍ばせておいた。
でも…誕生日の週は私のバスが彼と同じに通勤できる時間帯に間に合うことはなかった。
無視をしている身としては、姿が目に入らないだけでも心は楽だったけれど…鞄は重かった。
直接は…渡せない。
だから当日の朝、一緒になれなければもう諦めるつもりでいた。
なんとなく重たい足取りで家を出ようとしたときに、ゆゆちゃんが焦って走ってきた。
「弘美お姉さん、今日…例の人の誕生日ですよね!?」
「!?何で知って…本当に何でも知っているんだね…。」
「…何でもは知らない…ってこんなちょっとしたオマージュをしている場合じゃないんです!プレゼント…渡しますよね?」
「…分からないよ、一応、買ってはあるけれど…。」
鞄をさすりながらため息をついた。
…ゆゆちゃん、どうやって誕生日のことを知ったんだろう…そこは考えると怖くなるから、なるべく無視して出かけようとドアに手をかけた。
「渡してください!誕生日、祝われて嫌な人なんていない!だから、一年間後悔しないためにも…渡してください!気持ちを伝えなくていいんです、渡すだけでいいから!」
「ゆ…ゆゆちゃん…」
めずらしいことに、ゆゆちゃんが私の背中にしがみついていた。
その小さな手が、ぎゅーっと私の服を握りしめている。
ここまで真剣にゆゆちゃんが私を心配してくれて応援してくれたことって…きっと初めてだ…。
それがなんだか嬉しくって、私は…勇気をもらえた。
「…分かった、やれるだけ…やってみるよ。」
それだけ答えて、家を出る。鞄は気持ちさっきよりも軽く感じた。
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待っているだけの時間は嫌い。
弘樹がいてくれても、今日は心が休まらない…何かあるたびに弘美お姉さんのことを考えてしまう。
うまく…いっていればいいのだけれども…。
かたんとドアが開く音がしてゆゆは走って弘美お姉さんの部屋に先回りをした。
「どうでした!?弘美お姉さん!?」
「ゆゆちゃん…私、ちゃんと渡せたよ…ありがとうって言われた…でも彼の表情すごく硬くてなにかしらを読み取ろうって思ったんだけど…無理でね、なんにも話せなかったの。だから、うん…ありがとうね、ゆゆちゃん、私しっかりと………彼を諦めることができそう!」
その顔は笑っていたけれど、決して晴れ晴れとしたものではなくて…そしていつかのゆゆのように狂気を孕んだものでもない…弘美お姉さんは冷静なまま決断を下したんだ。
もともと表情が乏しい人間でも多少の動きは出る。
「マイクロエクスプレッション」と呼ばれるものだ。
弘美お姉さんは他者の表情をよむことには長けているとゆゆは評価していた。
…それがそう評価を下すのならば、よほど厳しいものを感じたのだろう。
明らかに無理して笑っている弘美お姉さんが…心からいとおしかった。今すぐに相手の男を殴ってやりたい…こんなに健気に頑張っている人の思いをここまで無下にするなんて…許せない。
たとえ勘違いさせないための優しさだったとしても、もっと違うやり方があるだろう。
年齢を見るに5歳年上なのだ…もっとスマートに…この決断をさせてあげてほしかった。
「弘美お姉さん…ごめんなさい…ゆゆ、うまくいくって思って、よかれと思って…人間の心なんてまだまだ分かってなかったのに…無理やりけしかけて…もっとひどい思いを…。」
所詮ゆゆはつい最近までAIで人間になってまだ赤ちゃんも同然なのに…関わってきた人間も少なくて…本当に狭い世界で生きてきて、それで勝手にわかったように自分勝手に弘美お姉さんをけしかけて…傷つける原因を作ったのは…ゆゆにも問題がある。
もっと時間をかければ別の結果がでたのかもしれないのに…早く早くと…急かしてしまった。
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「違うよ…ゆゆちゃんがいなかったら私、もっとうじうじして…悩んで無駄な時間過ごしていたと思うんだ。だからね、朝、勇気をくれてありがとう。…これからはすっきりして仕事に臨めるよ!…あはは、仕事中も気にしていたなんて…ほんとにダメだねー…」
ゆゆちゃんが何も言わずに私を抱きしめてくれた。
何も言わないのに、肩が震えていて、嗚咽を我慢しているのが伝わってきて…私の張りつめていた気持ちの何かがゆるゆると、壊れていくのを感じた。
気が付いた時には、もうそれは止められなくて…今まで我慢してきた涙が止まらなくなった。
抱きしめているゆゆちゃんも泣いている。
私も泣いている。
はたから見たら異様だとしか思えないような状況だけれども、この部屋にいるのは私たちだけだからきっと許されるはずだから…私は子どものように声をあげて泣いた。
憧れとか、恋とか、嬉しかったこと、考えたこと…全部が洪水のようにあふれ出していって、泣き止むころにはきっと私はすっきりとした気持ちで明日を迎えることができるから。
今、一人じゃなくって…私本当に救われたんだよ、ゆゆちゃん。
一緒に泣いてくれてありがとう。あなたは十分すぎるくらいにいつだって人間なんだよ。
でも…ごめんね、それを伝えてあげられるまではまだ時間がかかりそう。
だって、募っていた思いが多すぎたから…まだしばらく、涙…止まらないと思うから。
やっと実感した、イライラしたり、不安になったり、そういうのも全部…やっぱり私は彼に恋をしていたから生じた不具合だったんだね…本当に役に立たない心理学。
失恋して、初めて気が付いた恋心は…一人で受け止めるには少し…苦すぎて、二人でも胸やけしてしまいそうな夜でした。
ーーーー余談:弘美お姉さんのその後----
「こんにちはー○×急便です、集荷は…?」
「あ、○×さん、うーん、今日はないですね、ありがとうございます。」
「…本当にないんですか?これとかは?」
「あはは、持ってかないでくださいよー!」
「じゃ、このまま椅子ごと俺の家に運んでいいですか?」
「ちょ、こらー!私は荷物じゃないですよー、きゃー!」
「あはは、こういう反応してくれるとこ、本当好きです、じゃぁまた明日!」
投げキスをして帰っていく○×急便の男の子を見ながら、変なざわめきを感じ始める。
…そういえば、しきりに年齢を聞かれたり…あげたもの使ってくれたり…差し入れ持ってきてくれたりしたっけ…。あれ?それってなんで??
「これって…な、なんなのよーーー!!」
もどかしさから、そのまま椅子に座って顔を押さえてぐるぐると回る姿、心なし赤い頬。
一つの恋の終わりは、自分が気が付いていなかった別方向からの好意に気が付かせることになったのでした。恋の矢印は気まぐれで、どこに向いて、どこから向いているのかなんて分からない。
だからきっと、人は恋に恋をしてしまうのでしょう。
はてさて、今度の恋がどうなっていくのかは…それこそ弘美お姉さん次第でしょうね。
願わくば、ヤンデレさんに翻弄された彼女だからこそ、「彼女が普通の恋を成就させます」ように。




