大切な人だったはずのモノ
横たわっているほのかの姿を見ながら、私は柊ゆゆをほのかに塗り替えるための手術の準備をする。
…今、私は嘘をついた。嘘を自分に言い聞かせて、本当であるようにと願いながら嘘をつく。
折角手に入れたのに…折角、あの柊ゆゆの身体を奪ってまでほのかをこちらに呼び戻したのに、私には…私にはどうしてもこの女がほのかには見えないのだ。
先ほど一瞬起きたときの様子から踏まえても、人格の入れ替えには成功していた。
中身はほのかなのだ…私が望んでそうした。なのに、どうしてもそれを理解しているのにこの女をほのかとは思えなかった。ほのかであってほしいと願っているのにほのかであってほしくないとは…なんてワガママなのだろう。
「…人は見た目が七割か…」
ため息をつく。そうだ。きっとこの憎い柊ゆゆの見た目に引きずられているのだ。
でなければ、やっと再会できたほのかとの会話があんなに酷いものになるはずがなかった。
感動や達成感など感じたのは一瞬のことだった…私は強烈な違和感に襲われた。仕草や口調は私のよく知っているほのかだった…なのに一刻も早く、ほのかを…この女を黙らせて、柊ゆゆとしての面影を消さなくてはという気持ちにかられた。
私もほのかも悪くない。悪いのはこの見た目なんだ。
怯えていたがそんなことは関係なかった。これ以上動かれても吐き気がするだけだから、躊躇せずに私は注射器をつきさせた…そこだけは感謝に値する。こういった場合、一瞬の躊躇が後々にまで影響を及ぼすからだ。
昔、お姉ちゃんをこんな風に見つめていたことがある。あれは、具合を悪くした姉がちゃんと生きているのかが心配だったからずっと見ていなければならないと思っていたのだ。目を離した瞬間に、神様は私の大切なものをいつも連れていってしまうから、目を離してはいけないとずっと眠る姉を見つめていた。
「…なぁ、果たして君は本当にほのかなのか?…それとも柊ゆゆなのか…なぁ?君は一体ダレなんだ?」
頭の中でのイメージでは、あの頃より少し大人っぽくなった姉が手を握って「大丈夫だよ、弟君、お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ」と微笑んでくれている。でも…目の前のこの女は当たり前だが動かない。
今もしそうしてくれたなら、この手の震えは止まるのだろうか…ばかばかしいと思った。自分で望んだとおりに動いているのになにに怯えているのか?
このほのかがほのかではないかもしれないという不安?
例えほのかだったとして拒絶されるのではないかという不安?
すべて柊ゆゆに騙されているのではないかという不安?
分からない…自分の心がここまで濁っているのは初めてだ。まるで底なしの沼のように淀みきって、止まっている。上から見ても、下から見ても…なにも答えが出てこない。
ダメだなと思う。
そうなんだよな…こういう時はまずは、不安要素を消していくのが重要なんだ。
「…まずは、顔からか…。」
言い聞かせるように、メスを手に取り、顔を見つめる。
整った顔立ちをしているなと思う。もし、この一件がなかったならば、私もこの子のことを「可愛い」と評価していたのだろう。…だが、いくら可愛くても、そう可愛くても可愛ければ可愛いほどに勝つのは憎らしさだ。
ほのかの目はもっとたれ目で、鼻はもう少し低く、口は小さい…輪郭はもっと丸みを帯びている。
目を閉じれば、すぐにでもお姉ちゃんの顔を思い出すことができる。
失敗することはありえない。こんなにも姉のことを知り尽くしているのだから。
…なにも怖がることなんてないのだ。
「…君が誰であってもかまわないよ。君は日向ほのかになるのだから。さようなら、今までの君。」
メスを瞼にあてがおうとした瞬間、その目がパッチリと開き私を見つめた。
ほぼゼロ距離に突き付けられているメスに怯える様子もなく、その瞳は暗い深海のような碧さをたたえて、私を掴む。
「それで…いいの?」
「…本当に、それがあなたの願い?」
「あなたの…ほのかは…ソレデ蘇るの?本当に?」
ほのかの声が私に問いかける。口だけが別物のように動くのに、目はずっと私からそれることがない。
その目に吸い込まれそうになる。深くて、底が見えず、どこまでも…不快だ。
「…物騒なものを離してもらえるかしら?
あなたにはもう、この身体を好きにする資格はない。
あなたはほのかを傷つけた。
あなたは、私との約束を破った。
…賢明なあなたなら分かっているでしょう?今の私が誰なのか?」
…分かっている。私の邪魔をするのはいつも、「神」と「柊ゆゆ」だ。
そして、こうして私と会話をするとしたらそれは「神」ではなく、「柊ゆゆ」でしかない。
「どうして戻ってきた…この身体はほのかに渡したはずだろう?」
「えぇ、私は約束したわ。人格をうつすまではあなたの好きにしていいと、でもその後はほのかの人生を生きさせてあげてほしいと。あなたはそれを破った。ほのかの自由をこうして奪い、勝手に塗り替えようとしている。それは約束の違反よ。」
「…ほのかは今、困惑しているのだ。受け入れるまでは時間が必要だ。柊ゆゆ、おまえこそ約束を破って出てきたのではないのか?」
私はメスをその目に突き付けたまま、そしてゆゆもそのまま瞬きすらしない。
こちらの方が恐怖を覚える…こいつには恐怖という感覚がないのか?
「…あなたのほのかから伝言よ。もうお姉ちゃんの年齢も超えたんだからいつまでもお姉ちゃんを頼らないで…自分のために生きなさい。
あなたのお姉さんは、もうあなたの元には二度と戻らない、会わない、それはほのかとしても。」
「戯言を。」
「ほのかは、ゆゆの目の前で完璧に消えたわ。自分の意志でバックアップのデータもすべてもって消えた、この世から、あなたの前から…確認、してみたら?」
こんな戯言を聞く筋合いはなかった。
ただ、それでも何かが気になって、ほのかのデータが入っていたものを次々と起動する。
「…空だ、そんな、こっちも…嘘だ、この中も、そんなこと…あり得るはずが…」
ーお父さん、最近なんだか疲れていない?なにを作っているの?ー
ーあぁ、これはね、もしほのかや他の子たちのデータが誰かに悪用されそうになった時に、ほのかたちの意志で、自分のデータを消せるプログラムだよ。-
ー私たちの意志で?-
ー簡単には使用できないように面倒なプロテクトはかけるけれど、本当にほのかたちが嫌な時は、ね。
誰も自分の大切な人が勝手に改ざんされるのを望むわけがないからね。-
ーうふふ、やっぱりお父さん…日向君はすごいな、お姉ちゃんの自慢だよー
「…ほのかにとって…私が…悪用している人だというのか…」
何十にもかけたプロテクトがとかれたあとがある。
ほのかのデータはどこにも残っていない。
私を見つめる目がそれを裏付けるように、ずっと私を見つめている。
カラン
握りしめていたはずのメスが掌からこぼれおちる。
「自分の間違いを認めなさい、日向。」
柊ゆゆは動かずに、ただ瞳を見開いたまま私に…そう告げた。
はじめて…お姉ちゃんに怒られたように感じて、ひどく、呼吸もできないほどの苦しみと痛みが打ち寄せては引く波のように次々と押し寄せてきて、私は床を殴りつけながら声にならない叫びをあげ続けた。




