後後後後始末、酒は飲んでも…
「どうしてこういう時に限って、定時で終われないのー!?」
私はスマホの時計を見ながら走っていた。
約束の時間は18時。定時の17時30分で上がれば何の問題もないけれど、今日は意図しない出来事があって18時ジャストに会社を出てしまった。
ゆゆちゃんに言われたから…という部分は大きいけれど、私は勇気を出して「相談したいことがあるんです。お仕事の合間でいいのでお話しできませんか?」と社内のメールソフトを使って彼にお願いをした。
すると「会社が終わってからでもいいですよ。」と返信があり、とんとん拍子にその日に帰り道で待ち合わせすることが決まったのだ。
遅れますと連絡しようにもアドレスを聞かなかったので(本当にバカだと思った…)とにかく一秒でも早く着くために走るしかなかった。
身だしなみとか整えている場合じゃないしー!!
横断歩道の反対側の約束のビルの前で彼がいつものように本を読んでいるのが目に入った。
良かった…と思う反面で、何とも言えない焦りと後悔を感じていた。
その瞬間、彼がふと本から目をあげて…私と目が合った。そしてその本を軽く振ってくれる。
あぁ…どうしよう…変に意識してしまったから、こんなことがとてつもなく嬉しくてドキドキしてしまう。
今、自分は確実に変な顔をしているからできたら見ないでほしい…うまく笑えている自信がない。
「お疲れ様です!ご、ごめんなさい…自分からお願いしておいて遅れてしまって!」
「お疲れ様です。大丈夫ですよ…とはいってもどこへ行きましょうか。仕事に関することですか?」
「はぇ!?違います!」
私は痛恨のミスを犯したと気づくまでにやや時間がかかった。
悩んでいるのは仕事よりもあなたとの関係性です…なんて言ったらただの告白だ。
…なにを…相談するんだ、私?
最近困っていること…困っていること…困ったこと…
「あ!実は昨日…下着の色を聞いてくる電話があって、寝ぼけてて普通に友人が話しているんだと思ってしばらく会話しちゃって…それが気持ち悪くて…」
…うん、これは実際に昨日の夜にあった出来事です。
初めはゆゆちゃんのいたずらだと思って、全裸で寝ることのある私は「履いてないの?」と聞かれて「履いてないよ、なにか?」と答えてしまったので、そしてらちょっと言葉にできない単語が返ってきて…ようやくゆゆちゃんじゃないことに気が付いてすごくぞっとした…確かにすごく気持ち悪かった……でも、でも、今このタイミングで相談することじゃない!?
今、一番の変質者となっている自分が切ない。
…正直、顔を見れなかった。私自身が一番何を言っているのか意味不明だったからなおさら。
「…それは困りましたね…それで、下着答えちゃったんですか?」
「え…いや、その…ピンク…って」
さすがの私も履いていないとさらなる地雷を踏むことは避けて、精一杯の見栄を張った。
「内容的に道だと、僕が変質者に見られてしまうので…どこかちょっと騒がし目なところにいきましょうか…。」
「ごめんなさぃ…お任せします。」
「頼みますからきゃーとか悲鳴あげないでくださいね。」
大丈夫です…変質者なのはどう考えてもこんな話題をだしてしまった私ですから…。
行く場所を模索してさまよった末に私たちは焼き鳥屋に入った。
ちなみに私はねぎまのネギだけを食べていれば十分な程度の焼き鳥好きだ。
…肉系統が得意ではないと言えなかった。もう一つ、ハイボールを飲む彼にお酒にものすごく弱いことを言えなかった。私はものすごく酔いやすい。それこそカシスオレンジ一杯で普段から高めのテンションがさらに高くなる。
そんなわけで、なにかと話した気もするけれど記憶は定かではなく…ちびちび飲んだカシスオレンジとネギで私はすっかりとできあがり店を出た彼の袖をがっちりと掴んでいた。それに気が付いたのも信号で止まった彼の背中にガツンとぶつかったからと言う最悪な展開だった。
「血が繋がってないから無理ですよー。」
「…へ?」
「金野さんがお兄さんになってくださいって袖を離してくれないから…。」
「ごごごごめんなさぃぃぃぃ!!!」
「ちなみに帰りたくないと喚いていた辺りで田中さんがいたように感じたのですが…別に身体の関係をもったとかじゃないから大丈夫ですね。」
「え、え、え…ごめんなさい。」
「お酒、飲めないなら初めに言ってくれればよかったのに。」
「…ごめんなさい…本当にごめんなさい」
田中さんと言ったら経理のお局的存在の人だ…。私は勘違いされても嬉しいけれど彼はそうとはいえない。今の私には…ひたすらに頭を下げる以外のことはできなかった。
お酒でも入れば素直になれるかと思ったのに…素直というものを通り越して大失敗してしまった。
「それで、部屋の様子見に行きましょうか?」
なんでそんな言葉が出てくるんだっけ…必死に頭をふって曖昧な記憶を探る。
そうだ…昔から変質者に声をかけられやすいって話になって…ドアのところに人が立っていたことがあって…金縛りで柔道着の霊(?)をよくみるとか…私、本当になにを相談したんだ。
冷や汗が伝る。
…部屋に来てほしいと思う反面で、掃除していない部屋とおそろくなにかしてくるであろうゆゆちゃんを思うととてもじゃないけれどその言葉にはうなずけなかった。つくづく自分の女子力の低さを呪いたくなる。
「え、遠慮しておきますね…。遅いし、これ以上迷惑かけられないです。」
せめてもの償いで、コンビニでさっきのお店の割り勘になる程度に品物を買わせてもらって手渡した。
「こういうつもりで来たわけじゃないんですよ。」
「せめてものお詫びですから…。」
とにかく詫びても詫びても足りないと思う。
私が乗るバス停で彼もいっしょにバスを待ってくれた。
「金野さんは会社で人気者ですよね。」
「え、そんなことないですよ!!ただ騒がしいからみんなの目につくし…一日中社内を歩き回っているからだと思います。」
「僕は…なんか嫌われているんですよ、経理で。なんでかなーって。」
「そんなことないです!それに…そ…総務に好かれているだけじゃダメなんですか?私は…慕ってますよ?」
「良い意味で好きとか嫌いとかそういうこと考えたことないです。そういうのあまり考えないんで」
彼の言葉の意味が分からなかった。
彼の中で私は好きでも嫌いでもない「興味のない存在」。
笑いながらそう宣告されたことだけが…私の胸に重い影を作る。
浮かれていた気分が嘘みたいだ…好きの反対は嫌いじゃなくて無関心なんていう言葉もある。
会話の流れとはいえ好きだと言ったのに…軽く断られた…。
さめてきた酔いが…また回ってきたような気がする…目の前が暗い。
彼の顔が見れない。
言葉を発しようと思うのに、なにかが突っかかってでてきてくれない。
「…そういえば、この間更衣室で経理女子たちと話しましたよ…。」
それはお茶当番の片割れが休みでいない彼の手伝いを誰がするかと悪い意味でもめていた話。
私はその場で笑いを取るのと彼をかばうつもりで「じゃぁ、総務から私が立候補しまーす!」と話したという流れ。今、ここで話すべきではないことは分かっているのに…なんでか口をついてでてきてしまった。止めたいのに…止まらない。
彼のある意味では学者気質なところが経理の中で浮いているというのはよく聞いていた。
私は逆に…そんなところが好きだったのに…。
「それってどんな!?」
「お茶当番の相手を誰がするかでモメテマシタ…。」
どっちにでもとれる言葉を私は紡いだ。
どうして好きか嫌いかなんて気にしない人間が…嫌われていることを気にするの?
気にしないならとことん気にしないで…そのまま自分を貫けばいいだけじゃない。
私のことなんて興味もないと言い切ったくせに…聞きたかったのは自分の社内での評判だったの?
色々話しかけてくれたりして期待させて優しくしてくれて…勘違いして本当に自分が恥ずかしい。
感情に蓋をしよう…これ以上関係を壊すのは良くない。
冷たく濁った心臓から、これ以上全身に血が流れていかないことを願う。
「あ…バスが来たので、ありがとうございました。」
「待って!それってどういう意味で!?」
引き留めようとした彼の手をすり抜け会話を打ち切り私はバスに飛び乗った。
窓の外に見える彼を見つめる視線が冷たくなっている。
飲めもしないお酒に頼って大失敗をするくらいなら…こっそりとゴミ箱から拾って持ってきてしまっていたカプセルを手の平で握りつぶす…ゆゆちゃんの言うようにこっちで既成事実でもつくってしまったほうがよかったのかもしれない。
私には好きという言葉を素直に伝えるだけの力なんてあるわけがないの…分かっていたのに。
ジブンヒトリデデキナイコトハ、ナニカノチカラヲカリナイトデキナイノダカラ…。
明日、彼とどんな顔で挨拶をすればいいのだろう。
ー好きとか嫌いとかそういうこと考えたことないー
曇る窓ガラスにむかって私は呟く。
いくら私が魅力がなくて、女の子らしくもないひどい子だったからって…
「…どうして、そんなヒドイコト言えるの…」




