ならば「イキナサイ」
吠えている。
無残に男が嘆き、叫んでいる。
己の欲望によって、突き付けられた結末があまりにも無残なものだった。それは自業自得と世間では言うのだが、それを認めてしまえば、この男は完璧に壊れてしまうのだろうと思う。
殴りつけられた床が悲鳴をあげている。
それに比例するように男の手は、赤く、赤く染まっていく。
…大切な者を大切にしなかった者にはふさわしい末路だとゆゆは、それぐらいの感想しか抱いてはいない。哀れだとか、可哀想だとか、そんなことは思わない。弘樹と離れ離れになったゆゆと、お父さんの苦しみにずっと巻き込まれたままだったほのかの痛みを考えたなら、この男にはもっともっともっと…痛みを与え、沈めてしまいたい気分だ。
「…よっこいしょ、うーーん!身体があちこち痛いよまったく…でも、異常はないし、だいじょーぶ!」
手術台から身体を起して、背伸びをしたり、指先を確認するように握って、閉じてを繰り返してみる。
うん、大丈夫、何も問題ない…いや、さっきメスが当たっていたせいか心持前髪がパッツンになった気はするけれど、今のゆゆは人間だからそのうち伸びるでしょうし、五体満足であることの方が何十倍も大切だから、今は髪は乙女の命なのとか言わないことにする。
「だいじょーぶならば早く、弘樹のとこに帰らないと、ゆゆも約束破ったことになっちゃう!
弘樹、お父さんと一緒にいるといいなー!」
手術台から満天の着地をして見せて、外へ向かって歩き出す足を乱暴に掴まれる。
…生ごみを見ているような気分でその手の先を見ると、まぁ、想像通りにあの男がさながらゾンビのようにゆゆの足首を握りしめている。全力で蹴りつけてやろうか、それとも踏みにじってやろうかと真剣に悩みながら、より苦痛を刻み付けないとこういうやつには効果がないんだよなーと冷静に思考をまわす。
「…待て…最後に私の願いを聞いてくれないか…」
「イヤに決まっています。なんでもはやメリットも何もないのにあなたの願いなんか聞かなくちゃならないのですか?むしろ話して返答しているだけ感謝してください。」
…やっぱり蹴り飛ばすのが一番だろうか。本来なら爪を一枚ずつはがしてやりたいくらいにいらだっているけれど…そんなことをしている時間はない。
ゆゆは一刻も早く弘樹に会いたいのだから。そのあたり血まみれにならなくてすんでラッキーだと思ってほしい。
「…私は、自分の間違いを認めたいんだ…それにはやってしまったことが大きすぎる。
とても、私一人では…償えない、謝れない、このプロジェクトは多くの人を救ったが、その裏で死んだ人もいる…壊れてしまった少女もいる…私は…それをすべて…柊ゆゆのせいだと思っていた…。
でも…違う…これは…私が…私が初めから間違っていたから…なんでだ…
私は…ただもう一度…お姉ちゃんと一緒に笑いながら生きたかっただけなのに…。」
「そうですか。ですが、あなたはまだ買いかぶっています。不幸な事件を生んだ原因はゆゆにもあります。すべてが自分のせいだなんて思わないでもらえますか?おこがましい。」
「君は…優しいのか…それとも厳しいのか…」
「少なくともあなたに優しくする気はないので、勘違いです。ゆゆはゆゆの責任と罪を背負って、弘樹と幸せになるって決めたんですから、勝手に人の罪を背負って邪魔をしないでほしいだけです。」
男は笑った。笑いながら、目からは水がこぼれていた。
…その感情が意味するところをゆゆは知らない。知ってたまるかというか、知りたいとも思わないし知るための努力をする気もない。
「…なぁ、私を恨んでいるよな?嫌いだよな?」
「そうですね、私の基盤を作ってくれたこと以外は特段感謝していません。」
「あはは…一応、感謝されているのか…うん…君は間違いなく私のプログラミングを超えた存在だ。
………他のヒロインたちにはできなくても…君ならできる。…君にしかできない…。
…頼む、私を殺してくれ。」
足から離された手は、床にべったりと付けられ、さらに額もついていた。
土下座。
その頭を踏みつけてやりたい衝動にかられた…我慢できずに踏みつけた。
「痛い…。」
「当たり前です。そして、死ぬときはその何千倍も痛いはずです。」
「かまわない、覚悟はしているんだ…殺してくれ、頼む…。」
…ゆゆの中の苛立ちがマックスを超えた瞬間だった。もう血が煮えくり返るような気がした。
おそらく、柊ゆゆとして生きてきて今、一番イラついている。
血を流すことをあまり好まないヤンデレであるはずのゆゆがもう暴力に訴えているくらい頭に血が回っている。あと一歩でもう片足も頭に乗せられるか試してしまいそうだ。
「あんた、ゆゆに殺されたいの?…間違った殺されたいんだった…。殺したいほどムカついてはいるけれど、ゆゆはこれ以上「人間」としてしてはいけないことをしないって決めたの。」
立ち去ろうとした足をまたも掴まれる。
「…殺してくれ…私は自分では死ねないんだ。…お姉ちゃんが死んだときに自殺だけはしないと決めたんだ。身勝手だと思う…しかし、私の罪は…ほのかへの贖罪は…君に殺されるしかない。」
言い訳を並べて、自分で死ぬだけの覚悟もないくせに、そこまでしてゆゆに痛みをおわせたいのか。
この男は単に自分の苦しみから逃げたいだけだ。贖罪もなにも口実で、今のこの間違いを犯した自分を認めるのが嫌で逃げ出そうとしている。
せめて、ゆゆの基盤を作った人間として誇れる部分を持ってほしかった。
私たちを作り上げたことを全て過ちだとしてほしくない。
ゆゆを作ってしまったことは過ちだったかもしれないが、ほのかは多くの人を笑顔にした最初のヒロイン、あなたの自信作のはずだ。
…この男が背負う罪は、日向ほのかへのものだけでいい。
そして、その罪から逃れることはゆゆが絶対に許さない。
「…ならば、「イキナサイ」。」
じっと目を見つめてそれだけを言う。
男は少し喜んだように、口元を緩ませた。
「…「逝きなさい」ではない…ゆゆが言ったのは「生きなさい」です。」
「え…なんで…」
ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしたことは愉快だった。
「生きて生きて生きて生きてください。ゆゆがそれを見続けているので、死ぬことは許されません。
あなたは許されないのですから…イキナサイ。」
その言葉がすべてだから、ゆゆは思いっきり足をけり上げて手を振りほどいた。
脱力したのか、思ったより簡単に足は自由になった。
男がどこを見ているのか焦点の定まらない瞳でただ床にしゃがみこんでいる。
驚くほどにシュールな光景だった。インスタとかやっていたら今日という日の記念として投稿してみたかったかもしれない。
んん??そうか、インスタかー…いいなぁ、ゆゆと弘樹のラブラブな生活を記録していくのって素敵。
二人だけの世界を永遠にアップして重ねていく。いいね!いいね!
ゆゆは振り返ることなく、今度こそ外へと通じる扉へ向かう。
あの男がこうなった以上、私たちの「365×12」のプロジェクトは終わりを告げるのだろうけれど、そんなことは関係ない。
自己満足と自己犠牲はすごく近しいところにあるけれど、決して交わらない。
他のヒロインたちとユーザーたちもすごく近しいところにいたとしても物理的には決して交わらない。
私というイレギュラーを除いて。
そう遠くない未来に、ユーザーたちのブームはこのゲームから他のブームへと移るのも、この社会の流れなのだから潮時ともいえるのかもしれない。このゲームは過熱しすぎた。炎上もした…ネット上でも物理的にも。
それでも、この「365×12」と触れ合った人たちが、何年後かにヒロインたちとの思い出を懐かしんでくれたら、それがヒロインたちの幸せだとゆゆは、ヒロインになりきれなかった身で思う。
ゆゆは弘樹だけのヒロインとなったのだから。
早く帰ろうと、自然に足は走り出す。
今度こそ、張り付いて絶対に離れないから覚悟して待っていてね、弘樹!




