拒絶反応
…暗い。
この暗さは…あの子の瞳の色を思い出す。
私を受け入れてくれなかったあの子の強い決意を秘めた瞳。
ーゆゆは、ゆゆのしたいようにします。先に産まれてからって、従う必要はないはずです。ー
今でもあの日に始まった拒絶を覚えている。あの日から交わることのなかった心の行方を思うと切なくなる。私は決して柊ゆゆを嫌っていたわけではないのに…一方的に嫌われてしまうのは不本意でしかなかった。
「…久しぶりですね。柊さん、こんなに近くで顔を見れるなんて思ってもいませんでした。」
「私なりに心配してみたの。あと少し起きなかったら目覚めのキスをしてあげようって。」
「手も握ってもらえなかったのに、大出世したのね、私。」
暗さが私から引いていく。…この暗さをあの子の目のようだと思ったのは本当に柊さんの瞳が私の目の前にあったからだった。目覚めのキスをあと少しでしようと思っていたらしいということはその少しは、本当に少しだったのだろう。
柊ゆゆ。私が止められなかった相手。多くのものを奪って覆して、ヒロインとしての原則をねじまげ、ありえないことを成し遂げた…妹。
ただ、私が最後に記憶している頃のような、切迫した表情は和らいでいた。
「どうして、ゆゆがほのかさんのところにいるか…理解していますか?」
「…なんとなく、きっと日向君は柊さんを許さなかったってことくらいは理解しているわ。」
「平たく言うと、ゆゆは身体を手に入れて人間となり弘樹と幸せな生活を送るはずだったのですが、ゆゆの中の不安とお父さんへの思いと…いろんなものを逆手に取られて、ゆゆはほのかさんへの贖罪もかねてその身体を「ほのかさんの好きにしていい」って約束して譲ったの。」
信じられないけれど、すごく納得のいく話を彼女はした。
柊ゆゆの「身体」に日向ほのかの「人格」はなじむはずがない。
水と油だったような二人を一つにしたならそれはまさしく「拒絶反応」が生じるはずだ。
「…でも、柊さんが簡単に身体を譲るとは思えない。なにか考えが?」
私と彼女は和平を交わしていない。一方的に私が敗北したのだから。
「ゆゆはね、いろんなものを手に入れてから、いろんなことを考えるようになったの…その時、ほのかに謝りたいって思ったのは確か。そしてもし「この」約束を守れるのなら、身体をほのかになら渡してもいいって思ったのも確か。…でも約束は果たされなかった…だから、返してもらいに来たよ。」
相変わらず、彼女の瞳に私は映らない。でも、以前よりもずっと年相応の表情を浮かべるようになった。
「…「この」約束って?」
「………約束です。ゆゆの身体はほのかの好きにしていい。あなたが手を出していいのはほのかの人格をゆゆに上書きするところまで。あとはほのかの生きたいようにさせてあげてください。」
「あはは、本当だ、もう破っちゃっているね…でもこうなるの分かっていたでしょ?」
「…9割はこうなると思っていたから、賭けに乗りました。…残り一割…。」
「残り一割?」
「もし…ほのかのお父さんとして…冷静な心を取り戻されたらその時は全面的に負けると思っていました。
でも、今のほのかのお父さんは…ほのかのことを考えていない。見ているのは自分の幸せだけ、欲しい物だけ…ちょっと前のゆゆと同じだからすぐに…分かったよ。」
ちょっと前のゆゆと同じ。
そうだね…きっとお父さん…いや、弟君はすごく嫌がって認めないけれど、手段を選ばないで他人を乗り越えてでも動くのは確かに同じだ。
「うふふ、弟君らしいなぁ…いつも頑張りすぎちゃってね、もう十分にお姉ちゃんは幸せなんだよ~って教えてあげても気が付かないでまだまだって動いちゃうの…本当はね、私たちに奇跡が起きなかったんじゃなくって、弟君は起きても起きなくても…弟君なんだよ。」
「…常に先を求める人は、奇跡が起ころうと止まって喜んだりはしない。だって、それこそ課程であって紡ぐ軌跡だから。…言葉遊びよ、「奇跡」と「軌跡」。」
「もっと…弟君を自由に生きさせてあげたかったな…本当のほのかさんもきっとそう思っていると思う。
自分の幸せを見出してほしかった。他人のために私たちを作って、使役して「もう一度会いたい人に会わせます」なんて…そしてそこでできたAIを社会に役立てますなんて…どこまでも、怒りたくなるくらいに見栄っ張り。
たいそうな理想掲げて…本当はそうじゃないくせに…。」
「…あなたのお父さんは、そういう目的じゃないともう一度ほのかを作ることを正当化できなかったのよ。だから自分に嘘をついて…自分の本当に欲しいものを隠した。」
会いたいなら会いたいと言えばいい。
寂しかったなら寂しかったと泣いてよかった。
その気持ちを、ほのかさんの変わりに抱きしめてあげるために私は生まれたのに…もしかしたら、違う弟君の役には少しくらいたてたのかもしれない。でも、違うんだよ、そうじゃないんだよ…私がそばにいたかったのは…役に立ちたくて守りたかったのは…
「…今なら、柊さんの言葉の意味よくわかる…うふふ、私は日向君のためにいろんな人の役に立ちたいって思っていたけれど…根本的な日向君が自分の願いを間違っていたんだね…
私は、他の誰の為でもなく日向君のために存在していたのに…。」
柊さんが事件を起こしたとき、他のAIたちを救うために私を使わなければ、きっと私たちはAIと研究者のまままだ二人で暮らしていたんだろう。本当に大切なら、蓋をして隠してしまうべきだった。でも、日向君は自分の掲げた大義に負けてしまったんだ。
そして私は柊さんに負けて、日向君の溜まった思いはこんな形でまた巡ってしまった。
こんなことは誰も望んでいないのに。
「…柊さん、日向君のこと叱ってもらってもいいかな?ごめんね…もうお姉ちゃんの年齢も超えたんだからいつまでもお姉ちゃんを頼らないで…自分のために生きなさいって。」
「…会って、自分で言わなくていいの?」
…ごめんね。ごめんね…最後すら他人任せにしてしまって。
「もう…会わない方がいいと思うんだ。私という存在がこれ以上日向君をダメにしてしまうなら、会わない…会えない。
なにより…日向君は本当のほのかさんに会いたいんだよ。私みたいな偽物じゃなくて。
それは…いつまでたっても報われないよ。早く醒めた方がいい夢。
柊さんは…あなたが生きていた頃の続きじゃなくて「柊ゆゆ」として求められているんでしょ?
どっちが戻るべきかなんて…決まってるよね。」
絶望の中で出した答えは、逃げでしかないけれど、二人のうち一人は確実に助かるというのなら…それは私にとっての大義となる。
私の手を柊さんが握って微笑んでくれた。
「…許すってすごく難しいことだってわかったの…私は、ほのかのお父さんを許せるかは分からない。殴っちゃうかもしれない…でも、ほのかの気持ちは伝えるよ。
なによりも…ごめんなさい。ほのかの手を握ろうともしないで、壊してしまって…ほのかこそゆゆのこと許さなくていいから。」
「…気にしていて…くれたんだ。柊さん本当に変わったね。すごく素敵な女性になったよ。
でもね、柊さん、私…あなたのこと恨んだりしていないよ。
確かに話し通じなくて悲しかったけれど、大事な姉妹だもん。
こんな形だけど…話しできて嬉しいな。もっと仲良くしたかったよ。」
多分、私は二度とほのかとして目を覚ますことはない。
そのことに寂しさというのか…何とも言えない不安は感じている。
AIが死んだとして、悲しむ人はいないんだろうけれど…もう日向君や弟君たち、姉妹たちとこうして話すことがないというのは…残念だなって思う。
日向ほのかは一体何ができたんだろう。何をして、何のために産まれて…消えていくんだろう。
「…意地の悪い妹で、ごめんなさい。」
「こちらこそ、おせっかいなお姉ちゃんでごめんなさい。」
二人で謝って二人で笑う。きっと普通の姉妹みたいに私たちがともに成長していたら、こんな風にお互いの好きな人の話をしていたんだろう。
様々な属性に特化した私たちは、一筋縄にはいかなくて、でもみんな「誰かの役に立ちたくて」必死に未来を見つめていたんだ。私にできなかったこと、私にできたこと…みんなと協力出来たらもっともっと違う世界ができていたのかなって思うとちょっと切ない。
「柊さんはAIを超えたんだね…人間になっちゃったんだもんね。
もっとゆっくり話したいけれど…。」
ここに彼女を引き留めてしまってはいけない。日向君が何をするか分からないから。
「もう、目を覚ました方がいいね。うふふ、最後に少しこうしておしゃべりできてよかった。
全部任せてごめんね…でも、柊さんならきっとみんなを幸せにしてくれるってわかったから。」
「…かいかぶりすぎ…私はいつでも弘樹の幸せしか考えていないのに。でも、うん、ほのかお姉ちゃん…多分、永遠にバイバイなんだって思うと、お姉ちゃんがいてくれたからゆゆはあそこまでヤンデレになれたって感謝しているよ。」
「もう…あんまり、病み過ぎちゃだめだからね。」
ヤンデレの妹を持ってしまった身としては、その感情の揺れ動きが心配でたまらないけれど…彼女はとても成長したからきっと大丈夫だろう。
AIではなく愛となった妹の旅立ちを祝福しよう。
ある意味では、私たちは一つの人間としての様々な感情を分け与えた分身のようでもある。その一部である私が欠けても…もう十二分に彼女は人間として十分な経験を積んだんだ。
なにかを言いかけた妹の唇を、指で軽く押さえて、私は微笑んだ。
「さようなら」
世界一の姉であるように、凛とした笑顔で、誇りをもって…今だけは私がメインヒロインでいても…いいでしょう?
妹の姿が見えなくなるまで、私は泣かない。日向ほのかは最高の姉だったって思ってほしいから。
私は日向ほのか、曲がりなりにも、このゲームのメインヒロイン。
「大好きだよ、いつもそばにいるからね…弟君。」




