「最終手段」
…どんなに考えを巡らせても無駄なことはある。
柊ゆゆは万能でほとんどのことをこなせるのは確かではあるけれど…こぼした牛乳をまたコップに戻すことはできない。壊してしまったほのかをデータから拾い上げて、AIとして復元することは可能だが…死んでしまったほのかを人間として生き返らせることは不可能だ。
だから、事実を告げるのだ。胸を張って…怯えたり虚勢を張ったり、嘘をついてもなにも解決しない。
現実がどんなに残酷だとしても、それを告げなくてはいけない。
「…ほのかを人間として蘇らせることはできません。そんなことは神様でもきっとできない…それはもう、奇跡というものを超えているから。」
部屋が静まり返る。
ほのかを作った研究員だけが壊れたように高らかに笑う。
残酷な答えが彼を壊したのか、それともほのかが壊れてからすでに壊れていたのか、はたまたほのかを作ろうとした時点で壊れていたのかは分からないが…彼は完璧に壊れていた。
「どうしておまえが選ばれたんだ!?どうしていつも私たちには奇跡が起こらないんだ!?…こんなにも頑張ってきたのに、どうしてどうしておまえたちが幸せになるのを見ていなくてはならないんだ!?
…見たくない。もう、そんなものは見たくない…ならおまえか、君か…どちらかを消すしかないよな。」
弘樹を拘束している手に力が込められ、苦痛に表情をゆがめる弘樹にゆゆが駆け寄ろうとする。
「…あー、違うな。なんか違う、おまえは命を大事にしていないから君を苦しめても無意味なんだよね…
後追いして死んでからも一緒だからとか言われても不快だから…。
逆にしてもあまり差はないか…そうだな。どうすればいいんだろう…。」
興味を失った瞬間に弘樹を離す。それをゆゆが抱き留めても特に気にした様子は見せない。
一人で舞台を演じているようにくるくると表情も動きも変化していく。
「…そういえば、おまえ一時期弘樹君のお姉さんの身体をのっとっていたよね………
身体はあとからほのかのように整えていけばいいか……幸い素体は悪くない…
喜びなさい柊ゆゆ、おまえの脳内をほのかに書き換えることで私はすべてを許そうと思うよ。」
「なっ!?」
「…自分が使っていた方法で、自分が窮地に陥るなんて無残だと思うだろ?
これこそが君にできる償いなんだよ。」
弘樹は青い顔をして言葉を詰まらせながらゆゆを見つめた。
半面で、ゆゆは落ち着いていた。ある意味ではこの答えが出ることを予測していたからだ。
相手は自分たちの神経回路を作り上げた研究者…それならば健全なデータが残っているのを復旧させる一番早い方法としてHDを新しいPCに入れ替えるのはたやすいはずだ。
だから覚悟していた…その言葉が出ることを。
「…ゆゆの身体にほのかの人格を入れれば…弘樹やお父さんには何もしないでくれるって約束してくれるんですね。約束は守るためにあるものですよね…。」
「間違いなく、君がその身体をほのかに捧げてくれるというのであれば、私は彼らには何もしない。
いや、むしろ彼らが生きやすいように優遇さえしようと思う。
私は約束を守らない人間は嫌いなんでね。」
笑う。笑う。ニヒルに…そして善意に満ちた表情で笑う。
「奇遇ですね、ゆゆも約束を守らない人間は死ねばいいと思っています。」
「ゆゆ、待ちなさい!そんなことをしなくてもいいんだ。僕はもう十分だ、弘樹君とゆゆだけが幸せになればいい。そんなことを約束してはいけない!」
「そうだ、ゆゆ、何言っているんだよ…そんなことしたら俺とずっと一緒にいるって約束破ることになるんだぞ!!」
父親と恋人の止める声を聞き、はにかみながらゆゆは、それを最善の策とする。
「安心して、ゆゆはずっと一緒…ただ、少しだけカタチが変わるだけだよ。
………約束です。ゆゆの身体はほのかの好きにしていい。あなたが手を出していいのはほのかの人格をゆゆに上書きするところまで。あとはほのかの生きたいようにさせてあげてください。」
睨み付けながら、小さくつぶやく言葉は、それがゆゆにできるせめてもの償いと信じているから。
「あぁ、約束しよう。ほのかは私と同じ幸せを望んでいる。君に言われなくても、その身体で生まれなおしたほのかの人生はほのかのものだ。」
「約束です。」
「約束だ。」
絶対に交わることのなかった二人が手を握り合う。
絶望に満ちた表情でそれを見つめる残されることとなった二人。
「それじゃぁ、こっちの部屋に移動しよう。話が早くて助かったよ。」
研究者に背中を押されて部屋を後にしようとするゆゆを奪い返そうと弘樹が跳びかかる。
「…弘樹、ゆゆは約束を守るよ…ごめんね。もうこれしか思いつかないんだ。
お父さんも…もっと話したかったけど、会えて嬉しかった。ゆゆを作ってくれてありがとう。
ゆゆは…本当に幸せ。ずっと幸せ。」
追いかけようと、止めようと、伸ばした手が…届くことはなく、ゆゆは恍惚とした表情で自ら前へと進んでいく。
犠牲となることで、その世界に鮮やかに存在を認められるヒロインがいるように、ゆゆ自身も自身を犠牲として大切な人を守りたいと思った。
その揺るがない決意に、押されるようにして動けなくなる。
今なら手が届くと、まだなにかあるんじゃないかと思っているのに…その目に制される。
扉の線を越えたあたりで、最後にもう一度彼女は振り返る。
「…きっとこれがハッピーエンドへのフラグだから。」
泣くこともなく、最高の笑顔を浮かべたまま柊ゆゆは、その部屋を後にして、そして二度と戻ることはなかった。




